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by vMUGIv
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森鴎外 その12

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鴎外の後妻 森しげの小説 『あだ花』 明治43年1月発表

しげの最初の結婚のモデル小説である。

官僚の娘で美貌の井上富子には多くの縁談が舞い込んだ。
平凡な夫ではなく何か特色のある人物を夫にしようと思う富子は、
多くの縁談の中から豪商の息子橋尾達三郎という美男と見合いをして婚約した。
ある日達三郎が芸者と深い仲であることが新聞に載った。
富子の両親は心を痛めたが、富子は特に嫉妬も何も感じなかった。
橋尾家が芸者とのことは過去のこととして懇願するので、
富子の家も折れて結婚式が挙げられた。
しかし結婚間もなく達三郎は外泊するようになる。
女からの手紙が袂に隠されていたりもする。
達三郎にすれば嫉妬しない富子に対する当てつけなのだが、
当の富子は何も気づかない。
富子には何の不満も無い結婚生活だったのだが、
実家から付いてきた女中が達三郎の放蕩を報告したため
実家から叔父が迎えに来て富子を実家に連れて帰ってしまう。
たった15日間の結婚生活であった。

富子の方ではこんなことを思つてゐた。
東京で有名な金持ちなら、日本で幾たりと言はれる財産家だ。
かう思つて橋尾の息子と向島の百花園で見合いをしたのである。
類のなるだけ少ない人をと思つてゐる富子は男なんか片目でも菊石でも驚かないとまで
極端な考へをしてゐたが、見合いをして橋尾の息子の美しいのには驚いた。
富子はずいぶん器量自慢の娘だ。仲人の奥さんが達三郎さんと富さんなら
実に好い取り合わせだと言つたのを、いかにもさうだと思ふわけにはいかなかつた。
いよいよ橋尾の達三郎を夫に持つとして見れば、
はじめ思つた金持ちで類がないといふ資格に
今一つ容貌で類がないといふ資格が加はつてくると思ふのである。


ある朝、富子は御飯を済ませて新聞を読み始めた。すると紙上でこんな記事を見出した。
日本橋芸者のおカネは、下谷辺の金持ちの息子で達三郎といふ好い男を生捕って
大浮かれに浮かれてゐると書いてあるのである。
富子はこれを読んでもわずかも驚かない。嫉妬といふやうな心持も起こらない。
富子は達三郎が芸者をどうしようと別に心配をしない。
富子は男の顔を気をつけて見るやうにはなつてゐるが、
それはただ美しいと思つて絵を見るやうな心持になつて見るのである。
恋愛といふものは無い。恋愛が無いので嫉妬も無いのであらう。
富子はさういふ風で平気でゐるが、この記事を見た両親の心配は一通りではなかつた。


井上家の書生との会話
「富子さん、僕は少し話がありますがね。あの達三郎といふ人のことですね。
新聞にあんな記事が出ましたが、あれが事実でもあなたは行くのですか」
「さうね。芸者がどうとかだといふのでせう。
どうせああいふ境遇の人はそのぐらいの事はあるものなのではないでせうか」
「あなたはいったいどんな考へで夫を決めたのです」
「わたし本当はよくは分からなくてよ。ただどうせ夫を持たなくては済まないのだが、
つい平凡な人を持ちたくはないでせう。なにか特色のある人をと思ふの。
そこでいろいろ考へてみるうちに、
つひ位だの学だのといふ方面から富といふ方面に転じてしまつたの」
「さうすると富なんといふものを、
学やなんぞと同じやうな価値のあるもののやうに思ふのですね」
「さうよ。金持ちにだつて容易くはなれないわ。
それに初めわたしの考へにはまるでなかつたことなのですが、ずいぶん美しい人なのよ。
美もやっぱり一つの特色ではないでせうか」


父の弟である叔父との会話
「義姉さん、橋尾の方は断ることに決まりましたか」
「いいえ、まだはつきり決まりませんの」
「何をぐづぐづしてゐるのだろう。金持ちなんてくだらないではありませんか。
あまり貧乏でも感心しないが、
橋尾の財産のやうに金といふものがたくさん入るもんではないのですよ」
「さうですとも。それにわたしは達三郎の年の若すぎるのが心配でね。
あの年頃では何がなんだか分かるものではありませんからね。当分はまあいいとしても、
富子が後になつてから苦労をするやうなことがありはしなからうかと思つてね」
「僕はどうも橋尾へ行くのは感心しないのだよ。
痛いこと知らずの金持ちの息子を夫に持つのが幸せだと思ふのかい。
金持ちのお嫁さんといふものが良いものだとは僕なんぞには思はれない」
「だつて叔父様、わたしは洋食が食べられませんもの。
交際社会へ出る人の所へは行かれませんわ」
「洋食が食べられませんものは振ってゐるね。
何爵夫人になつて交際社会へ出るのも幸せではない。大人物を夫に持つのも考へものだ。
お前は好い女だと思つて虚栄が出てゐる。それはいけない。
つまり僕なんかはお前の悪く言う平凡な人が一番良いと思ふのだ。
特色もない代りに欠点もない人の所へ行くのがお前のために幸せなのだ。
華々しいことはなくつてもしつかりとした人で、お前を愛して保護してくれる人が良い。
富だの位だのより、夫には適当な人物を選ばなくてはいけない。
金持ちの息子が女の好いくらいを有難がるものか。すぐ変わつたのが欲しくなる」
「叔父様あんまりよ。
わたし女の好いのを有難がられに橋尾へ行かうと思つたのではなくつてよ」
「お前がさう思はなくつても、女が悪ければ橋尾ではもらわない。
しかし綺麗な女を幾人でも勝手に手に入れることのできる橋尾へ行くより、
相応な家へ行つた方が御自分のためだ。お前は求めて苦労をするのだ。馬鹿な奴だなあ」


仲人鶴岡夫人との会話
「ほんとうに先だつてからの新聞のことで大変おつ母さんにも御心配をかけましたわね。
おつ母さんにもよくわけをお話し致しますがね、
橋尾さんの方でも今日になって息子が不品行だからといって、
嫁の里から破談を申し込まれては困るとおっしゃって大変な御心配なのです。
なに、なんでもない事なんですよ。
よつぽど前にちよつと冗談を言つたことがあつたのをあんな風に書いたのださうですの。
達三郎さんも、いつそ僕がこちらへ行つて話してもいいのだが、
きまりが悪いなあなんかと言つてゐましたつけ」
達三郎はかう言つたというのである。
『私もあの女と再び関係する様なことは決してありません。大丈夫です。
富さんをもらう以上は、自分の身と同じやうに大事に保護してあげますから安心して下さい』
これで橋尾問題は一頓挫には出会ったものの、とうとう決まった。


初夜のこと
しかし、ああこの顔。この顔がどうして夕べは恐ろしくなつたのだろう。
美しい美しいと思つてゐた人の顔が、忽然異様に醜くなつたのではつと驚く。
もしや病気かと慌てて枕元にあつた湯冷ましを勧める。正直な看護婦の心である。
里の母に用があると言ひ出す。もうとつくにお帰りになつたと言はれる。
そんなら付いてきた女中をと言ふ。花が寒さうな寝巻姿で出て来る。
それを帰さずに置いたので、花はぶるぶる震へてゐたのである。


翌朝、達三郎との会話
「俺はものを隠すの嫌だから話すが、実は俺の両親にもお前の御両親にも
あの女と関係を断つた様に言つたが、まったくさうはいかないのだ。
いいだろう。商売には似合はない可愛い女だからね、お前も可愛がってやっておくれ」
「わたくしが可愛がってはおかしかないでせうか」
「なに、おかしかないよ。俺も無闇に惚れられたものだから仕様がないのだ」
花嫁に対しての話としてはずいぶん変わつた話である。
しかし富子には嫉妬などは起こらない。
嫉妬といふものが起るほど情生活が発展してゐないのである。


達三郎の思い
達三郎はふいとおカネのことを思ひ出した。
たとひ女房は持つてもお前は一生見捨てないと堅い約束をして、
今度のことが起つてから痩せるように苦労するおカネをやつとのことで承知させたのである。
そんな面倒な思いをして持つたこの女房がどうも無神経なやうに思はれてならない。
男に目の肥えてゐる玄人のおカネが命懸けで惚れてゐる俺ではないか。
その俺を亭主に持つて別段ありがたいとも思つてゐないやうだ。
貧乏士族の娘のくせにあまりいい気になつてゐる。ああ、つまらないと思つた。


女中花との会話
達三郎が帰つてきた。
「男は行きたいと思ふと我慢ができない。すぐ行かなくつてはならないものだ。
女とは違ふ。仕様のないものだねえ」
「わたくし女でも行きたい所へはすぐ行くのが好きでございますわ」
「お前さん達の行きたい所とはすこし違ふよ」
達三郎はかう言つてひとり笑つた。

翌日から達三郎は父の橋尾銀行へ出勤した。
この銀行通ひを富子は無心で送り無心で迎へてゐるが、
達三郎が銀行の退ける頃に帰つてきたのは最初の二三日だけで、
おいおい11時になり12時になる。しまひには泊まつてくる日もあつた。
ある日女中の花がかう言った。
「若旦那様のお召をたたみますと、お袂にいつも芸者の手紙が入っております」

達三郎は寝巻に着替へて、今まで着ていた着物を富子の前へ投げ出した。
「この着物は綻びてゐるから縫つておいておくれ」
「わたくし裁縫が下手ですわ」
「そこの破けてゐる所を直すぐらい難しくはないだらう」
達三郎は大きな足音をさせて出て行つた。
「花、このお召を縫つておくれよ」
「そのお袖にも、きつと手紙が入つておりますわ」
花は袂を探つてゐたが、果たして一本の手紙を取り出して富子に見せた。
○○とかいふ待合で待つてゐるといふ女の手紙である。
富子はちよつと見たが、別に何とも思はないらしい様子である。
二人とも世慣れない娘である。
達三郎がこの手紙を袂に入れて綻びを繕はせに出した真意を知らうはずがない。
ただ無頓着か物忘れかのやうに思つてゐる。
競争者のあるのを知らせて女を刺激するとか口説きの種をまくとかいふ手段が、
達三郎のやうな性の男には尋常のことであるとは知らない。


やきもきする周囲
ただ富子は妹が遊びに来るのを待つてゐる。
そして今日か明日かと思ふのに来ないので、どうしたことかと思ふのである。
富子はこんなことばかり思つてゐて、
達三郎が次第に夜更けてから帰るやうになつたのを別に何とも思はないのである。
富子と達三郎とが夫婦になりながらどうも夫婦らしくないといふことは、
夜遊びに耽る達三郎の挙動から人の注意を促して
橋尾家では老夫婦の間に幾回かの秘密な対話があつた。
達三郎が参考に呼び出されたこともあつた。しかしどうも要領を得なかつた。
また富子の里では女中花の通信でやはり夜遊びのことを知つて、
ここでも井上老夫婦の間に幾回かの秘密な対話があつた。
こちらへは媒介をした鶴岡の奥さんさへ呼ばれたことがあるのである。
橋尾の方では、
いかに達三郎が明白な答を避けるやうにしても嫁が大事にもてなしさへすれば
倅があんな挙動をするはずがないと思ふやうになって、
怪訝の目を以て富子を見るやうになつてくる。
井上の方では、新聞に書かれた事件があつたのを
先方の弁解を聞き入れて大事な娘をくれてやつたのに、
婿の無体が言語道断であると思つて憤慨が甚だしい。
両家の密談が度重なる。機関の歯車は回転してゐる。
ただそれに導火を点じた本人の富子だけがぼんやりして、
妹はなぜ遊びにきてくれないのかと待ち暮らしてゐるのである。

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要するに富子は幼くて嫁入りしたもののセックスの知識がない。
初夜の時に達三郎の性欲をにじませた表情を初めて見て、
富子は気分が悪くなったと勘違いして水を飲ませるやら女中を呼びにやるやら大騒ぎをする。
結局達三郎はその夜富子を抱けなかった。次の夜も不首尾に終わる。
とうとう達三郎は新婚3日目にして夜遊びを復活させる。
心配した達三郎の両親が息子を問い質すが、達三郎はまだ抱いていないとは言えず誤魔化す。
達三郎は富子がプライドの高さから自分に身体を許さないのだと勘違いしている。
幼い富子はきれいな顔の達三郎とのままごとのような結婚生活に満足しており、
達三郎が自分をそんな風に思っているとは思ってもいない。
達三郎の外泊が続くにつれて事は大きくなり、結局富子が実家に連れ戻されて離婚となるが、
処女のままの富子を含め登場人物全員が破綻の原因を知らないという物語である。


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鴎外の娘 森茉莉

志げの初婚の相手は、役者のような美男で放蕩三昧の男である。
彼は志げと結婚した当時、玄人の女を一人囲っていた。
美人の嫁をもらったら放蕩が止むかもしれぬというので、
男の母親が見合いをさせたのである。
志げとの結婚後も男の放蕩は止まなかった。
男が家にいたのは三日ぐらいで、女の所に通う生活が再び始まった。
一ヶ月ほどで志げは実家に帰ったのだが、この時に妙な女中が介在している。
だいたい昔の若い女中には空想好きなのが多かった。また、彼女たちは手紙魔だった。
志げに付いて婚家に行った若い女中がちょっとした小説家で、
志げがいかに涙の日々を送っているかを
志げの実家の母親に宛てて三日にあげず書き送った。
母親が驚いて引き取ると言い出し、志げの異母兄が人力車で迎えに行って連れ戻した。
婚家の方の事情はそれほど差し迫ってはいなかった。
夫は帰らないが志げはむしろほっとしている状態で、姑とは平和にやっていたようだ。
たまたま風邪で床についていた姑の部屋で、水薬の分量を間違うまいと
薬ビンの目盛に目を凝らして薬を茶碗に注いだりしていたのである。
異母兄が来た時には志げも姑も驚いたのだが、
何やら訳のわからぬままに人力車に乗せられて帰ったのである。
実家に着くと妹が泣いて取りすがったので志げは驚いたらしい。
そのうちに志げを嫁に迎えた理由もわかり、
そういう所には置けぬと父親も思ったので志げはそのまま婚家には帰らなかった。

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by vMUGIv | 2011-01-12 00:00 | 明治
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