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by vMUGIv
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太宰治 その9

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太宰の妻 津島美知子

花嫁探しの流れは、
太宰の御目付役北芳四郎&中畑慶吉→井伏鱒二→同郷で愛弟子の高田英之助
→婚約者斉藤須美子→斉藤須美子の実家→石原美知子の母

北さんと中畑さんに懇願された井伏先生は、
高田氏を通して近づきになった斉藤氏に書面を送って一件を依頼された。
斉藤家で周囲を物色し、この書面を私の母のもとに持参し紹介して下さったのである。

私は太宰治の名も作品も知らなかった。
当時太宰はすでに愛読者と支持者を持っていたが、
知名度ともなれば至って低いものであった。
そして相当ひどい評判や噂が彼を囲んでいたらしいが私は知らなかったし、
この縁談を伝え聞いて出版社に勤めているイトコの夫から
私の母に忠告があったことを聞いたが、それほど気にならなかった。
数え年で27歳にもなっていながら深い考えもなく、
著書を2冊読んだだけで会わぬさきからただ彼の天分に眩惑されていたのである。

太宰はほとんど毎日寿館〔下宿〕から夕方私の実家に来て、
手料理を肴にお銚子を3本ほどあけて、御機嫌で抱負を語り郷里の人々のことを語り、
座談のおもしろい人なので、私の母は今までつきあったことのない
このような職業の人の話を聞いて世間が広くなったようだと言っていた。
お銚子3本が適量だと言ってキリよく引き上げていたが、
適量どころか火をつけたようなもので、
このあと諸所を飲み回って異郷での孤独を紛らわせていたらしい。

それからこの話は順調に進んだのであるが、
当時の彼の書簡でみると太宰は一人気をもみ取り越し苦労をしていたらしい。
太宰は生家に自分を認めさせたく、それが彼の仕事への推進力にもなっている。
その一方、なにかというと生家をあてにして援助を求める。
郷里の家ではもはや太宰になんの期待も持たず話に乗らず相手にせず、
飢えさせないだけの仕送りをしてそれが適当な処遇と考えていた。
太宰が過去どれだけ生家の体面を汚し母を泣かせたか考えれば当然であるのに。
私の実家に対しての見栄もあり苦労性の彼はさまざま思い乱れていた様子であるが、
周囲の好意によって婚約披露も結納も滞りなく行われた。

犬のことでは驚いた。
その頃甲府では犬はたいてい放し飼いで、街には野犬が横行していた。
一緒に歩いていた太宰が、
突如路傍の50センチくらいの残雪の山に駆け上がったこともある。
それほど犬嫌いの彼がある日、あとについてきた子犬に卵をやれと言う。
愛情からではない。恐ろしくて手なずけるための軟弱外交なのである。
恐ろしいから与えるので、
欲しがっているのがわかっているのに与えないと仕返しがおそろしい。
これは他への愛情ではない。エゴイズムである。
彼のその後の人間関係をみると、やはり<子犬に卵式>のように思われる。

暑さの加わる頃から東京に移り住むことを考えるようになった。
太宰はもっと心置きなく語り合い刺激し合う先輩や仲間が近くにほしかったのだと思う。
太宰はこれまで家なり下宿なり自分で探し歩いて決めたことなどなく、
誰かが用意してくれた所に住んできたからこの家探しの時気乗りしない迷惑気な様子で、
私はさびしく頼りなかった。
仕事だけに専念して世俗的な用向きは一切関わりたくないというそれは理想ではあるが、
<家>のことともなれば一家の主人としてもっと関心を持ち
積極的に動いてほしいと思ったのだが、
彼の方は私や私の実家の力のなさに不満を持っていたのかもしれない。

一家を構えれば力仕事や大工仕事など女手に余る雑用が次々出てくるのに、
主人は一切手を出さない。
わかってはいても隣近所のマメな旦那さんをうらやましく思うこともあった。
私は心の中で<金の卵を抱いている男>というあだ名をつけていた。
いつも小説の構想を雌鶏が卵を温めている時のようにジッと抱えて、雑用には
決して手を出さずただ小説を生み出すことばかり考えている彼の姿からの連想である。

宿屋の選定・交渉などは全くダメな人であった。
太宰の場合、郷里では旅先にそれぞれ定宿があり、生家の顔で特別待遇を受けてきた。
旅立ちとなると、日程・切符・手荷物・服装に至るまで一切整えられて
身体だけ動かせばよいのだ。過保護に育ち、人任せの習慣が身についていた。
太宰は本当は若様のようにつききりで
身なりこと往復の乗り物のこと一切世話してくれる御供がほしいのだが、
子供でも老大家でもないから一人で外出しなければならないのが不満らしかった。

午後3時前後で仕事はやめて、夜執筆したことはない。
締切に追われての徹夜など絶えてない。
来客は初めのうちは前から知己だけだったのが、
次第に作品を読んで訪ねてくる方が多くなってきた。
電話がないから、来客があればいつでも応対する。
普段は客を喜ぶ太宰であるが、締切が迫っている時は困るのではないかと聞いたら
「人の話なんか聞いてないよ」と言った。

酒屋の主人は「奥さんが大変だ」と同情してくれたが、
べつに米代を飲んでしまうわけではないし、
勤め人の家庭と同じように考えて同情されるとかえって迷惑を感じた。
けれど健康に障りはしないかと気遣われてそれを言うと
「酒を飲まなければ薬を飲むことになるが、いいか」と言い、
煙草が多過ぎると言うと「深く吸い込まないから」と弁解した。
弁解が巧みで、到底かなわなかった。
金鵄という一番安い煙草が1日5、6箱必要で、現金が乏しくなっても
煙草銭と切手代だけは気をつけて残しておかなくてはならなかった。

長女が生まれた昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まった。
それより1ヶ月ほど前に徴用のための身体検査を受けた。
太宰の胸に聴診器を当てた軍医は即座に免除と決めたそうである。
<肺浸潤>という病名であった。
助かったという思いと、胸の疾患をはっきり指摘されたことで複雑な気持であった。

昭和17年の秋、私は初めて太宰の生まれ故郷に行った。
母が重体なので生前に修治とその妻子を対面させておきたいと、
北氏・中畑氏がはからってくださったのである。
なんと言っても苦労人の両氏はありがたい存在であった。
我が家始まって以来の、太宰の大嫌いな買物をした。
私は95円也の駒撚りお召を買ってもらった。それから流行の黒いハンドバッグも。
私が太宰に身につける品を買ってもらったのは、後にも先にもこの時一度だけである。
太宰は一緒に買物に行っても自分の着物を買っていたが、
決してお前にも何かとは言ってくれず、婦人物の売り場の前は大急ぎで通過してしまう。

私は大家族の家長夫妻の負担の重いことを思った。
なによりも兄嫁を困惑させたのは食料だったと思う。
ちょうど米の端境期に弟一家が転がり込んだのだから、
兄嫁の被った心労は一通りではなかったろう。
そのうえ太宰には来訪者が多く、そのたび兄嫁に客膳の心配をかける。
私たちは母屋に寄りかかって何の心配もなく安穏な日々を送り、
おかげで太宰は戯曲にまで手を伸ばすことができた。

タケさんと私が廊下で挨拶していると、書斎にいた太宰が出てきた。
私に二言、三言言葉をかけると、早々に母屋の方に立ち去った。
タケさんは太宰の後姿を目で追いながら
「修治さんは心の狭いのが欠点だ」と言い、腰を下ろした。
タケさんの声がもう少し大きかったら、太宰の耳に入ったかというほどの間であった。
やはりというかさすがというか正に的を得ている。
そして太宰は素早くその人物評が女房の前で取り出されるのを予感して逃げたのだ。
太宰は皮をむかれて赤裸の因幡の白兎のような人で、
できればいつも蒲の穂のようなホカホカの言葉に包まれていたいのである。
結婚直後「陰で舌を出してもよいから、うわべはいい顔を見せてくれ」と言われて唖然とした。
針で刺されたのを、鉄棒で殴られたと感ずる人なのだ。
タケさんは太宰の性格をよく知っている。甘やかせばキリのない愛情飢餓症であること、
厳しい顔も見せなくてはいけない子であることを知っている。
一方、タケさんの率直な粗野な飾り気のない性格から、
いつ耳に痛い言葉が飛び出すかわからないことを太宰は知っている。

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by vMUGIv | 2014-05-09 00:00 | ヒト
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