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by vMUGIv
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三島由紀夫 その13

◆43歳 自分ではなく川端康成がノーベル賞を獲り、落胆。
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NHK記者 伊達宗克

川端先生のノーベル文学賞受賞が決まった昭和43年10月17日夕方、
私は日本出版クラブで三島さんと待ち合せていた。

三島さんは待たせてあった私の車の中で自宅に戻り、ダークスーツに着替えた上、
今度は瑤子夫人と私の3人で鎌倉の川端邸へお祝いに向かった。
車中での3人の会話はとりとめもないものだったが、
三島さんがふともらした言葉が私の耳に甦る。
「この賞が次に日本人に贈られるのは、少なくとも10年先でしょう」

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作家 瀬戸内寂聴

瀬戸内はテレビ局の取材でポルトガルのリスボンに行く。
そこでポルトガル大使である三島の弟千之と出会う。

大使は毎日のように私を招いて下さった。話はすべて三島さんのことであった。
ちょっと驚いたのは、三島さんが自決の前は川端さんを憎んでいたということであった。
すべてはノーベル賞が原因らしかった。
三島さんの父君の平岡梓氏が、川端さんのことをびっくりするほど悪く書かれているので
なにか三島家と川端さんの間では思いがけない齟齬が生じていたらしいが、
梓氏の文章ではなにか一方的に感情的で
川端さんを悪人呼ばわりしてわけがわからなかった。

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毎日新聞記者 徳岡孝夫

私の親しい編集者が別の話を知っています。
それは三島の父親である平岡梓氏からの直話です。
梓氏によると、川端さんが珍しく午前中に例のコロニアル風の三島邸に来て
昼食をはさんで夕方までいた。
帰ったあと三島さんは同じ敷地内にある両親の隠居所に来てポツリと
「とうとうサインさせられちゃった。僕はいいから、ノーベル賞を川端さんにあげてください
という手紙にサインしちゃった」と言いました。
当時は川端氏はまだ存命中だったので、さすがの梓氏も書けなかった。
だが、「これを書かねば死んでも死にきれない」と言ったそうです。

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三島から川端康成への手紙 昭和44年8月4日 

・・・11月3日のパレードには、ぜひ御臨席賜りたいと存じます。
・・・小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。
小生にもしものことがあったら、・・・それを護って下さるのは川端さんだけだと、
今からひたすら頼りにさせていただいております。・・・

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親友・仏文学者 村松剛

国立劇場の屋上で行われた楯の会一周年記念の式典では、
三島は川端康成に祝辞を述べてもらうつもりでいた。
鎌倉の川端さんの家に行って彼がその依頼を切り出すと、川端さんは言下に
「いやです。ええ、いやです」
にべもない返事なんだよ、と三島はその口調を真似しながら言った。
断られるとは思っていなかったので、打撃は大きかったのである。
川端さんは政治嫌いだからと言って慰めると
「だって、今東光の時には応援に走り回ったじゃないか」
選挙の応援はともかく、
楯の会にまではついて行けないというのが川端康成の立場だったろう。

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三島の唯一の女友達 湯浅あつ子 『鏡子の家』の鏡子のモデル

それと、ノーベル賞のことは大きいですね。
あれは三島由紀夫にとって大きなショックだったと思いますから、
もしかすると一因になっているのではないでしょうかしら。
だって、自分では当然受けるつもりで授賞式用の礼服まで誂えちゃって、
はた目にもおかしいほどウキウキしてたんですから。
それが、恩師として立てていた人に横から取られちゃった形で、
私たちの前ではずいぶんくやしがっていましたし、恨んでもいました。

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川端康成を葬儀委員長とすることに三島の家族は難色を示したが、
葬儀の世話役松村剛のとりなしで川端が務めた。


右から 川端康成 瑤子夫人 父 母
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by vMUGIv | 2011-03-13 00:00 | 昭和戦後
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