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by vMUGIv
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三島由紀夫 その14

◆昭和42年 1967 42歳

◆01月 『論争ジャーナル』
『英霊の声』を書いてから、俺には磯部一等主計の霊が乗り移ったみたいな気がするんだ。
書斎から刀を持ち出して抜き
刀というのは鑑賞するものではない、生きているものだ。
この生きた刀によって60年安保における知識人の欺瞞をえぐらなければならない。


昭和43年 1968 43歳


◆『論争ジャーナル』事務所で三島含む11人が血判状を作る。
楯の会結成。
一橋大学・早稲田大学・茨城大学でティーチイン。
都内各所で学生運動の衝突現場を見学。
自分ではなく川端康成がノーベル賞を獲り、落胆。


◆02月26日(2.26)
論争ジャーナル事務所で血判状を作る。
<・・・剣を持って起つことを大和魂をもって誓う・・・>
本名平岡公威で血書・血判
血杯


◆05月 
山本舜勝による講義と演習 
約1週間変装したり尾行したり張り込んだりの街頭訓練


◆10月05日
楯の会結成の記者会見。
制服を着た40人とともに


◆10月21日 
国際反戦デーのデモを新宿で取材。


昭和44年 1969 44歳


◆05月12日 
東大にてティーチイン。


◆06月 
映画『人斬り』に出演。切腹シーンあり。


◆08月 
楯の会分裂騒ぎ


◆10月 
川端康成に楯の会1周年パレードの参加を断られる。


◆10月21日 
国際反戦デーのデモを新宿で取材。昨年と比べて失望。


◆10月31日 
楯の会幹部 自宅 三島は実行困難と答える。


◆11月03日 
結成1周年パレード。


◆12月08日~11日 
北朝鮮武装ゲリラと124部隊の調査で韓国に行く。


昭和45年 1970 45歳


◆01月14日 
自宅にて最後の誕生日パーティーを開く。


◆03月 
三島と森田との間で決起計画が進行。


◆05月15日 
森田・小賀・小川を自宅に呼び、
楯の会が自衛隊とともに国会を占拠する計画を打ち明ける。 


◆06月13日 
ホテルオークラ客室で計画の打ち合せ。
「自衛隊は期待できないから、自分たちだけで計画を実行する」と三島が言う。
市ヶ谷駐屯地で、東部方面総監を人質にし、自衛隊員を集合させて三島の主張を訴え、
賛同する者を募って共に国会を占拠するという計画となる。


◆06月 
クラウンレコード 楯の会の歌・英霊の声


◆06月21日 
山の上ホテル客室で計画の打ち合せ。
人質を東部方面総監から第32普通科連隊長に変更。


◆06月30日 
『仮面の告白』『愛の渇き』の著作権を母親に遺す
という内容の公正証書による遺言書を作成。
もともと今までこの2作品の印税は両親に渡していたからである。


◆07月05日 
山の上ホテル客室で計画の打ち合せ。
決行日を11月の楯の会例会日に決定。


◆07月11日 
当日使う中古の白いコロナを20万円で購入。


◆07月下旬 
ホテルニューオータニのプールで計画の打ち合せ。


◆08月01日~20日 
毎年恒例の下田に家族で避暑。


◆08月28日 
ホテルニューオータニのプールで計画の打ち合せ。
実行メンバーに古賀を追加することになる。


◆09月01日 
計画に古賀が賛同したため、実行メンバーは三島・森田・小賀・小川・古賀の5人となる。


◆09月09日 
古賀と銀座のフレンチレストランで食事。11月25日決行を伝える。


◆09月15日 
両国の猪料理店で計画の打ち合せ。


◆09月25日 
新宿伊勢丹会館のサウナで計画の打ち合せ。


◆10月02日 
銀座の中華料理店で計画の打ち合せ。


◆10月17日 
元メンバー持丸博が保管していた
楯の会結成前に『論争ジャーナル』事務所で作った血判状を持ってこさせ焼却する。


◆10月19日 
制服姿の5人の記念撮影。


◆11月03日 
六本木のサウナ・ミスティで計画の打ち合せ。
「全員自決するつもりだったが、小賀・小川・古賀の3人は生きて人質を護衛せよ」
〔自決するのは三島と森田の2人だけ〕と三島に言われ、
死ぬ覚悟で身辺を整理してきた3人は複雑な思いを抱く。


◆11月12日~11月17日 
三島由紀夫展開催


◆11月13日 
夫妻で長男の学校参観へ。


◆11月14日 
六本木のサウナ・ミスティで計画の打ち合せ。


◆11月15日 
背中に唐獅子牡丹の刺青を彫るため二軒の刺青師に打診するが、
どちらからも決行日までには間に合わないと断られあきらめる。
刺青の件は他メンバーには知らせていなかった。


◆11月19日 
新宿伊勢丹会館のサウナで計画の打ち合せ。


◆11月20日 
写真集『男の死』に使う写真を選ぶ。しかし死後出版中止となった。


◆11月21日 
銀座の中華料理店で打ち合せ。
森田が第32普通科連隊長の予定を確認したところ25日は不在とわかり、
人質を東部方面総監に変更した。
三島はすぐに益田総監に電話をして11月25日11時のアポを取る。
刀を2本にするか1本にするか議論したが、
日本刀は一本にしたほうが美しいとの結論に達する。


◆11月23日 
パレスホテルにて当日の練習、必要品の準備。
白布に墨で檄を書き、七生報国のハチマキを作ったりなどする。


◆11月24日 
パレスホテルにて当日の練習、辞世の句を詠む。
料亭にて5人の最後の宴。
毎日新聞の徳岡記者・NHKの伊達記者に明日11時に取材に来てほしい、
詳細は明日再度連絡すると電話をかける。両名了承する。
新潮社編集者小島千加子に明日10時半原稿を取りに来るように電話をかける。
夜、両親の部屋におやすみの挨拶に行く。


左から 森田必勝 古賀浩靖 小川正洋 小賀正義
手前が三島
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◆11月25日水曜日 事件当日


■朝 
瑤子夫人は二人の子供を学校に送った後、乗馬のレッスンへ。
母親は調停委員として家庭裁判所へ。父親のみ在宅。


■08:00 
三島起床。死に化粧として入念に髭剃りをする。
新品の六尺ふんどしを締め、楯の会の制服を着る。


■10:05 
徳岡記者と伊達記者に11時に市ヶ谷会館に来てほしいと電話をかける。


■10:13 
小川の運転で4人が乗った白のコロナが三島宅に迎えに来る。
『天人五衰』最終回の原稿を小島編集者に渡すよう女中に預ける。
日本刀と道具類が入ったアタッシュケースを持って玄関を出る。
父親が窓から後姿を見る。


■車が発進した後、「あと3時間で死ぬなんて考えられんな。これがヤクザ映画なら
ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるんだが、
俺たちは意外に明るいなあ」と三島が唐獅子牡丹を歌い始めたので全員で歌う。


■10:40 
小島編集者が原稿を取りに来る。
女中が三島はもう出かけたと伝えて原稿を渡す。
三島から直接渡されると思っていた小島編集者は違和感を感じる。


■10:45 
徳岡記者と伊達記者が市ヶ谷会館にそれぞれ到着、ロビーで待つ。
もともと当日は10時半から楯の会の定例会だったため、会員88名中33名が参加していた。


■10:58 
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地正門を入る。
門衛にアポイントメントを取ってある旨をを伝えて通過。
本館正面玄関前に到着、沢本三佐が出迎え2階の総監室に案内する。


■11:00 
総監室で待っていた益田総監が執務机の席を立って三島たちを迎える。
三島は「今日は市ヶ谷会館で楯の会の例会がありますので正装で参りました」
と挨拶してから、「この者たちを表彰するのですが、
その前に一目総監にお目にかけたいと考えて連れて参りました」と4人を紹介する。


■11:03 
総監は三島と向き合って座り、4人には別の椅子に座った。
「先生はそのようなもの〔軍刀〕を持ち歩いて警察に咎められませんか」
「この軍刀は関の孫六を軍刀づくりに直したもので登録しております。
登録証を御覧になりますか?」三島は登録証をに示すとともに軍刀を抜いた。
「小賀、ハンカチ」と三島は言った。この言葉を合図に行動に出るはずであったが、
総監がちり紙を取ってきてやろうとして執務机に移動してしまう。
とりあえず三島は小賀から受け取ったハンカチで刀身を拭い、
軍刀を戻ってきた総監に手渡す。
総監は刀をじっくり眺めてから三島に返す。「いい刀ですね。三本杉ですね」
軍刀を受け取った三島は再び刀身をハンカチで拭い、小賀にハンカチを返した。
ハンカチを受け取った小賀は、総監の後ろに回ると腕で総監の首を絞めた。
そしてハンカチで口をふさぎ猿轡をした。
「三島さん、冗談はよしなさい」総監は抵抗しながら言った。
三島は抜き身をかざして総監を睨んでおり、
小川と古賀が総監の両手両足をロープで縛った。
「なぜこのようなことをするのか。私が憎いのか、自衛隊が憎いのか」
総監は抵抗しながら問いかけたが、椅子に縛りつけられる。
その間に森田が総監室の正面・幕僚副長室に続く西側・幕僚室に続く東側の3ヶ所のドアに
バリケードを築いた。
日の丸に七生報国と墨で書いたハチマキを全員が締めた。


■11:05 
市ヶ谷会館で待っていた徳岡記者と伊達記者に楯の会メンバーが三島からの手紙を渡す。
中には、檄文と5人の写真と私信が入っていた。
<・・・同封の激および同志の写真は警察の没収を恐れて差し上げるものですから、
何卒うまく隠匿されたうえ自由に御発表ください。
檄は何卒ノーカットで御発表いただきたく存じます。・・・>
写真は集合写真1枚・各人の写真5枚・そして森田の分だけ夏の制服を着た写真が1枚。
私信から互いにもう一人の記者がいると知った両名がお互いを見つけて合流する。
徳岡記者は三島の手紙を靴下の中に隠し、伊達記者はブーツの中に隠す。


■11:10 
総監室の異常に気づいた沢本三佐が幕僚室の原一佐に報告、
二人で正面ドアを開けようとしたが開かず、「入るな」と中から怒鳴られる。
ドアの下から「要求書」が渡される。要点は以下の通り。

●市ヶ谷駐屯地の全自衛官と市ヶ谷会館にいる楯の会メンバーを
本部玄関前に集合させること。
●三島が檄を散布し、演説するのを認めること。その間妨害を一切行わないこと。
●以上のことが守られるなら総監は無事引き渡す、
守られなければ即座に総監を殺害して自決すること。


■11:12 
防衛庁本庁に連絡、警察に通報することが決まる。
通報を受けた警視庁では公安第1課が臨時本部を設置、
機動隊120人と私服警官150人に衆道命令を出す。


■11:15 
西側ドアから自衛官5人が突入、
「出ろ、出ろ、外へ出ないと総監を殺すぞ」と三島は叫ぶと日本刀で斬りつける。
東側ドアから自衛官7人が突入、
「邪魔するな。出ていかないと総監を殺すぞ」と三島が答えてこれにも斬りかかり、
森田は短刀、小川は特殊警棒、古賀は椅子を投げて乱闘となり、
自衛官7人が負傷したので全員退去する。


■11:20 
牛込警察署長が到着。
高窓から中をのぞき「暴挙はすぐにやめなさい」と警告を繰り返すが、
三島は睨み返すのみ。


■11:25 機動隊一個中隊到着。報道機関がこれを知り動き始める。

廊下側の覗き窓のガラスを叩き割り、吉松幕僚副長が説得を続ける。
「今日は自衛隊に奮起を促すために来た。演説させろ」
などと三島は要求を主張し続ける。


■11:33 吉松幕僚副長が三島らに演説を許すことを伝える。
「君は何者だ。どんな権限があるのか」と三島が尋ねたので、
吉松幕僚副長は自分が現場の最高責任者だと答える。
三島はホッとした表情を見せて
「12時までに集めろ。13時30分まで一切の妨害行動をするな」と言った。
警官が中を覗くと「覗くな」「入ると殺すぞ」などと全員の怒号が飛び、
窓を黒布で覆った。


■11:40 
市ヶ谷駐屯地全自衛官に本館前に集合するようマイクで指示が流される。
徳岡記者と伊達記者が市ヶ谷駐屯地に到着。
100人ほどの自衛官が思い思いに立っていた。
それからすぐ自衛官は800人ほどになった。

新潮社に着いた小島編集者が封筒から原稿を取り出すと、
最後のページに<『豊饒の海』 完 昭和45年11月25日>と記されていた。
担当編集者である小島はもう完結するなどと聞いていなかった。
これでは入稿できない、三島に確認しなくてはならないと焦っていると、
テレビに三島を名乗る男が市ヶ谷の自衛隊に押し入ったというニュースが流れ始めた。


■11:55 
森田と小川が総監室の前のバルコニーに出て
6項目の要求を書いた垂幕を下げ、檄文十数枚を撒いた。


■12:00 三島と森田がバルコニーに登場。三島はマイクを使わずに演説を始める。
森田は一歩退いた位置に立っていた。自衛官の反応は冷ややかでさかんに野次を飛ばす。
報道機関のヘリコプターの音で三島の声は聴き取りにくい。
「隊員を静かにさせろ。静かにさせないと総監を殺す」などと原一佐に要求する。
報道陣が次々と到着、テレビ・ラジオが三島由紀夫が自衛隊に乱入と報道し始めた。

自宅にいた三島の父親は正午にテレビをつけて事件を知る。

いつまでも三島が来ないことを不審に思った市ヶ谷会館の楯の会メンバーは、
ラジオをつけて事件を知る。すでに市ヶ谷会館は警官隊に包囲されていた。
警棒を振り回して警官隊の包囲を突破しようとした西尾・今井・田中の3人が
公務執行妨害で逮捕される。
残りのメンバー全員は天皇陛下万歳を三唱したあと、参考人として警察に連行される。

三島の演説は続く。
「4年間待ったんだ。最後の30分だ」
「諸君の中に一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか」
野次<そのために、我々の仲間を傷つけたのはどういうわけだ>
「抵抗したからだ」 激しく野次が飛ぶ。
「一人もいないんだな。それでも武士かァ!それでも武士かァ!」
「諸君は憲法改正のために立ち上がらないと見極めがついた。
これで俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ。それではここで俺は天皇陛下万歳を叫ぶ」
三島は森田とともに天皇陛下万歳を三唱して、バルコニーから姿を消す。


■12:10 三島と森田は総監室に戻った。部屋に戻るなり三島は服を脱ぎながら
「仕方なかったんだ」「あれでは聞こえなかったな」とつぶやき、
総監に対して「恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです」と言った。
上半身裸になるとバルコニーに向かって正座した三島は、
叫びながら両手で握った鎧通しを左脇腹に刺した。
切腹と介錯の間に自らの血で色紙に<武>と書く予定だったができなかった。
森田が三島の首に刀を振り下ろした。三島の首は半分ほど切れ、身体は前に倒れた。
古賀らが「もう一太刀」と言い、続けて二度森田が斬りつけるも介錯しきれなかった。
総監は「介錯するな」「とどめを刺すな」と叫んだ。
森田から「浩ちゃん頼む」と言われた古賀が森田の刀を取って介錯を果たした。
小賀が三島の握っている鎧通しを取って血を拭い、首と胴を繋ぐ皮を切り離した。

次に森田が制服を脱ぎ三島の横に正座した。森田の介錯は小川がする予定であったが、
小川は正面ドアを押えていて離れられなかった。そこで森田は古賀に介錯を頼んだ。
森田は三島の血のついた鎧通しを腹に刺し、古賀が一太刀で介錯した。

3人は2人の遺体を仰向けにして制服をかけ首を並べて安置した。
戦時中友人の自決を見守ったことのある総監は
「君たち、おまいりしたらどうか」と言った。
3人は合掌しながら泣いた。「もっと思い切り泣け」と言った総監は縄を解かれると、
「自分にも冥福を祈らせてくれ」と言って2人の首に向かって正座し、瞑目合掌した。


■12:20 
3人は総監とともに部屋を出て、日本刀を自衛官に渡し、警官に逮捕された。


■12:23 
警官が総監室に入り、三島の死を確認。


■12:30 
記者会見。報道機関が2人の死を一斉に報道。


■17:15 
2人の遺体が牛込署に運び込まれる。


■夜 
瑤子夫人が楯の会メンバー倉持清に三島の遺書を渡す。
倉持宛の遺書が1通、楯の会全員宛の遺書が1通。


◆11月26日 
慶応大学病院で解剖のち遺体が自宅へ戻る。夜自宅で密葬。
諦聴寺で森田の葬儀。ここで楯の会全員宛の遺書を回し読みする。


ちなみに三島は最期まで知らなかったが、
当日は第32普通科連隊長だけが不在だったのではなく、
約1000名の前衛部隊のうち約900名がともに演習に出ていた。
バルコニー前に集まったのはほとんどが後方支援の自衛官であった。
前衛部隊の自衛官がいたら共に立ち上がったか、
逆に三島が切腹できずに鎮圧されていたか、それは分からない。
しかし、マイクやメガホンを準備していなかったことから、
最初から死ぬことだけが目的だったと思われる。
なお決行日が11月25日となったのは、
単に新潮の原稿締切日が毎月25日だったからである。


昭和46年 1971


◆01月24日 
築地本願寺で葬儀。


◆02月26日 
楯の会解散。


昭和47年 1972


◆04月27日 
18回の公判の結果、古賀・小賀・小川の3人に懲役4年の判決が下りた。


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by vMUGIv | 2011-03-14 00:00 | 昭和戦後
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