直球感想文 本館

2018年 更新中
by vMUGIv
カテゴリ
以前の記事

太宰治 その14

昭和22年01月上旬 太田静子が三鷹の仕事部屋を訪問。
昭和22年02月21日 太宰が下曽我に滞在、静子が斜陽ノート渡す。静子この時妊娠する。
昭和22年02月26日 下曽我から伊豆へ移動、
旅館で斜陽ノートをもとに『斜陽』書き始める。
昭和22年03月07日 伊豆から帰京の途中、下曽我を訪ねるが静子は留守だった。
昭和22年03月中旬 太宰が下曽我を訪問。静子は妊娠を告げる。
昭和22年03月27日 山崎富栄と出会う。
昭和22年03月30日 二女里子誕生。
昭和22年05月24日 静子と弟が相談のため太宰を訪問。
昭和22年11月12日 静子出産。
昭和22年11月15日 静子の弟が太宰を訪問して認知証をもらう。
昭和22年11月下旬 喀血始まる。
昭和23年02月25日 武蔵野税務署から所得税の納付書が届く。
昭和23年06月13日 太宰、富栄と入水心中。


before
c0287367_2374928.jpg

after
c0287367_2375649.jpg



◆昭和22年03月中旬 太宰が下曽我を訪問。静子は妊娠を告げる。
◆昭和22年03月27日 山崎富栄28歳と出会う。
◆昭和22年03月30日 二女里子誕生。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
妊娠を告げられた太宰から太田静子への手紙

昨日はありがとうございました。
昨夜帰宅したら、ミチ〔美知子夫人〕は変な勘で全部を知っていて、
手紙のこともあなたの本名も変名も、泣いて責めるので参りました。
お産近くであり癇が立っているのでしょう。しばらくこのまま静かにしていましょう。
手紙も電報もしばらく寄こさない方がいいようです。どうもこんなに騒ぐとは意外でした。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
妻 津島美知子

昭和22年の3月末、二女が生まれた。この頃まではピンとしていた。
出生届に元気よく役場に出かけた姿が目に残る。
その姿勢が崩れ始めたのは5月頃からである。
被害妄想が昂じて、むやみに人を恐れたり住所をくらましたりする日常になっていた。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
愛人 山崎富栄の日記 

昭和22年3月27日
今野さん〔同僚の美容師〕の紹介でお目にかかる。場所はなんと露店のうどん屋さん。
私たちから見れば、やっぱり特殊階級にある人である。
貴族だと御自分でおっしゃるように上品な風采。
先生は現在の道徳打破の捨て石になる覚悟だとおっしゃる。またキリストだともおっしゃる。
なにか、自分の一番弱い所、真綿でそっと包んでおいたものを
鋭利なナイフで切り開かれたような気持ちがして涙ぐんでしまった。
戦闘開始!覚悟をしなければならない。私は先生を敬愛する。

昭和22年5月03日
「死ぬ気で!死ぬ気で恋愛してみないか? 君は僕を好きだよ」
「うん、好き。私が先生の奥さんの立場だったら、悩む。
でももし恋愛するなら、死ぬ気でしたい」
「そうでしょう!」
「奥さんやお子さんに対して責任を持たなくてはいけませんわ」
「それは持つよ、大丈夫だよ。ウチのなんか、とてもしっかりしているんだから」
「先生、マ・ユ・ツ・バ」

昭和22年5月19日
愛してしまいました。先生を愛してしまいました。
どうしたらよろしいのでございましょうか。
お会いできない日は不幸せでございます。
御病気でもなんにもできない私は悲しゅうございます。
先生にお会いしたいばっかりに、町を歩き店をのぞいて帰る。
女なる身が悲しゅうございます。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


◆昭和22年05月24日 静子と弟が相談のため太宰を訪問。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
愛人太田静子の娘 作家太田治子

母は妊娠4ヶ月の頃に上京して太宰を訪ねた。
直接会ってこれからのことを相談したいと思った。弟の通が一緒だった。
久しぶりに会った太宰は、母の目にはそれはよそよそしく見えたという。
山崎富栄さんとの関係が始まって間もない頃のことであった。
母の妊娠とともに、『斜陽』はもはや太宰の頭の中で完結していた。
久しぶりに会った太宰のかたわらには
常に新潮社の編集者の野原一夫氏や富栄さんがいた。
どうしても二人きりになることができなかった。太宰がそのように仕向けたのである。
ワイワイと酒を飲む男性に混じって一人ポツンとうつむいている母に、
なにも知らない富栄さんは別室で一緒にうどんを食べるように勧めた。
なんてよく気の回る女性かしらと母は感心したという。
よもや太宰とただならぬ関係に入ったばかりの女性とは思わなかった。
およそ化粧っ気のないキビキビとした婦人に見えた。
一方富栄さんの方も、太田静子のことを『斜陽』の日記の提供者としてのみ考えていた。
太宰がそれだけしか教えていなかったのである。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
新潮社→角川書店→筑摩書房 編集者 野原一夫

私が太田静子さんと初めて会ったのは昭和22年5月24日の夜。
<すみれ>をのぞいてみると、
太宰さんの隣に黒っぽい和服を着た女性が座り、その横に浅黒い顔をした男性がいた。
しかしその人たちが太宰さんのお客とは気がつかなかった。
太宰さんは私とばかりしゃべっていたのだ。
そのうち他社の編集者も顔をのぞかせ、私たちはすみれを出た。
出る時に太宰さんが隣の二人に声をかけたので私はオヤと思った。
連れ立って千草に行った。
私たちは座敷に上がって食卓を囲み連れの男性も座ったのだが、
女性は食卓から少し離れて座り目を伏せ身体を固くしていた。
どのような人なのか見当がつかなかった。親戚の人かとも思ったが
態度が打ち解けないし、ファン・愛読者と考えても少し様子がおかしい。
太宰さんは私を手招きし「奥名さんのところにいいウイスキーがあるんだ。
もらってきてくれない?」と言った。奥名さん、すなわち山崎富栄さんである。
奥名氏の戦死の公報が届いたのはこの年の7月で、
旧姓の山崎に戻るのは秋になってからである。
富栄さんは千草の真向かいの野川さんという家の2階の6畳間に下宿していた。
それまでにも3、4回顔を合わせたことがあり、下宿の部屋に上がって飲んだこともあった。
しかし太宰さんと富栄さんとの仲について、その時私はなにも知っていなかった。
富栄さんは自分が持っていくと言う。富栄さんは台所との間を行き来して、
料理やお酒を運んだり食卓の上をテキパキと片づけたりした。
まるで世話女房のようではないか、妙な人だなと私は思った。
その間、例の女性は少し離れたところに座ったまま、
仲間に入るように勧めてもさびしげな微笑を返すだけだった。
太宰さんは私のそばに来て
「今日は帰らないで、終いまでつきあってくれよ。頼む」と耳元で囁いた。
9時頃千草を出てすみれに席を移した。
静子さんは千草の時と同じように無言で目を伏せていた。
重苦しい空気がそこだけにあった。
すみれを出て、太宰さん・静子さん・私は女流画家桜井浜江邸に向かった。
途中の夜道でも太宰さんは静子さんに一言も語りかけなかった。
さすがに私も変なものを感じ始めてきた。

桜井さんのアトリエに落ち着くと、太宰さんはいかにも疲れたふうにぐったりと肩を落とした。
静子さんは壁にかかっている数枚の壺の絵を眺めていたが、濃い赤い壺に目を止め
「あの壺、メンスになっているみたい」 あどけないほどの自然さで言った。
桜井さんは目を丸くした。翌朝は朝から雨だった。
何かと話題を探そうとしていた桜井さんは「ね、歌を歌おう。さ、歌おうよ」
静子さんは合唱に加わったが、急に声がとぎれた。小さく肩を震わせて泣いていた。
雨が上がり、太宰さんと私は静子さんを三鷹駅まで送った。
静子さんは小走りに改札口を抜け、そのまま振り返らずに階段をのぼっていった。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
愛人 山崎富栄の日記

昭和22年8月29日
太宰さんは私には過ぎたる夫。そして私にはなくてはならない夫でした。
「僕の妻じゃないか」とおっしゃって下さったお心、忘れません。
「10年前に会いたかったなあ。君と一緒になりたかったよ。君をもらった人は幸せだよ」
私も10年前にお会いしとうございました。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
新潮社→角川書店→筑摩書房 編集者 野原一夫

私が危ないと思い始めたのは8月になってからである。
その頃私は太田静子さんの懐妊を知らされていた。
「たった一度で出来るとはね。俺はなんて子早いんだろう。我が身を恨むね」

太宰さんはキャメルという外国煙草を私にくれて、「この煙草はアレ〔富栄〕の稼ぎでね。
進駐軍の兵隊からお金を取る代わりに煙草をもらって俺にまわして寄こすんだ」
アレという呼び方をした。そうだったのかと私は思った。

「先生は、死にたいなんて言ったことありませんか?」
富栄さんは目を伏せてしばらく黙っていたが、
「ええ、たびたび」と言った。
富栄さんは手箱から写真を一枚取り出し、それを私に見せた。
「眼鏡をかけてるのが嫌なんですけど。先生は眼鏡をかけた女が嫌いなんですって」
そういえば富栄さんは太宰さんと一緒の時は眼鏡をはずしていた。
「先生が亡くなられたら私は生きているつもりはありません。
その時この写真をもし許されたら先生のお棺の中に」

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


◆昭和22年11月12日 静子出産
◆昭和22年11月15日 静子の弟が太宰を訪問して認知証をもらう。
富栄は静子の出産を初めて知る。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
証 太田治子
この子は私の可愛い子で いつでも父を誇って すこやかに育つことを念じている
昭和22年11月12日 太宰治

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
愛人 山崎富栄の日記

昭和22年11月15日
斜陽の兄君〔弟の間違い〕みえる。
どうとやらこうとやらを御存知なくておいでになられた御様子。
太宰さん、直接でかえって良かったよとホッとされた御様子。


<どうとやらこうとやら>太宰と富栄の関係を知らずに、
<直接で良かった>妻のいる自宅ではなく、
仕事部屋と思っている富栄の部屋の方に来てくれて助かったという意味である。

昭和22年11月16日
斜陽の子ではあっても、津島修治の子ではないのですよ。
愛のない人の子だとおっしゃいましたね。
「ごめんね、あれは間違いだったよ。斜陽の子なんだから陽子でも良かったんだ。
遅いよ、君のは。君に会ってさえいたら、伊豆へなんかいかなくてもよかったんだよ」
「私は奥様と同じように、あなたが斜陽の人に会うことは嫌です。もし会ったら、私死にます」
「会わない、誓う。一生会わない。これっぽっちも愛情がないんだよ」
泣きました。顔が腫れるぐらい泣きました。
「さっちゃん、つらかったかい?」
いいえ、そんなお言葉どころではありませんでした。

「治子、この名はどうでしょう。さっちゃん、どうだろう?」
斜陽の兄君〔弟の間違い〕を前にして嫌ですなんて申せませんし、
何とも言えない苦しさでした。
ご自分のお子様にさえ、お名前から一字も取ってはいらっしゃらないのに。

「そんなこと形式じゃないか。お前にはまだ修の字が残ってるじゃないか。
僕は修治さんじゃなくて、<修ちゃ>だもの」
「イヤイヤ、お名前だってイヤ。髪の毛一筋でもイヤ。
私が命がけで大事にしていた宝だったのに」
「ごめんね、あれは間違いだったよ。斜陽の子なんだから陽子でも良かったんだよ。
お前に僕の子を生んでもらいたいなあ」
「子供を生みたい。やっぱり、私は負け」

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
新潮社→角川書店→筑摩書房 編集者 野原一夫

太宰さんが太田治子さんへの認知状を書いたのは、昭和22年11月15日である。
私は偶然その場に居合わせた。
夕刻富栄さんの部屋に行くと先客があった。
5月下旬に静子さんと一緒に三鷹に来た男性、弟の通さんだった。
和紙に筆太の字で書かれたそのお墨付きを、太宰さんは私に手渡した。
私にも証人になれということだったのか。お墨付きは富栄さんにも手渡された。
富栄さんは一瞥しただけで固い表情をしていた。
静子さんが太宰さんの子を身ごもったということを富栄さんは知らなかったのだと思う。
<伊豆の女の人>は単に日記を借覧しただけのことで、
太宰さんとの間に愛情関係があろうなどとは考えてもいなかったに違いないのだ。
ましてその人が太宰さんの子供を生んだとは、青天の霹靂だったろう。

「いや、ひどかったね。一晩中泣かれてね。なぜ私に黙っていたんだって。
そう言われてもねえ、甚だ陳弁に困るね。それから治子って名前が気に入らない、
あなたの大事な名前をあげたのがくやしいって、目を吊り上げるんだよ。
だからお前にはまだ修の字が残ってるじゃないか、なかなか悪くない名前だ。
そしたら少し機嫌が直ってね。私もどうしてもあなたの子を生むって言うんだよ。
ギョッとしたね。この上できたら首くくりだ」 そう言って太宰さんは唇を曲げた。
今後静子さんとは一切交渉を持たない、必要な通信は富栄さんが代筆する、
治子さんへの養育費の仕送りも富栄さんが手続きをとる、
ということで富栄さんを納得させたらしい。

静子さんという愛人がいること、その人に子供を生ませたこと、
そのことを知ってから富栄さんの気持ちにはある変化が生じたように思う。
富栄さんが妻の座に座りたがっていたとは思えない。
それはもう始めから諦めていたことだろう。
太宰さんは富栄さんの部屋で仕事をすることが多くなり泊まる回数も多くなっていたのだが、
それでもやはり自宅にいる回数の方が多かったように思う。
富栄さんもそれは当然のことと考えていたようだ。静子さんの出産があってからは、
太宰さんを自宅に帰すのを嫌がるようになってきたのである。
自分に隠れて静子さんと交渉を持たれるかと思うと
それが耐えられなかったのではなかろうか。
美容院を辞めたのはその頃だったはずである。
富栄さんはすべてを捨てて太宰さんに尽くした。
かなりあった貯金も太宰さんのために使ってしまったらしい。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
新潮社担当編集者 野平健一

当時いわゆる<斜陽の子>にはかなり当惑していたらしく、
私ごとき者にも「子早いのにはあきれた」という川柳風でもらしていました。
そうして「俺のは、据え膳くわぬは男の恥というやつだ」ということも力説していました。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
愛人 山崎富栄の日記 

昭和22年11月25日
母のように、乳母のように、妹のように、姉のように、子供のように、
恋人のように、妻のように、愛して愛して愛していく。

昭和22年12月11日
二人が10年前にお会いしていたのならなんにも言われることもなく、
周囲の人たちも泣かないでこんな幸せなことはなかったことでしょうに。
でも私はあのお方に初めて恋というものをお教えできた女として、あのお方のわびしかった
一生の晩年を飾るアーチの菊の役目をして誇らかに生きて行きとうございます。
私が本当に心から幸せを感じる時は一つだけ。ほんの短い時。
それを信じておりますの。それがあるから苦しい生活にも耐えているのです。
それはあのお方の恋した人として、ご一緒に永遠の旅立ちをする時なのです。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
[PR]
by vMUGIv | 2014-05-14 00:00 | ヒト
<< 太宰治 その15 太宰治 その13 >>


お気に入りブログ
検索
記事ランキング