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太宰治 その10

★愛人 太田静子 『斜陽』のモデル
1913-1982 大正02-昭和57 69歳没


■父 開業医 太田守


■母 上之畑キサ


●馨  医者
●静子 
●武
●通


◆大正02年 滋賀県生まれ。
◆愛知川女学校卒業後、東京の実践女学校家政科に進学。
ところが勝手に国文科への転科手続きをしたことが両親にバレて退学させられてしまう。
しかし静子は東京で学生をしている弟の通の下宿に同居して滋賀には帰らなかった。
◆昭和13年 25歳 父が亡くなったため家族も上京。弟の武の友人計良長雄と結婚する。
◆昭和14年 26歳 娘満里子を出産するが死亡。
◆昭和15年 27歳 計良と離婚。
静子が太宰31歳にファンレターと小説を送ると返事が来たため、
静子は金子良子・児玉信子と3人で太宰宅を訪問し、二人は不倫関係となる。
◆昭和18年 30歳 太宰が神奈川県に疎開していた静子を訪ねる。
◆昭和22年 34歳 終戦を挟んで3年ぶりに太宰と再会。
太宰から頼まれて『斜陽』の原案となる日記を太宰に渡す。
この時に妊娠した静子は弟の通と二人で太宰を訪ね妊娠の相談をするが
太宰38歳は冷たい態度だった。二人が顔を合わせたのはこの日が最後であった。
静子は一人で娘を生む。弟の通が太宰を訪れ、子供の認知と命名を要求する。
太宰は認知証を書いて<治子>と命名する。
◆昭和23年 35歳 太宰39歳が愛人山崎富栄29歳と入水心中したことを知る。
太宰に渡した日記『斜陽日記』を刊行。しかし逆に『斜陽』からの捏造ではないかと疑われる。
以降食堂などで働き女手一つで治子を育てる。


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太田静子の滋賀県時代のご近所さん・勝光寺の住職 野田暁春

太田先生のお家は万事がハイカラでした。往診の自動車はパッカードでした。
オースチンの時もありました。
三千坪近い敷地には紅白の蓮池があって、それぞれボートが浮かんでいました。
洋風のガラス張りの玄関を入ると、ピカピカに磨き込まれた廊下が長く続いていました。
静子様のお部屋は太田先生のお家の中でもとびきり明るく感じられました。
お部屋には蓄音器が置いてあって、レコードは別の部屋に並んでいました。
ブラームス・ベートーベン・ショパンと、
毎月のように京都でレコードを買っていらしたのでしょう。
レコード鑑賞の後はきまって紅茶とケーキをいただきました。
当時はこのあたりのどの家でもケーキを食べることなど考えられませんでした。
まことに夢のようでした。
静子様がどんなにか苦労されたというお話を聞いても、
私にはどうしてもそのお姿が浮かんでこないのです。

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作家尾崎一雄夫人 松枝

疎開先の山での勤労奉仕の時にも、
皆がそろってモンペ姿の中で静子だけがサンダル履きの洋装だった。
非国民を絵に描いたような姿に松枝もビックリした。

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他にもモンペではなくズボンをはいてバーバリーのレインコートを羽織って勤労奉仕に行き、
国民学校の男子生徒から「スパイだ、スパイだ」と囃し立てられてもいる。


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愛人太田静子の娘 作家太田治子

母は太宰のことを<太宰ちゃま>とメルヘンの主人公のような呼び方を私にさせていた。
「太宰ちゃまは偉い小説家だったの。ある日女の人と川に落ちてしまいました。
ハボタン〔治子の愛称〕も、水の中に落っこちないように気をつけてね」

「太宰ちゃまを信じて、私は言われるままに日記をお渡ししたのよ。
でも日記を渡す時は悲しかった」
母は『斜陽』の元になった日記のことを、何度も繰り返しそう話した。
「太宰ちゃまは悪魔だったのね。いいえ、神様だったのよ。
『斜陽』の中に私も生かされているの」 そう言いながら、きまって泣き声になった。

母は至って温和な性格であった父親の太田守のことを<まんもる様>と呼んでいた。
母親のことはフルネームで<太田きさ様>と呼んでいた。
太田きさ様はもの静かな女性だった。
しかしまんもる様が急死すると、三千坪近い滋賀の家を人手に渡して
子供たちのいる東京へサッサと向かうという大胆さがあった。
弟の武の勤める東芝の同僚と結婚後2ヶ月も経たないうちに別居した母が、
女の赤ちゃんを生んだのはその頃のことだった。
生まれつき身体が弱かった赤ん坊の満里子は、生後まもなく肺炎で息を引き取った。
相手の熱意にほだされての結婚だったが、母の方が気に入っていた
見合い相手のフランス帰りの画家のことを嫉妬しては手を上げた。
2ヶ月足らずで太田きさ様のもとに逃げ帰ったものの、お腹には赤ちゃんが宿っていた。
離婚したくても満里子が生まれてはそれができなくなった。
冬なのに窓を開けたまま、赤ん坊の枕元で呆然と夜を明かすこともあったという。
そのせいで肺炎になったのかもしれないと、彼女は苦しんだ。離婚して
太田きさ様との二人暮らしが始まってからの母は、小説を書きたいと思うようになった。

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愛人太田静子への取材

この稿を書くために、私は何回か静子さんの渋谷のアパートを訪ねた。

日本郵船で機関長をしていた叔父からMという画家との交際を勧められた。
Mはパリ・アントワープ・リヨンなどを転々としながら画業に打ち込んでいた
二科系の洋画家で、静子さんより一回り年長だった。
帰国したMと見合いをし交際が始まる。
ゴーギャンを思わせるようなMの野性味とたくましさに魅かれ、
Mも静子さんの童女のようなナイーブさが気に入ったが、
静子さんの家族はこの結婚に反対した。
生活の面でも、性情的にも、Mは不安定に見えた。
たまたま弟武さんの同僚の京大を出た電機会社の社員との間に縁談が持ち上がり、
母や兄弟たちは乗り気になった。静子さんは家族の強い希望に負けた。
昭和13年12月に結婚して新居を構えたが、この結婚生活は長くは続かなかった。
静子さんはMへの想いが残り、そのことをふと夫にもらした。
それ以来夫婦の仲は急速に冷え、暗い毎日が続いた。
女の子が生まれた。満里子と名付けたが、一月足らずで死んだ。
もう夫との生活を続けていることはできなかった。
静子さんは母のもとに帰り、やがて協議離婚した。

昭和16年9月の半ば、静子さんは太宰を訪ねた。
その時友人の一人が「あなたは太宰さんにお会いすると何か起こるのではないかしら。
ただでは済まないような気がする」と言った。
3ヵ月ほど後、太平洋戦争が始まって10日ほど経ったある雨の日、
突然太宰から電報が来た。『2時 東京駅 太宰』という簡単な文面だった。
時計を見ると01時10分だった。静子さんは大急ぎで紫の絞りの着物に着替えて家を出た。
東京駅に着いたのは02時半をまわっていたが、
二重廻しを着た太宰は駅前の花屋の横に寒そうに立っていた。
中央線で新宿に出て、武蔵野館でシモーヌ・シモンの映画『乙女の湖』を観て
日本料理店で御馳走になった。
太宰は静子さんにシモーヌ・シモンに似ていると言った。

その次やはり電報で呼び出されて会った時、
母がなにか勘付いて心配しているようだと静子さんが言うと、
太宰はこれからはそちらから手紙で日時と場所を連絡してほしいと言った。

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愛人太田静子の娘 作家太田治子

太宰の死後3ヶ月が経った頃、家事裁判所から遺産放棄の申述書の書類が送られてきた。
そのおよそ3ヶ月前、
津島家の代理として井伏鱒二氏・今官一氏・井馬春部氏が誓約書を持参した。
そこには金10万円也を受領することで、
今後一切津島家に対し金銭権利等の要求をしないようにと明記されていた。
その10万円は半年も経たないうちに雲散霧消してしまった。
母は小説を書くからと言って依然としてお手伝いさんを雇っていたのだ。
どうやってお金を儲けたらよいのか、しっかりと考えた形跡はない。
今まで一度も働いたことがないのである。
文章を書いて生活したいと夢のように思っていた。

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by vMUGIv | 2014-05-10 00:00 | 昭和戦前
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