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夏目漱石 その3

★妻 鏡子
1877-1963 明治10-昭和38 86歳没


■父 官僚 中根重一


■母 豁子


●鏡子 漱石夫人
●時子 建築家鈴木禎次夫人 
●倫
●梅子 生糸王奥村鹿太郎夫人
●豊子
●壮任


漱石の見合い写真
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鏡子の見合い写真
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熊本時代
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左側が漱石夫妻
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漱石の孫/漱石の長女筆子の娘 半藤末利子

鏡子の妹たちは華族女学校に二頭立ての馬車で通ったが、
父重一は長女鏡子は特別扱いして女学校には通わせず
全課目それぞれ家庭教師をつけて自宅で学ばせた。
漱石は鏡子の弟倫が一高生の家庭教師を君付けで呼ぶと仰天しているが、
鏡子も家に来る教師たちに君臨していたのかもしれない。
鹿鳴館華やかなりし頃には舞踏会にも出席させたという。

重一は常々「自分の娘たちは帝大の銀時計をもらった奴にしかやらん」と言っていた。
重一は見合いの席で初めて見た漱石を「夏目君は将来きっと偉くなる」
とたいそうな惚れ込みようだったという。
二女の時子は名を成した建築家鈴木禎次に、
三女の梅子は日本有数の生糸の貿易商奥村鹿太郎に嫁がせた。
いずれも重一のメガネにかなったお婿さん達である。
鈴木家も奥村家も漱石よりはるかに収入が上であり、
生活程度は夏目家とは段違いに高かった。
だから漱石の名が少々売れても、時子も梅子も屁とも思わなかった。
筆子も二人の叔母様には一目置いていた。

時子はオシャレでオキャンで活発で、夫から「お時、お時」と大切にされていたが、
夫が子供や女中を叱ると「そんなこと聞く必要ないわよ。早くこっちへいらっしゃい」
と平気で遮るほどの強い妻であったらしい。
梅子は洋楽・洋画・翻訳物・社交ダンスなどが好きなハイカラな女性で、
みずからも小説を書いたりした。
幼少時から亡くなるまで、鏡子・時子・梅子の3人は人に頭を下げたり
気兼ねしたりする必要のまったくない境遇にいた。
中根家の姉妹の中でも漱石がとりわけ可愛がったのは四女の豊子であった。
愛らしい美少女であった豊子は、生家の没落に遭い3人の姉たちのような
豪奢な暮らしを享受できなくなったのを不憫に感じたのではないだろうか。
どんなに不機嫌な時でも漱石は豊子をニコニコとして迎えた。
鏡子は漱石が不機嫌になると、よく豊子に遊びに来てと頼んだという。

幼い私から見ても、
床柱を背にデンと食卓の前に座るでっぷりと肥えた鏡子は貫録と威厳を備えていた。
無口で無愛想で、何か言うと「ああ、そうかい」と鷹揚に頷く。
太っ腹で気風が良くて、周囲の人たちにポンポンと物を買い与える。
訪ねるとお風呂に入れてくれるのだが、
母筆子のように目や耳に石鹸を入れないように気遣うことなくガシャガシャ洗うので、
目はしみるわ耳は聞こえなくなるわで閉口して悲鳴を上げようものなら、
「何を言ってるんだい。うるさいよ」とどやされてしまう。
それでもお腹が痛いなどと訴えると、
心から心配気に「ここかい?」と優しい声で尋ねながら腹をさすってくれた。
病人や弱者には心から優しく、
困っている人がいると放っておけない面倒見の良い心の温かい人であった。

鏡子は39歳の若さで6人の子供を抱えたまま未亡人となった。
しかし間もなく周囲や世間の反対を弾き飛ばして浪費をしまくり、
贅沢三昧、好き放題に暮らす時期が続いた。
晩年は漱石全集の印税も切れ売れる物も底をついてきてさすがに手許不如意になったが、
三女の栄子叔母が独身のまま鏡子と住み面倒を見てくれていたし、
亡くなるまでお手伝いを置き、漱石記念館よりも遥かに広い家屋敷を手放さぬまま
誰に気兼ねすることもなく暮らしていた。
そして自宅で亡くなるその日まで大きな病気もせず88歳の天寿を全うしたのであるから、
幸せな一生というほかはない。

漱石という金の成る木は既になくなって、当時は30年で切れたから著作権もとうにない。
要するに鏡子には収入源がなかったのである。
そのことに早く気づいてザクザクとお金が入っていた頃から浪費を慎んで
しこたま貯めこんでおくとか先々を考えて金の運用をしていれば、
晩年に金に窮することもなかったろうにと思われる向きもあるかもしれない。
鏡子は計画性とは無縁な人であり、貯蓄や金の運用などは大の苦手ときている。
贅沢三昧に日々を暮した。
そして頼まれれば気前よく大盤振舞いすることが大好きであった。

そんな人のいい鏡子を利用して食事を奢らせるなどは朝飯前、
漱石が亡くなってからも宿屋がわりに長期に寝泊まりしたり、
高級な呉服や洋服や靴を買わせた弟子もいる。
彼らもどうせ漱石先生の稼いだ金なのだから
鏡子に感謝する気持ちなどさらさらなかったのかもしれない。
大半の人は返金することなく、その金で家を建てたりした。
中には「もうとっくに時効だよ」と平然と言ってのけた内田百閒のような弟子もいる。
生活が逆転して売り食いでしのいでいる鏡子に、
昔の恩義を感じて訪ねて来る人はまずいなかった。
鏡子はそんな人たちの悪口を金輪際言わなかった。
ただ一度だけ「あたしゃ死んだら化けて出てやるつもりだよ」と言ったことがあった。
野放図に浪費しまくる鏡子に反感を抱く弟子たちがいたとしても無理からぬことであろう。
だからと言って、彼らが鏡子から金をせしめても当然であるという理屈は通るまい。
しかも返済しない人の大半が世間では偉い人として崇め奉られているのである。
鏡子が偉いと思うのは、漱石没後も生存中と同じように
漱石の一族に生活費や学費などを渡し続けていたことである。
その他の親戚縁者や困っている人や
一人暮しのお年寄りなどの面倒も実によくみた人である。
しかし長生きしたがために弟子たちや甥が先に逝って、化けて出ることは叶わなかった。

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by vMUGIv | 2011-02-03 00:00 | 明治
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