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by vMUGIv
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三島由紀夫 その16

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今上天皇の御学友・作家 藤島泰輔

学習院が伝統的にホモセクシャルの温床であったことは、
それを在学中に限るという但書きつきで私は是認する。
公卿と大名の伝統が混然一体となったこの学校では、
明治以来ずっとその風習が続いて今日に至っている。
<稚児>という言葉は学習院ならずとも使っている共通の専門用語だが、
学習院では可愛がる方の上級生もしくは同級生を指して<稚児親>と言っていた。
そういう事実を真実だとするために必要ならば、
私自身にも稚児親がおり稚児がいたということを告白しなければならない。
三島氏の時代までは、稚児親と稚児の間に相聞歌や恋文のやりとりまであったらしい。

学習院という学校の特殊性は、少年たちが娘たちと交際することよりも
同性の美を讃えることの方に<みやび>を感じていたというところにある。
そして稚児親も稚児も、相互間の献身を最大の美徳となした。

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鎌倉文庫の編集長 木村徳三

代表作『仮面の告白』を発表する半年前ほどの日曜日の午後、
〔三島は〕私の家にやってきた。
私と同じ町内に住むある心理学者を訪ねた帰りだったと言う。
そのとき私は初めて三島君の倒錯性向を聞かされたのだった。
心理学者を訪ねたのも、それについて意見を聞きに行ってきたのだということだった。

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この<ある心理学者>は望月衛である。
望月の日記には、三島と会ったこと、銀座のゲイバー<ブランズウィック>について話したこと
などが書かれている。
ドイツ語が読めた三島は、ドイツの性心理学者マグヌス・ヒルシュフェルトの原書を望月から借りた。

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三島から鎌倉文庫の編集長木村徳三への手紙 昭和24年12月16日

僕、目下寝ても覚めてもブランズウィックのボーイの姿が忘れられず、
溜息ばかり出て思春期が再発したみたい。
恋心っていじらしいものですな、ヤレヤレ。

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新潮社編集者 菅原国隆への取材

『禁色』を書く前の三島が男色酒場に出入りし、
<ユウちゃん>という青年を可愛がっていたのを菅原氏は見ていた。
一時の三島は男色の世界に入り浸った。

昭和25年、執筆のために伊豆大島のホテルに向かう三島の見送りに行くと、
桟橋に花束を抱えた青年が現れて菅原氏を仰天させた。
三島はこの青年を<ユウイチ>とか<ユウちゃん>
と呼んで異様に思われるほど可愛がった。
当時ユウイチはある私大の学生だった。仕事の時以外には絶えず連れて歩いていた。
『禁色』の南悠一の名前が、このユウイチからとられたことは疑いを容れない。

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劇作家・映画『憂国』の演出家 堂本正樹

二人は三島が24歳、堂本が慶応普通部4年生15歳の時に、
銀座のゲイバー<ブランズウィック>で出会う。
ブランズウィックのボーイが、
三島の『中村芝翫論』を読んで絶賛していた歌舞伎好きの堂本を三島に紹介してくれたのだ。

当時私は学生服を着て両手をズボンのポケットに突っ込み、銀座を徘徊していた。
美輪明宏の証言では「正樹ちゃんは典型的な不良学生だった」と言う。


ある日、三島に和食の店に連れて行かれる。
そこで、自分を三島に紹介してくれたボーイが交通事故で死んだことを聞かされる。

私は突然涙に暮れた。三島はさっそく白いハンケチを出して涙をふいてくれた。
「マキはおかしな子だね。人は皆死ぬんだよ」
三島の身体がそのとき寄ってきた。「マキと二人で供養しなくちゃ」
二人は障子の奥の部屋に入った。


彼の死に至るまで、私から彼に電話したり手紙をだしたりしたことはなかった。
次回は常に別れるとき向こうから言う。こちらから会いたいとせがむことはしなかった。
後年同じ劇団の同志になってからは、事務所の決めた一人が連絡係になってくれた。

二人は外に出てタクシーを拾った。何度か行った岩風呂のある宿である。
ここではまず風呂に入る。兄弟ごっこで背中を流す。
切腹。それはここで兄弟の儀式として始まった。
私は紙を巻いた短刀を恭しく受け取ると、上着を粛々と脱ぎ正座する。
兄三島由紀夫は長刀の鞘を払って後ろに回る。
あとは歌舞伎の忠臣蔵の真似で神妙に勤めた。
そこで三島が小さくヤッと声を掛け、首筋に刃が当たる。
私は前にのめって伏し、死んだ。三島が私の死骸を仰向けにしてくれる。
三島は上半身裸になった。長刀を左腹に突き立てる。それから喉笛を掻き切る。
そしてドッと私の死骸の上に倒れ込んだ。
これが私たち兄弟の最初の切腹ごっこだった。趣向を替えて繰り返された。
おおよそは三島の発案で、ずいぶん愉快な設定があった。満州皇帝の王子と甘粕大尉、
沈没する船の船長と少年水夫、ヤクザと学習院の坊ちゃん・・・。

『憂国』を映画にしたいという話が持ち上がったのは昭和40年の1月であった。
鎌倉の澁澤龍彦氏の家に三島が来て、その帰りに耳打ちをされた。
「黙っててくれよ。とかく正樹はおしゃべりだから」
私は興奮を抑えてもう一度澁澤邸に戻った。
『憂国』は、夫婦としてあるのは方便で、実は美少年と美男の構図である。
『憂国』は、確かに私たち兄弟のための神話だった。
二人で組み換え、作り直し、練り上げてきたイメージが
『憂国』に結実している。それを私が演出できるとは。

二日にわたる撮影に、三島と私は帝国ホテルのツインの部屋を取って二泊した。
疲労は激しく、私はすぐ熟睡したそうである。もっとも朝は二日とも、
リハーサルを兼ねて以前の兄弟に戻り、思い切り遊んだ。

そのとき村松剛が私に、
「ほら、三島さんを一人にしちゃいけない。君がそばについていなくては」と言うので、
「それなら親友のあなたでしょう」と答えると、
「いや、こういう時は同じシンユウでもウカンムリに限る」と私を押した。
<ウカンムリ>とは何のことなのか、私にはわからなかった。
あとで三島に尋ねると、
<ウカンムリ>とは<寝友>ということで、村松の秘語だと教えてくれた。
こういうことを言いながら、
あとで村松が三島の同性愛を否定したのは文芸評論家として自殺行為だろう。

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昭和26年12月から三島は初めて海外旅行で世界一周に旅立つ。
ブラジルのリオデジャネイロには約1ヶ月滞在した。

リオデジャネイロの現地案内人を務めた朝日新聞南米特派員 茂木政への取材

茂木の最大の驚きは、三島のおおっぴらな同性愛であった。
三島は決まったように昼間のホテルに
公園でうろついているような種類の17歳前後の少年を連れて来ることだった。
茂木は三島がブラジル青年を伴ってホテルに入ってくるところに出くわした。
色の浅黒いずんぐりした特徴のない男なので、
ふーむ、こういうのが三島君の好みなのかと奇妙に思った。
翌朝顔を合わせると、まったく悪びれずに切り出した。
「ホテルの前の公園でぼんやり座っていたら目が合った。
この世界は、言葉など通じなくとも情が伝わるんですよ」

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昭和34年9月に切腹に造詣の深い作家中康弘通に手紙を送る。

切腹についてのお話しを伺いたい。・・・
切腹資料なるべくリアルな絵画・写真・できれば実況写真などでございます。
お取り揃えいただければ幸いに存じます。・・・


同年10月には京都の中康弘通を訪問する。
若衆や男や女の切腹コレクションを見て心を奪われる。
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昭和41年11月、『憂国』のモデルとなった青島中尉の割腹現場に駆け付けた
軍医川口良平に<切腹後死に至る詳細・臨床的経過および苦情の詳細など>
を手紙や電話で質問攻めにする。
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<私のなりたいもの>という雑誌の企画で白バイ警官に扮する三島
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by vMUGIv | 2015-03-16 00:00 | ヒト
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