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by vMUGIv
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太宰治 その17

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青森在住の太宰の御目付役 中畑慶吉

昭和23年の6月の14日でしたか、文治さんから電話がかかってきまして
「修治が飛び込んだらしい。どうも今度は本当にやったらしい気がするので、
ご苦労だがまた東京へ行っちゃくれないか」 私は嫌だと答えました。
いい歳をしてまたぞろ狂言自殺かなにかわからない事件だと馬鹿臭いと思ったのです。
ところが文治さんは「いや、今回だけは感じるものがあるから、ぜひ行ってくれ」
そうまでおっしゃるんでしたら、
「ようがす。ただ、死体が上がってからにしましょう」とお答えしました。

19日の朝に北さんから電報があって死体が上がったという。
同時に津島家の執事さんが3万の大金と
「中畑さんの気の済むように処置してきてください」という文治さんの伝言を持って
私の家にやってきましたので、取るものも取りあえず出立したのです。
朝東京へ着き、井伏さんのお宅に土産のリンゴを届け、
たしか〔井伏の〕奥様とご一緒に三鷹へ向かいました。

私は三鷹へ行くたびに、2ヶ月に1度くらいでしょうか、
酒を2本とか牛肉をぶら下げて三鷹警察署に立ち寄っていました。
「三鷹に住んでいる太宰という文士がおります。彼は自殺の憂いが無きにしもあらずなので、
いつあなた方の手でお世話になるかもしれません。よろしく警戒くださいますよう」
このような挨拶をしていたのです。
三鷹警察署に寄って署長さんに挨拶してこの度の事件のお詫びを申し上げたところ、
「あなたが心配していた通りになってしまいました。
きっと後始末においでになると思ってました」
「どうもとんだことになりまして、本当にお世話になります」
「あなたにお目にかかりたいと思っておりました。さっそく現場に案内させましょう」
私は刑事さんに連れられて縄を張ってある入水の場所に行きました。
そこは丁寧に保存されていました。見ると下駄を思いっきり突っ張った跡があります。
しかも、手をついて滑り落ちるのを止めようとした跡もくっきりとついておりました。
所長さんから「中畑さんはどのように思われますか」と尋ねられた時、
「私には純然たる自殺とは思えません」とお答えしてしまいました。すると署長さんは
「実は警察としても自殺とするには腑に落ちない点もあるのです」とおっしゃるのです。

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筑摩書房編集者 臼井吉見

さっちゃんは知能も低く、これという魅力もない女だった。
文学好きなどという種類のものではなかった。
ただ妙に思いつめるようなたちで、酔った太宰のお世辞を真に受けて
たちまち魅入られたかのように太宰に寄りついて離れなかった。

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評論家 亀井勝一郎

自殺の報を聞いた時も、私は信じることができなかった。
自殺の理由がどうしても考えられなかった。直接の死因は、
女性が彼の首にヒモを巻きつけ無理に玉川上水に引きずり込んだのである。
遺体検査に当たった刑事は、
太宰の首にその痕跡のあったことをずっと後になって私に語った。

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作家 井伏鱒二

先日私は亀井勝一郎君に会った時、意外な話を聞いた。
ある一人の刑事がこう言ったそうである。
太宰という作家が身投げしてその遺骸が見つかった時、
自分は検視の刑事として現場に立ち会った。
検視の結果、太宰氏のノド首に紐か縄で絞められた跡がついていた。
無理心中であると認められた。
しかし、身投げした両人の立場を尊重し世間に公表することは差し控えた。
そんなような意味のことを、その刑事が話したそうである。

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しかし、亀井勝一郎と井伏鱒二は当日ともに太宰の検視に立ち会っているのだ。


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新潮社編集者 野平健一

太宰の死について心中・情死という言葉を避けたい人はいるにしても、
だからと言って富栄さんが殺したという根拠があったとは思われない。
中にはすでに亡くなったある批評家のように、
太宰と親しかったがゆえに遺体の検視に立ち会い、
その時はっきり太宰のクビが細引で絞められているのを見た
と公言してはばからなかった人がいたが、これは嘘だ。
ありもしなかったことを事実のように伝えた真意は計りかねるが、
ともかく変な人であったことは確かだ。
確信ありげに私が言うのは、二人の遺体が玉川上水に上がった時、
私も遺体を収容した<3人の若い男>の一人だったからである。
細引は二人の腰を繋いでいた。その細引は、
川底から堤の上に運び上げるため<3人の若い男>の一人がナイフで切った。
太宰はノドなど絞められていなかったのである。

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新潮社→角川書店→筑摩書房 編集者 野原一夫

太宰さんと富栄さんの遺体は6月19日の早朝、通行人によって発見された。
私たちは土堤の道を走った。道はひどくぬかるんでいて
滑って転びそうになりながら走った。
激しい勢いで流れている中流に、杭にでも引っかかっているのか
太宰さんと富栄さんが折り重なって揺れていた。
太宰さんが上に覆いかぶさるようになってワイシャツの背中を見せ、その下に富栄さんがいた。
抱きかかえるようにして遺体を引き上げる時、むせるほどの異様な臭いが鼻をついた。
膨れ上がって白くふやけた遺体は指先がめり込むほどで、
こすれると皮膚がはがれ私たちの雨着に付着した。
私たちは遺体をシートの上に寝かせムシロをかけた。
二人の身体が、腰のところで赤い紐でしっかりと結ばれていたことだけを言っておこう。

霊柩車が来るまでにはかなりの時間がかかった。
寝棺を下に降ろし遺体をおさめ、
丸太を組んだレールを斜面にはわせて綱で寝棺を引き上げる作業が始まった。
寝棺を霊柩車におさめようとした時、警察から待ったがかかった。
この場で検視を行うと言う。止んでいた雨がまた落ちてきた。
相談の末、検視は屋内で<千草>の土間を借りてやることになった。
豊島与志雄氏・井伏鱒二氏・亀井勝一郎氏・今官一氏・山岸外史氏らが、
土間から一段高くなった座敷のヘリに一列に並んだ。
私は検視医のすぐ横に立った。
山岸さんが下駄をつっかけて座敷から下り、私のわきに来た。
太宰さんの死顔をしっかりと見ておきたかったのだろう。

亀井さんはよく存じ上げている。太宰さんの生前にもよくお会いし、一緒にお酒を飲んだ。
いつも微笑を絶やさない穏やかなお人柄だった。
親友を亡くした亀井さんの無念さはよくわかるつもりだが、
同行した女性を殺人者にしてしまうのはあまりにも穏やかでないように思われる。
もし検視医が首筋に絞められた痕跡を発見したら、
黙って見逃すことはなかったに違いない。
そのことは、少し離れてはいたが亀井さんは見て知っていたはずである。
断じてそのような痕跡は無かった。
私はすぐ間近で、検視医とおなじくらいの間近さで太宰さんに見入っていたが、
その首筋には絞められた痕跡など断じてなかったのである。

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評論家 山岸外史

その日は実にひどい雨だったことを思い出す。
僕は無言でそのムシロの塊を見ていた。そばに立っていた青年たちは、
新潮社のN君〔野平健一〕と展望社のK君と筑摩書房のN君〔野原一夫〕であった。
「今朝方4時半頃に通行人が発見して、すぐ交番に連絡してくれたのです。
それですぐ駆けつけて引き上げたんです」N君がそう言った。
「引き上げた時、太宰先生と富栄さんの腰に赤い腰紐が結ばれていたのですが、
その紐はナイフで僕が切りました。このことは誰にも言わないでおいて下さい」
K君が早口にそう言った。
「ことに、新聞社には絶対秘密にしておいて下さい。お願いします」
N君もK君も口をそろえてそう言った。
「わかりました」僕は答えた。
太宰の腰にそんな紐のあったことは意外だったが、
誰にも教えたくない気持ちは僕にもよくわかった。
さすがに若い編集者たちにとって、
赤い腰紐の情死ということでは世間体を憚る苦痛があるのだと思った。

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作家 豊島与志雄

昭和23年4月25日日曜日の午後、電話があった。
「太宰ですが、これから伺ってもよろしいでしょうか」
声の主は太宰自身ではなく、さっちゃんだ。
さっちゃんというのは我々の間の呼び名で、本名は山崎富栄さん。
私のところに少し酒があったが、入手はなはだ困難だ。
太宰はさっちゃんに耳打ちして電話をかけさせる。
さほど遠くないところに懇意な筑摩書房と八雲書店とがある。
「もしもし、私さっちゃん・・・」そう自分でさっちゃんは名乗る。
お酒が手に入るまいかとねだる、お代は原稿料から差引きにしてと言う。
八雲から上等のウイスキーが届けられ、
夜になって筑摩からも上等のウイスキーを白井君が持参された。
太宰は酒を集めてくれたばかりでなく、
さっちゃんをあちこちに奔走さして色々な食物を買ってこさした。
私の娘が病気で伏せっていたのへも、お見舞いとしてバタや缶詰を買ってこさした。

さっちゃんは太宰がどんなにワガママなことを言おうとどんな用事を言いつけようと、
片言の抗弁もしない。すべて言われるままに立ち働く。
積極的に細かく気を配って身辺の面倒をみてやる。
もしすきま風があるとすれば、その風にも太宰を当てまいとする。
それはまったく絶対奉仕だ。
家庭外で仕事をする習慣のある太宰にとって、
さっちゃんは最も完全な侍女であり看護婦であった。
家庭のことは美知子夫人が立派に守ってくれる。太宰はただ仕事をすればよかったのだ。

それきり私は太宰に会わなかった。会ったのは彼の死体にだ。
死は彼にとっては一種の旅立ちだったろう。その旅立ちに
最後までさっちゃんが付き添っていてくれていたことを、私はむしろ嬉しく思う。

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玉川上水を捜索する富栄の父
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by vMUGIv | 2014-05-17 00:00 | 昭和戦前
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