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by vMUGIv
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澁澤龍彦 その1

■父方祖父 実業家 五代目澁澤宗助 
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■母方祖父 実業家・政治家 磯部保次 
1868-1928
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■父 銀行員 澁澤武


■母 磯部節子


祖母磯部トキと母節子
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●長男 龍雄  澁澤龍彦
●長女 幸子  津田塾大学英文科卒 編集者
●二女 道子  東京大学仏文科卒 詩人 画家矢野眞と結婚
●三女 万知子 東京外語大学イタリア語科卒 商社マン坂斉氏と結婚




■澁澤龍彦 本名澁澤龍雄
1928-1987 昭和03-昭和62 59歳没


■前妻 矢川澄子 翻訳家・詩人
1930-2002 昭和05-平成14 72歳没 自殺 


■後妻 前川龍子 元編集者
1940- 昭和15-


◆父親は渋沢栄一の遠縁で埼玉県出身、東京大学法学部を卒業後商社に就職。
しかし商社勤めは肌に合わず、武州銀行に転職して入間川支店長となる。
母親は実業家・政治家の娘で東京都出身、聖心女学院を卒業後見合い結婚。
父親33歳、母親22歳で、埼玉県川越市で新婚生活が始まる。
父親は歌舞伎・相撲・野球に詳しく、競馬・花札が得意で、
写真・登山を楽しむという多趣味な人間であったが、
母親の父親は多くの妾を囲っていたため、
苦労した母親の母親が娘には真面目な男性をと探した相手で、その方面では堅物であった。
◆昭和03年 5月8日東京高輪に生まれ、埼玉県川越市で育つ。
◆昭和07年 04歳 父親が東京勤務となったため一家は東京に転居。
◆昭和16年 13歳 東京府立第五中学校入学。
◆昭和20年 17歳 浦和高等学校理科に入学。
フランス文学を学びたかったが兵役猶予のため理科を選択。
しかもフランス語ではなくドイツ語と英語が必修であった。
途中東京大空襲で家が焼けたため一家は埼玉県に疎開、
残った龍彦は高校の寮に入って通学する。終戦。
◆昭和21年 18歳 本来の希望通り理科から文科に転部。
同時にアテネフランセに通ってフランス語を習得。
しかし東京大学仏文科には2年連続落ちる。
疎開していた家族と合流して鎌倉市の借家に転居。
◆昭和23年 20歳 浪人時代、雑誌「モダン日本」でアルバイトをする。
編集長をしていた吉行淳之介の下で働き、二人で飲み歩く。
◆昭和25年 22歳 東京大学仏文科合格。
◆昭和28年 25歳 東京大学仏文科卒業、卒論は『サドの現代性』。
卒業しても就職口がないため、岩波書店の校正のアルバイトをする。結核となるが一度完治する。
◆昭和30年 27歳 父親死亡。結核再発。同じ校正アルバイトの矢川澄子と出会う。
◆昭和33年 30歳 2度目の結核完治。
◆昭和34年 31歳 矢川澄子29歳と結婚。
◆昭和41年 38歳 自宅を建てる。
◆昭和43年 40歳 矢川澄子38歳と離婚。
◆昭和44年 41歳 前川龍子29歳と再婚。
◆昭和61年 58歳 下喉頭ガンの手術により声を失う。
◆昭和62年 59歳 8月5日死亡。



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澁澤の母 澁澤節子

Q 結婚されたのは、誰かからお話が?
A 私は東京でしょう。兄の顧問弁護士が埼玉県の人だったの。
もう22になると昔は急ぐでしょう。それでその人に兄がちょっと言ったらしいのね。
「それじゃいい人がいる」というわけで。主人は33でしたよ。

Q だいぶお年が違いますね。
A ええ、11違うんです。向こうの母がとても心配して
写真をいくら持って行っても「だめ、だめ」とやっていて、
私のを持って行ったら「いい」と言ったって。私は嫌でしたよ、田舎へ行くの。
父が「田舎と言ったって埼玉ならそんなに遠くなることないし」と言って。

Q でも川越って由緒ある立派な町でしょう。
A 今はとても流行っちゃっていますけれども。でもつまんなかったんですよ、本当に。
東京から行ったんだから。

Q たとえば芝居なんかによく行ってらした?
A ええ、お芝居なんて母が好きだから、毎月毎月あっちへ行ったりこっちへ行ったり、大変。
主人も好き。ものすごく歌舞伎が好きなの。
主人はお金が無ければ立ち見でもいいからというほど芝居が好きだった。
だから母が喜んじゃって一緒に行きました。

Q 澁澤君が書いている文章によると、お父様というのは堅い方で、
お勤め人で、銀行の役員、東大法学部卒という方なんですけれども、
生活人としてはわりあいに多趣味人というか、自由人でいらしたと。
A 競馬は好きだし、それから花札。カメラは現像・焼き付けまで家でやる。
そして山登り。日曜日というとお父さんがみんな子供を連れて
ゾロゾロゾロゾロとこかへ遊びに。それで銀行の帰りには
子供たちにおみやげを買って帰ってくるという、なにしろいいパパ。
それは亡くなるまでそうでした。

Q そうすると彼は長男だけれども、お父さんと喧嘩したりということは?
A あんまりしないです。でも仕事は反対だったわけよ。銀行ならいくらでも世話してやるのに、
文士なんて髪の毛を長くして汚らしい格好して嫌だ、と言って。
お兄ちゃんお兄ちゃんで何かやっても結局女の子にやらせちゃったりするから、
別に大事にしてこうなったわけじゃないんだけれども、何もできないでしょ、家のことは。
だから、お嫁さんはかわいそう。

Q 二十代の頃、僕は小町のお宅によく伺ったんです。
下が3部屋、上が大きい十畳ぐらいの1部屋で。
彼がいつもそこに頑張っていて、威勢のいい論客が夜も昼も議論ばっかりしてたでしょう。
お父さんもお母さんもとても寛容で、
僕ら泊まり込んだりしてずいぶん乱脈を重ねたと思いますよ。
お酒もガンガン飲みましたしね。下には生活があったわけでしょう、妹さんたちとか。
どう思われていたんですか、あの頃。
A しょうがないと思っていましたね。でも皆さんのようないい友達をたくさん持って。

Q 友達がいっぱいできましたものね、彼は、
A しあわせでした。だから、短かったけれども楽しかったろうと思います。

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by vMUGIv | 2015-07-01 00:00 | 昭和戦後
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