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by vMUGIv
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森鴎外の子供たち その16

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森於菟から小堀杏奴への手紙 志げの葬儀のため一時帰国して台湾に戻る船上にて

このたびの不幸〔志げの死〕は申すまでもありませんが、
それに次いできょうだいたちよく話し合うことができたのは大きい幸福と存じます。
私が長い間不満であったことは、母上が私をある程度まで信用はしておられても、
常に警戒しておられたこと、父上とある程度を越えて親しくすること、
同じく妹弟と親しくすることを好まれなかったことであります。
母上が女としての純情から夫の愛情を独占したいという自然の感情と、
周囲の事情により二次的に作られた反感とよりせらるるものであったと思われ、
成長した近頃の私から見れば無理ならぬことであるが、幼い頃の私には致命的でした。
そのうえ美貌の母上が怒られる時の顔は、血肉の親しみのない者からは
恐ろしいものであったことがさらに一つの素因でありました。

茉莉さんの小さい時および不律の赤ん坊の時、
私は祖母とともにずいぶん可愛がったものでした。
それがだんだん祖母と母との感情の対立が激しくなり、
子供たちがあまり来ないようになってから私も疎遠になりました。
杏奴・類となると私との本当の親しい時はほとんど皆無なので、
私が妹弟に優しくせぬことをいつか父から指摘されて
「叱ることのできぬ妹弟は可愛がれぬ」
と私にしては珍しい反抗的な返事をしたことがあります。
それは私が腹の底を言う勇気がなく
「妹弟を可愛がるようにお母さんが仕向けて下さらぬのだ」
ということを直言しえなかったためなのです。
その頃祖母が私を亡くなった生母の実家へ連れて行きまして、
父上の黙認があったとはいえ一時物議を起しましたが、
その後交際することを許されたのは母上の広い御心の表れと感謝しております。
私は元来そんなにセンチメンタルではないので、
亡くなった母を気の毒な人とは思っていても
「母をたずねて何千里」なんて感傷はないのです。

母上と私との感情は年とともに緩和されてきました。
ことに父上が亡くなられてからは、親戚が入れば混乱が起りますが、
直接の間は良くなっていく一方のようでした。
妻に対してお心の解けなかったのは何とも遺憾でありますが、
妻の外に対する表れの全部がお嫌いのみならず刺激的であったのは致し方なく、
ただ悪意ある者として憎まれたのは思い過ぎですが、今はやむをえません。
妻は一通りの女です。普通に親しまれれば、相当にお仕えして
そのうち一通りの親しみが生まれ得たのでしょうが、言っても返らぬことです。

私は今度改めて真の妹弟を得たような気がして、喜びと心強さを深く感じます。
あなたたちもそう思って下さい。
茉莉さん・類さんの将来を、あなたおよび四郎さんと相談したい。
茉莉さんの配偶を得るのが第一であるが、
どうも今までのは的が外れてお互いの不幸を招いたと考える。
ともかく少しノンキなこせつかぬ人でなければならない。
私ならいいが、兄妹では夫婦になれない。
類君も早く細君をもらった方が良い。
おとなしく夫を軽んぜず家のことをよくする人を。
もちろん茉莉を先にすべきだが、
類の方に良縁が先にあれば機会を逸することはできぬから
茉莉の別居とその経済的根拠について考えねばなるまい。

黙っている習慣になっていると何も言うことがなくて困るが、
一度言い出すと話したいことは多い。

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by vMUGIv | 2012-02-16 00:00 | ヒト
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