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by vMUGIv
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三島由紀夫 その12

◆43歳 楯の会結成。

冬服
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夏服
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西武百貨店社長 堤清二 ペンネーム辻井喬

三島さんから私のところに電話があり、
「今度おもちゃの軍隊を作ることになったんだが、制服はうんと格好良くなくちゃいけない。
僕が調べたところド・ゴール将軍の軍服が一番いい。
あれを作ったデザイナーを調べてくれないか」と依頼されたのです。
調査の結果、そのデザイナーは五十嵐九十九という日本人で、
おまけになんと当時西武デパートに勤めていたということがわかりました。
さっそく電話でそう伝えると三島さんは大変喜んで、
「君のところで作って請求書と一緒に納めてくれ。費用はすべて僕が払う。
だだしできるだけ安くしておけよ」ということになり、
すぐに本人がデザインイメージを描いたものを送ってこられました。
徽章のデザインまで詳細に指示してあり、
文章だけでなく絵も上手いんだなと感心したものです。
言うまでもなく三島さんの指示通りにできるだけ安くして納めました。

三島さんの衝撃的な死を知った私は、
その夜お通夜に参加しようと三島邸に飛んでいきました。
そこへ父上の平岡梓さんが現れて私の姿を見つけると、
「あんなのところであんな制服を作ったから息子は死んじゃったよ」と叱られたのです。
梓さんの反応を見て、三島さんは父親にすら理解されていなかったのであろうと
私は感じましたし、今もそう思います。

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※金額は昭和40年代当時
楯の会の軍服は1着1万円、夏用・冬用を101人分注文した。
ボタン・徽章も楯の会のマークが入ったものを特注している。
軍帽は作ってくれる帽子屋が見つからず、三島本人が下町の職人を探し出して作らせた。
これにも夏用・冬用がある。さらに軍靴・戦闘服・隊旗、自衛隊体験入隊費用、
月1回の定例会の会場費・通信費・・・。楯の会学生長持丸博の記憶によると、
この2年間で三島が楯の会につぎ込んだ金額は1,500万円以上になったという。
三島は貯金が1/10になってしまったと女友達の湯浅あつ子にも愚痴っている。


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親友・仏文学者 村松剛

昭和45年1月22日に僕は日本を発ち、2月08日まで海外にいた。
帰国した翌日に三島から電話がかかり、佐藤栄作首相から楯の会を支援するという
申し出があったと聞いたのはこの時だったように思う。「毎月百万円を寄付すると、
木村俊夫官房副長官を通じて言ってきたんだよ。困っちゃってねえ」
昭和45年の三島にとっては、自民党政府そのものが日本人の魂を忘れて
敗戦後の体制を維持しようとする敵となっていた。当然ながら三島はこの申し出を謝絶した。

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状況を把握できない楯の会に、三島由紀夫の妻瑤子から連絡があり、
三島からの遺書があることがわかる。倉持と堀田が三島邸まで取りに向かう。
倉持宛の遺書と全会員にあてた遺書の2通だった。


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楯の会元メンバー 小野寺彰

先生の遺書は、翌日森田さんの葬儀の時にみんなで回し読みしました。
先生と森田さんたちの行動は、最初で最後の行動だと思いました。
元々楯の会は希望とか展望というものを持つ会ではなく、三島隊長がすべて判断していました。
一回は起つ、一回起ったらもうやらない。その時はもしかして死ぬかもしれない。
みんなそう思っていたのではないかと思います。
ただ、それがどういう行動になるかわからなかっただけです。
ですから、楯の会という名を使った運動はもうできないと思いました。会は解散すべきだと。

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楯の会元メンバー 佐原文東

翌年2月楯の会は解散しました。
みんなで先生の遺書を回し読んで「会としては解散する」と言われ、その通りだと思いました。
あれを境にして全部<個>に帰るべきであると僕は思いました。
つまり、基本的にグループじゃないというのが根底にあるんです。

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楯の会元メンバー 向井敏純

会員の中には「これから楯の会の会員が毎年一人ずつ自決すれば、百年続けられる」
と言った者もいます。私もそれは良い考えだと思いました。
世間を震撼させた三島事件を世の中の人々に忘れられないようにアピールし続けねばと。

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楯の会元メンバー 堀田典郷

堀田は誰よりも会の解散に反対し、「解散反対声明文」も書いた。
「先生に解散と言われて解散するのでは情けないと思った。
ここで解散するのはなく、覚悟を決めて続けようと。
しかし賛同者は少なかった。結局、私も解散に従いました」

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楯の会元メンバー 塙徹二

楯の会の解散に関しては、三島先生がそう言っている以上
それにきちんと従うのがいいんじゃないかという気持ちですよね。
三島先生の命令でもありますし、静かに解散してみんなそれぞれ社会に戻るなり
学校に戻るなりした方が三島先生の遺志に添うんじゃないのかなというのが私の気持ちでした。

基本的にこの事件は、三島先生の個人的な事件だと思っているんですよ。
クーデターをするならもっと違う方法もあったと。
あのやり方では自衛隊も理解できないです。突然ビラ撒かれて、垂幕さげて、演説聞かされて、
立ち上がれ!って言ったって、「それじゃ聞こえない」って野次言うのがせいぜいですよ。
ですから、あれは三島先生の個人的な事件だと考えているんです。
三島先生はずっと死に場所を作らなくっちゃって考えていたんだと思います。
事件後、本を読んでそう思いました。

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by vMUGIv | 2011-03-12 00:00 | 昭和戦後
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