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by vMUGIv
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太宰治 その7

◆22歳 左翼活動に関して西神田署に留置され取り調べを受ける。
◆23歳 左翼活動に関して兄文治とともに青森警察署に出頭して左翼活動と絶縁。
◆26歳 東大退学、都新聞の入社試験不合格、失踪する。
鎌倉山中で縊死で第3回自殺未遂。盲腸炎から腹膜炎を併発して手術・入院、
この時使用された鎮痛剤パビナールにその後依存する。
◆27歳 薬物中毒治療のため入院。入院中初代が浮気。
◆28歳 初代の浮気発覚。
初代と睡眠薬で第4回自殺未遂、二人とも生き残る。初代25歳と離婚。
◆昭和13年 29歳 井伏鱒二の紹介で教師石原美知子と見合い。
◆昭和14年 30歳 美知子27歳と再婚、山梨で新居を構える。三鷹に転居。


昭和10年3月17日 
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昭和10年3月19日 <どうか頼む!太宰君、帰ってきてくれ by 井伏鱒二>
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盲腸手術後
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パビナール依存中
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井伏鱒二と
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長女と
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青森在住の太宰の御目付役 中畑慶吉

その頃この船橋の縁の下をひょいと覗いてみたら、
国許から送ってきたリンゴ箱にたっぷり3倍半のパビナールの空アンプルが入っておって
驚いたことも鮮やかに覚えています。だんだんと中毒がひどくなって、
井伏先生と北さんと私の3人で相談して入院させることになったのです。
嫌がる太宰を自動車に押し込め病院へ向かう途中、
ちょうど言問橋の真ん中あたりで薬が切れ暴れ出したので、
兵児帯で縛っておとなしくさせました。
この頃はいくら注射しても数十分ともたなかったんじゃないかと思います。
しばらくして船橋の家をたたむことになりましたが、
薬代に窮した太宰は15軒の店から借金しておりました。
その清算をするのにそれぞれの店の方に来ていただきましたが、
その時は北さんと私が立ち会いました。

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谷川温泉で睡眠薬心中に失敗した太宰はさっさと一人で東京へ帰ってしまう。
取り残された初代は少し遅れて東京に戻り井伏鱒二家を頼る。
『姥捨』などでは<心中に失敗したあと男だけが東京に帰り・女は谷川温泉に戻して宿で静養させ・
男は着替えやお金を持ってまた迎えに来る>となっているが、完全なるフィクションである。


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作家 井伏鱒二

この琴は太宰治君の先の細君が太宰君から直後、
いろんな家財道具と共に私の家に預けておいたものである。
初代の嫌な記憶の付きまとうガラクタは見るのも嫌だからと言うのである。
太宰は自分の夜具と机と電気スタンドと洗面道具だけ持って、
私の家の近くの下宿に移って来た。

当時初代さんは青森の生家へ引き取ってもらう話をつける間、
私の家へ1ヶ月余り泊まって待機していた。
離別された理由が理由だから生家に引き取ってもらえないかもしれぬという不安があって、
初代さんははた目に見るも哀れなほど途方に暮れていた。
濡縁に私の家内と並んで腰をかけ、涙をポタポタこぼしているのを見たことがある。

太宰は初代さんが私の家にいる間にも、たびたび将棋を指しに来た。
その都度初代さんは茶の間か台所に隠れたが、私の家は建坪が少なくて
初代さんは便所へ行きたくても我慢しなければならないことになる。
だから私は将棋は一番だけにして太宰を誘って外出する。
太宰が上機嫌になっているところを見計らって、
どうだ君、初代さんとヨリを戻す気はないかと言う。
すると太宰はキッとしてその話だけは絶対にお断りしたいとキッパリした口をきく。

そのうちに初代さんが生家に引き取られて行くことになると、
火鉢と米びつを家内に生き形見として置いた。それから琴をうちの娘に、
いずれ琴を習う日がくるだろうから預けておくと言って残して行った。
やがて戦争になって私たちが疎開する半年ほど前に不意にうちへやって来て、
大陸の青島からの帰りだと言った。
その時初代さんは1週間ばかり私の家へ泊って生家へ帰ったが、
1ヶ月ばかり経つとまたやって来て、これからまた青島へ行くところだと言った。
私と家内が共々にそんな無謀はよしなさいと引き止めると、
迷いながら私の家に1週間あまり泊まって考え込んでいた。
私たちが何と言ってもふさぎ込んでいるばかりで張り合いがなかった。
とうとう初代さんは青島へ出かけて行った。よくよくの事情があったのだろう。
私たちが疎開してしばらくすると、
生家のお母さんが初代さんが青島で亡くなったと知らせてきた。

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弟子・作家 小山清

昭和20年4月、
山梨県の美知子夫人の実家へ疎開する太宰を送って行った小山清は数日滞在した。

甲府市外に疎開されていた井伏鱒二さんが来られた。
私たちは下町にある梅ヶ枝という旅館に行った。井伏さん行きつけのところである。
井伏さんはおかみに「何か液体のようなものを」と言った。
私は井伏さんって、おかしみのある人だなと思った。
当時「液体のようなもの」は手軽にはお目にかかれなかった。
おかみさんは女中さんを走らせて「液体のようなもの」を都合してくれた。
その夜井伏さんの口から太宰さんの『姥捨』に出てくる女の人〔初代〕が、
遠い土地で亡くなったという話を聞いた。
身のまわりにはハンドバッグ一つしか残っていなかったそうである。
太宰さんは初耳のようであった。
井伏さんは「そうか。君は知らなかったのか」そんな風に言われた。
それから井伏さんは「作家というものは、身内を食ってしまうよ」と言った。
二人でお宅に帰る途中、
太宰さんは「井伏さんって、興奮させるところのある人だろ」と言った。私はうなずいた。

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by vMUGIv | 2011-05-07 00:00 | 昭和戦前
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