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by vMUGIv
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森鴎外の子供たち その11

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鴎外の息子 森類 『贋の子』 モデル小説


●砂治家→森家
●光弘 →鴎外
●睦代 →鴎外の妹喜美子
●馨  →鴎外の後妻志げ
●寛  →於菟
●静江 →於菟の妻富貴
●健作 →類
●恵子 →類の妻美穂


「あなた方、お墓はどうなさるおつもり?」
唐突な兄嫁の質問に、健作はその意味を理解するのに時間がかかった。
砂治家の墓地は、
大正時代に亡くなった父の墓、昭和になって最初に亡くなった母の墓を中心に、
明治時代の祖父母や叔父叔母の墓が一列に並んでいる。
なかに砂治家之墓とだけ刻んだ新しいのがあって、
それに戦後亡くなった叔父夫妻、最近亡くなった兄の骨が納めてある。
どうするもこうするも自分はれっきとした砂治家の次男であって、
死ねば当然その墓地に葬られるものと健作は思っていた。
「もう墓地は満員なのよ。
あの砂治家之墓とだけ書いてあるお墓の下はコンクリートで固めた棚になっていますけど、
住職のお話ではあすこは水が湧くのであれ以上は掘れないんですって」
夫の骨壺の隣へ自分のを置けばもう締め切りで、
あなた方はどこかへ墓地を買って下さいという意味はもう充分であった。
いくら父母が恋しくても満員札止だと言うものを無理に押し入るのは
穏やかでないと健作は考えたので即答を避けた。
彼女が夫の遺稿を一周忌までに出版して世話になった人々に配ろうとか、
舅の遺品が散逸しないうちに記念館を建てようとか、美挙を思いついた時には
身だしなみの権化のような姿はいっそう妙に品よく妙に凛々しく、
まるで宮中の教育係そのままの雰囲気を醸し出すのである。
どちらからともなくもう墓地の話は止めにして別の話題を見つけたらしく、
兄嫁と恵子は小声で話し出した。
恵子が兄嫁から聞かされている話は、またしても四人の嫁たちへの不満であるらしかった。
「そりゃ俊夫が長男ですもの、要らないと言ったって地所も建物もやるつもりでしたよ。
それなのに病気で寝ている寛にとうとう知子さんが遺言書を書かせたんです。
四男の信勝夫婦に離れを建てて一緒に住んでいたようなもんですから、
末っ子可愛さにそのままずるずると信勝の家になってしまいはしないかと
疑うのは仕方がないとしても、何もあんなに弱っていた病人を責め立てて
印を押させなきゃならないことはないじゃありませんか。
そうまでして手に入れておきながら、お母様とは一緒に住みませんですって」
長男の嫁と折り合いが悪く今は三男の家に同居しているが、
今度は三男の嫁と折り合いが悪くなって
大阪にいる次男と同居するようにならないとも限らない。
気の毒ではあるが、気の毒と言えば嫁だって気の毒なのである。
女に生まれたばかりに嫁に行って、他人を母と呼んで仕えなければならないということは、
一日留守の夫なんぞに到底理解のできない難事なのである。

寛は健作の異母兄であった。
健作は人間が二度結婚することがあり得るということを知らなかった。
従って寛が異母兄であると知ったのはずっと後のことである。
事情は知らなくても寛さんという人物が嫁をもらって離れに住んでいたことは覚えている。
変な人物だと思っていて、普段意識に上ることはまれであった。
変な人は離れで物音も立てずにひっそりと暮らしていて、
元日だけは母屋にきて夫婦で客間の上座に座って屠蘇を祝うのである。
祝い終わると彼は妻をつれて長い廊下を帰る。
彼が孤独になった一つの原因は、
生まれて間もなく生母が父に嫌われて離別されたためで、
第二は義理の母の珍しい性格に、
第三は最初の妻と離婚せざるを得なくなった事情によるものであった。
寛が生母と別れたことについて一番同情したのは父の母すなわち祖母であった。
離別した母の分まで愛するのだから、その深さは並大抵のものではなかった。
継母に遠ざけられたというのは表面上の寛の不幸で、
本当の不幸は父との間に遠い距離ができたことである。
寛という名で生きていた亡骸は父の死を条件に、まず喪主としてこの世に生まれ変わった。
そうして母屋の主人になって1/4の財産を与えられた。
3/4は父の遺言によってそれぞれ異母の弟妹たちに与えられたのである。
大正8年当時の法律では遺産はことごとく長男の所有になり、
その代りに家族を扶養する義務があるとされていた。
しかるに寛はその財産のすべてを譲られなかったばかりか、
四等分は半世紀の長期間に渡って守らなければならない法律上の掟となっていた。
「考古学で大学助教授となっている寛が、遺産のことで役所へ訪ねてくるとは思わなかった。
これでは先が思いやられる」というので父が遺言書を書いたのである。

家が割れると、父方の叔父夫婦・叔母夫婦が寛夫妻の味方になった。
30年50年経つうちに父方の親戚で知らぬ人の顔が数え切れなくなる。
いくら他人同様に暮らしていても父の回忌に出ないという訳にいかないから
母親につれられて出る。
座敷の所々に火鉢が置いてあって、どの火鉢にも馨を疎んじている手がかざされている。
変に目立つ人物は夫の妹婿である。全身に強い白髪が生えていそうな老人で、
会うたびにまだ生きていると不思議に思う人物である。
祖母が寛のために冥土から呼ばずにいるのであろう。
目立つ点では互角の人物で羽織袴の大男がいる。故人の親友である。
茶屋酒を飲みすぎて痙攣するようになった片目を、
金縁眼鏡の中でパチパチやって葉巻をくゆらせている。
二人は寺の座敷で目立つばかりではない。
砂治家の大事な相談に介入する二本の柱で、男というものは看板だけで
実力を発揮するのは女だから、介入を操ったのは故人の妹睦代であった。
これにいてもいなくても同じような気の弱い弟がいて、
その細君が御機嫌取りにちょっかいを出す。光弘が亡くなってからは、
佐治家の本流に加担した方が身のためと思うようになったのである。
今日の法事なぞも、招く客の範囲から寺への連絡、経料のことに至るまで
睦代を中心に女たちが相談して決まったことを、寛が馨のところへ相談に来たのである。
相談という名目の事後承諾である。
未亡人にとって夫の法事が無事に済んだくらい結構なことはないはずであるが、
若い頃から美人と言われた線の整った蒼白い少し陰気な顔を余計暗くして馨は黙っている。
法事が自分たち本物の遺族のためにあるのではなくて、
贋物の遺族の暗躍によって行われたからである。
お家大事で凝り固まっている姑が冥土から
義妹夫婦や義弟夫婦・夫の親友なぞを糸で操って踊らせているからである。
寛が父の先妻の子で家を継ぐのは当然と健作は理解する年齢になってからも、
贋物の砂治家は向こうで本物の砂治家はこっちだという意識が頭から取れない。
そのとき夫の親友が大きな体の片膝を立てて、
誰に言うともなく「じゃあ、失敬するよ」と言った。
彼の前にべったりとすわって礼を言っているのは睦代である。
「まあまあ、今日はお忙しいところをお越し下さいまして本当にありがとうございました。
先日は寛がお邪魔して何かとご相談に乗っていただきましたそうで。
一周忌もお蔭様で無事に済みまして、あとの者たち一同ありがたく存じております。
主人があの通り無口ですし、寛夫婦も世間慣れない者たちですから、
今後もさぞ御世話になることばかり多かろうと存じます。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。あっ、お俥は参っておりましょうか。
ちょいと静江さんお着せして差し上げて。
どうぞお寒うございますから、ここでお召あそばして」
喪主と未亡人の挨拶分を一気にガチャガチャ述べ立てて
達者な白足袋動かしてセカセカ追い縋る有様は、空のバケツを叩いて走っているよう。

「もしもし、ああ、知子さんですか。
実は先日静江義姉さが気になることをおっしゃったものですから。
あなた方四人のお嫁さんのうちの一人が、
僕ら夫婦を埋葬することに反対しておられるとかで、
お差し支えがなければちょっと伺いたいと思って」
「あら、それじゃ叔父様がお気を悪くなさるのはごもっともですわ。
私も嫁の一人ですから疑われるのは嫌でございますし、
事実そんな話は聞いたこともございません。
きっとまた私たちが例の義母の謀略に乗せられているんですわ。
四人のうちの誰かだなんて謎めかして、
御自分だけ上手に逃げ道ができたいるあたり堂に入ったものですこと。
ちょうど明日義母が参りますの。やはりこの際ハッキリさせておきましょうよ」

「先日墓がいっぱいだというお話がありましたね。
嫁たちの一人に僕らの骨が入ってくることに反対している人があるとおっしゃいましたね。
知子さんも疑われるのは嫌だと言われるので、誰だかハッキリおっしゃっていただいて、
その人と話し合ってみたいと思います」
「あら、そんなこと言ったかしら」
健作は呆れかえって声が出なくなった。所詮女には敵わぬとまたしても思い知らされた。
「いつまでつまらないことをウジウジ言っていらっしゃるの?立派なお父様のお墓を
いまさらいじくって幾段棚を作らせたところで、入ってくる人は後を絶たないんですから、
どこかで打ち切るのは当然じゃありませんか。嫌ぁねえ」
健作は完全な敗北感の中でこのまま引き下がりたくないと焦っていた。
ふと父の墓と並んで建っている母の墓を思い出した。
兄夫婦がこの世にあるうちもあの世に行ってからも、一番忌まわしく思う人の墓である。
幸か不幸か父の墓と違って拝みに来るのは子供たちだけだから、
これなら何間掘ろうと文句の出る気遣いはなかった。
ここへ兄嫁を入れれば飛び出してくると決まっているし、
母が驚いて先に飛び出る懸念がある。
「義姉さん、佐治薫の墓を掘り下げましょう。まず僕たち夫婦が入りますから、
後からいらっしゃいませんか。皆さん続々来てくださって結構です」
今度は兄嫁が黙った。勝負がついたようなつかなかったような具合で玄関に向かった。
送ってきた知子は「叔父様、今日は本当にありがとうございました。
やっぱりお出でいただいてよろしゅうございまいしたわ。
一度は言った方が良いことですもの。
今までだってずいぶん陰謀には苦しめられて参りましたもの」と丁寧に礼を言った。

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by vMUGIv | 2012-02-11 00:00 | ヒト
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