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夏目漱石 その5

◆明治29年 29歳 松山中学を退職、熊本県第五高等学校に赴任。中根鏡子と結婚。


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漱石の妻 夏目鏡子

祖父の碁敵に小宮山という方があって郵便局に勤めていられ、
その同僚に夏目の兄さんがおられた。
夏目の弟さんの話も聞いているので、どんなものだろうといった具合で、
父が各方面へ夏目のことを問い合わせるとたいそう評判がよろしい。
父も乗り気になって、まず写真の交換をしようということになりました。
私も方々から縁談の口がかかってきていました。写真を見た数も少なくありませんでした。
これまで来た写真ではこの人になら自分の一生を託しようという気を起させるほどの
人物らしいものはありませんでした。ところが今度の写真を見ると
上品でゆったりしていていかにも穏やかなしっかりした顔立ちで、
他のをどっさり見てきた目にはことのほか好もしく思われました。
見合いの時、なんの気なしにひょいと本人の顔を見ると
鼻の頭にアバタがあるではありませんか。妹の時子もその時お給仕をしていたのですが、
「ねえ、ちょいと姉さん、夏目さんの鼻の頭、横から見ても縦から見てもデコボコしてるのね」
「ええ、私もそう思ったわ」 
そう言って母と3人で解放された気で陽気に笑いますと父に叱られてしまいました。
夏目の方はどうだった、気に入ったかとか兄さんたちが寄ってたかって尋ねますと、
歯並びが悪くて汚いのに、それをしいて隠そうともせず平気でいるところが大変気に入った
と申しましたので、みんなで妙な所が気に入る人だ、
だから金ちゃんは変人だよと笑われたそうです。
とにかく父は直接会ってなおさら人物が好もしくなったのでしょう。
将来必ず偉くなると言って大変嘱望したおりました。
酒飲みではなし、暮らしも役人よりも危なげはなし、
人間も堅く派手でないので、若い娘には良かろうというようなことも言っておりました。

いったいに夏目の好みが江戸っ子式のどこか下町のところがあるのに反し、
私が山の手式に育てられてきているので、
趣味の上などでも何かとちょいちょいとして小衝突があったものですが、
1年ぐらい経つまではそうした気質が飲み込めませんでした。
それでも私の父が家庭の暴君でずいぶん短気で
母なぞたびたび弱らせられていたものでしたが、
それに比べると夏目はゆったりしていてすべてのことに公平だし、
父のように自分勝手な向かっ腹を立てるでなし、
なるほど先生などというものは修養のできたものだと、それぐらいの感心が関の山でした。

私は昔から朝寝坊で、夜はいくら遅くてもいいのですが、
朝早く起こされるとどうも頭が痛くて一日中ぼおっとしているという困った質でした。
新婚早々ではあるし、夫は早く起きて決まった時刻に学校へ行くのですから、
なんとか努力して早起きをしようと努めるのですが、
なにしろ小さい時からの習慣か体質かで並はずれてつらいのです。
それでも年寄りの女中がいたうちは目ざとく起きてくれるので
間違いはありませんでしたが、それを帰してからというものは、
時々朝のご飯も食べさせないで学校へ出したような例も少なくありませんでした。
10時頃まで寝ている女はお妾か娼妓ぐらいのものだなどとだいぶ油をしぼられましたが、
どうやってみても早く起きると頭の具合が良くないので自然朝寝になってしまいます。
そこで毎々こんな会話が繰り返されるのです。
「お前の朝寝坊ときたらまことに不経済で、第一みっともないことこの上なしだ」
私も負けてはおりません。
「しかし1、2時間余計に寝かして下さればそれで一日いい気持ちで何かやります。
だから無理して早く起きて嫌な気持ちでいるより、よっぽど経済じゃありませんか」

後に長く胃を患ってとうとう胃で命を取られた夏目もその頃はまだなかなかの大食べで、
こってりとした脂っこい肉類のようなものが好きで、
魚は臭いと言ってあまり好みませんでした。

一緒に連れ立って出ると生徒に見られて嫌だと申しまして、
一緒に散歩や買い物に出たことはまずありませんでした。

非常に渋好みのくせに大のお洒落で、
着物などは自分でいい着物を着ることも好きでしたし、
子供たちなんかに美しい物を着せて眺めるのも好きなようでした。
よく私が新しい着物をこさえてやったりしておきますと、それが大の自慢で、おい、小宮、
今度こんないい着物をこさえたから見せてやろうといった具合で見せびらかします。
そうかと思うと私が買ってきた柄が気に食わず、こんなもんが着られるか
すぐに返してこいといった剣幕で剣突を食わせる時もあります。
それをいつの間にやら下着に仕立てさせて着せますと、
これも重ねてみると案外いいてなことで、先のくさしたのなんかはどこへやら、
けろりとして褒めて着ていることなどもありました。
いったい自分でもきちんとしたなりをしていることの好きな人でしたが、
女のきれいな着物を着ることもが好きで、私が脱いでおくと
よくそれを羽織って褄を取ってみたりなんかして家中歩き回ったものでした。
正月も、私の年始の紋付を着て歩いてふざけておりました。

夏目の父が亡くなりましたので上京いたしました。そうして虎の門の官舎に落ち着きました。
夏目は生家の者に対してはまず情愛がないと申してもよかったでしょう。
あるものは軽蔑と反感ぐらいのもので、もちろん義理堅い人ですから
義理を欠くようなことはなかったようですが、とにかく金ちゃん金ちゃんと
御機嫌を取られたりちやほやされたりすればするほど反感を募らせる方で、
中に入ってずいぶん私は困りもし気まずい思いもいたしました。
そうして兄さんなどに気の毒でなりませんでした。
黒白のけじめがはっきりしていて、嫌いなら嫌い、好きなら好きで、
人が何と言ったって得心が行けば格別、
でない以上頑として動かないのですからどうにも仕方がありません。

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by vMUGIv | 2012-03-05 00:00 | 明治
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