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by vMUGIv
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森鴎外の子供たち その19

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評論家 今日出海

私が結婚した時、辰野隆先生はお祝いをするから学士会館へ5時に来るようにと、
大学の研究室でおごそかに命令された。
「では、出かけるとしようか」といってどこへ出かけるのか見当がつかぬので、
私は黙々と先生に従った。タクシーは新橋の花柳街へ走った。
「この人はね、恋愛が成就して2、3日前めでたく結婚したんだよ」
と先生は並みいる芸者に披露した。
「おめでとうございます」「うらやましいわ」 芸者たちはそんなお世辞を言うと、
2、3日前結婚した男なんかには用はないといった風に私を床の間の置物同様に扱って、
関心は先生の方へ向いてしまった。
先生はいい心持ちで酔うほどに歌は出るしで大モテなのに、
私は新しい家に帰りたくモジモジしてきだしたが、
そんなことに同情も容赦もしてくれない。

夜更けになって、同じ大学の山田珠樹先生が突然現れ、
「では、おあと交替といたすかね」 今度は新橋から赤坂へお座敷が移った。
さすがに堅くなっていた私もこう飲んでは骨までとろけ、時はますます経つばかり。
もうどんなに慌てても家に帰ることはできない。
しまいに大座敷で雑魚寝ということになった。

山田先生は翌朝私に訓戒を垂れて言った。
「女房って奴は最初が大事だよ。あまりにチヤホヤすると、
もう後で取り返しがつかぬほどつけあがる。結婚初期に手当をしておくのが肝心さ。
辰野は君が女に甘いから、前夜後夜と分けて二人で
君および君の女房を教育しようっていうので、こんなお祝いをしたのさ。
結婚初期に家を一晩あけるくらいの度胸がなければ君も駄目さ。
女房は昨夕一晩まんじりともしないで君を待っていただろう。
これがいい薬になったぜ。君も今日は大威張りで帰って行くんだ。
こそこそ帰って女房に謝るようじゃ、九仭の功を一簣に欠くって奴でなんにもならないよ」
至れり尽くせりの教育ぶりである。

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森茉莉の息子 山田亨

鴎外が茉莉を愛し、茉莉が父鴎外を愛したように、
僕は父山田珠樹に愛されて育ち、そして今でも父を愛している。
父が僕を可愛がった理由の一つは、僕の容貌が茉莉と似ていたためだと思う。
その反面茉莉と似ているためか、僕は継母からひどく嫌われた。
父はフランス文学者だったが、茉莉が指摘したごとく本質的には明治の男だったようだ。
自己の再婚に際し、親戚・知人の全員に
「亨の母親が森茉莉だということを絶対口にしないように」と頼んだという。
したがって僕は、母茉莉のことを父の死まで知らなかった。
父の葬式の後、「亨、僕たち二人の母親は、森鴎外の長女である森茉莉という人だ」
と兄から言われたが、突然のことで実感がわかなかった。
茉莉は当時まだ作家として世に出ていなかったので、
僕は叔母である小堀杏奴の著書や雑誌を書店で購入するようになった。
そして杏奴と文通するようになり、終戦後のある日叔母から
「亨ちゃん、御馳走するからうちにいらしゃい」という手紙をもらった。
当日玄関で叔母が「亨ちゃんには知らせなかったけれど、茉莉を呼んであるの」と言った。
部屋に入ると僕によく似た女性がいて、「亨」と言って僕を抱きしめて激しく泣いた。
母親というのは子供を抱きしめるんだなと、抱かれながら思った。
僕は継母から一度も抱かれた記憶がなかったからだ。
父に抱かれた記憶は何度もあるのに。

茉莉の死後、兄から茉莉の形見分けを任された。
僕が著作権継承者代表であったため、手元に置いて考えた。
これらの物は僕に所属する物ではなく、母のファンに所属すべき物だろうと。
そこで、鴎外の遺品すべてを文京区立鴎外記念本郷図書館に寄付した。
僕の死後は、伯父森於菟にならい茉莉のすべての遺品を、本郷図書館と
津和野の森鴎外記念館とベルリンのフンボルト大学所属鴎外記念館に寄付することにした。
そして、それぞれの担当者に僕の意思を伝えた。
最後に、母の作品を愛して下さった方々に深い感謝を捧げたい。

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by vMUGIv | 2013-12-19 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その18

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鴎外の友人賀古鶴所から森於菟への手紙

今日午前に長尾恒吉氏と面談し候。
氏曰く、於菟さんには、その後山田老人〔珠樹の父〕も私も面会致したり。
要するに両人の意趣合致せぬというを以って離縁断行することとなせり。
老生曰く、現況の如くに立ち至りては、けだし止むることを得ず。
なお聞くところによれば、衣類だけはいつの間にか既に大概持ち去られ空き箱多し。
山田方にて作りたる物は残されあり云々。

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岩波書店重役 小林勇

森志げは悪妻であるという評判は、私の耳へも折々入った。
また山田珠樹と親しいフランス文学者の間に、
志げ夫人を悪しざまに言っている人がいたことを私は知っている。
杏奴さんが小堀四郎氏と結婚したのは、パリから帰って間もなくであった。
その頃私は折々森家を訪ね、夫人に会っている。
ある時夫人は「私が山田と具合が悪くなった時、幸い茉莉は家へ帰ってくれた。
けれども杏奴は小堀ととても仲が良いから、
もし私と小堀が喧嘩しても帰ってきてくれないと思うから困ってしまう」と言った。
私は驚いて、いったん嫁に行った子供を
いつまでも自分の物と思っていてはいけないでしょうと本気で諌めた。
その時夫人は「はあー」と言って、私の顔を茫然として見ていた。

斉藤茂吉氏はある時
「山田君は茉莉さんと一緒に風呂へ入り、爪を切ってやったというねえ」
と嬉しそうな顔をして話したことがある。
志げ夫人は美人である。その手は実に美しかった。
私はいつもそう思い、百済観音の手を思い浮かべた。

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by vMUGIv | 2013-12-18 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その17

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森茉莉から小堀杏奴への手紙 ※複数から抜粋

〔爵宅に〕4晩泊まった。
珠樹の顔は好きだった。珠樹の顔の中にあって笑う爵の顔に
見とれ見とれ見とれ尽くして眠って(並んで妻も子供も)は起き、
話しては食べ、食べては話し、眠っては起き、夜も昼もメチャメチャである。
爵がママに対する今までの躊躇はよくわかり、いい心だった。
ママも杏奴も変わらぬそうだ。類はもっと細かったが、好男子で驚いたそうだ。
爵がママと同じのお洒落で嬉しかった。旭谷夫人・朝子さんにも満足した。
彰〔爵の息子〕の名は〔茉莉の再婚相手と同名であるから〕ちょっと困ったが、
彰そのものは素晴らしい。しつけもいいし、ユーモアがいっぱいだ。
9つの爵がパパとママのあの時の心の関係を的確につかんでいて、
そのためにパパにママ同様に憎まれ小さい白い目で疑われたことがわかりました。
いじめられたのは恐ろしいが、狂喜。

爵も現在のところでは家庭があり、彼女があり、
その上に私であるから気の毒であると思う。
これは理性で、感情では爵にはまるでへだてがないので、
3,000〔円か〕では少ないと苦情を言い、困らせたが。

秋長の方〔モデル小説『記憶の書物』〕は恐怖がある。2つの恐怖である。
一つはいよいよ活字になると思いもかけず出来損ないであるかもしれぬという恐怖。
もう一つは爵の苦しみ。
あれからまた会った時、亨・類たちもいて、ああでもないこうでもないと話し合った。
その時私の長年書きたかったものだということ、
私としてはよくできたことなど言っている内に、
爵が「出していいよ」と何とも言えぬ平和な温かい愛情の笑い顔で言った。
たちまち私は気の毒さにゾッとし
「爵がそう言うとママは出さない、絶対に出さない」と言った。
「そうしたら亨に持って行かせる」 亨も笑っていた。
だがやっぱり悲しい顔で「出さないで」と言った顔が頭から去らない。
感情では「じゃあ爵は辰野隆さんとパパの方がママより好きなのね」
と言ってやりたかった。
けれども理性では私を〔成城の山田家に〕出入りさせることだけでも、
爵は辰野一派とパパを裏切ったのだ。

ともかく茉莉姉さんは、今度のこと〔類の原稿事件〕では杏奴にも類にも失望した。
両方でつつかれた感じで、一人前の人間のように扱われたとは思えなかった。
苦しんだ上に両方からやられた。
杏奴が桃子〔杏奴の娘〕の結婚について、いわゆる感心な非の打ちどころのない
家庭同士の結婚を望んているらしいのを私は初めて知った。
桃子の家は於菟兄上の家とはまったく違う。
違うところが良いところで、従ってそこから生まれる結婚も違うはずだと思っていた。
杏奴と四郎さんとの家は、やり方によってはもっと今より明るくさえなりうると思う。
そういう交際の間から理解のある感じの良い結婚ができそうに思う。
非の打ちどころのない家庭の可愛い奥さんとしての文章にファンが固定し、
その固定したファンによって動きが取れなくなっているからといって、
桃子の結婚までそのファンの想像するようなものにならなくてもいい。
五百〔類の娘〕たちなぞも、そういう線で行くことにしているようだ。
茉莉姉さんもそれの方に賛成だ。
仕方がないからそうするのではなく、その方がいいと思う。
完全も悪いものではないが、完全ばかりが良いとは言えまい。

神様のお恵みで爵は内緒で毎週来るようになった。
爵は少年時代青年時代に母が無かったので、
この頃になってその時代を取り返そうとしている。
そうして誰にも打ち明けぬ本心についてママと話をする。
ママの奇妙な小説を怒らぬようにけなしたり、ひどく褒めてくれたりする。
珠樹のいいキャラクテールだけを抜き出して創造した一人の別の珠樹のようにも見え、
9歳の爵のようにも見える。

火曜日にうっかり留守にしたら、爵が昼寝して帰ったらしかった。
爵は彼女に会うのを半分に減らすのは辛いし、
本屋に通いつつあるらしい。ハハハ。

去年の2月の痛い思い出と、今言ったことによって、
私の今後の生活は小説を書いていくよりないことを自覚している。
いずれはフィクションを書かなくてはならず、そうなればひどく落ちるから、
やがては雑誌社から見放され、元の随筆に帰れば、
生活していかれぬ程度になるのは目に見えている。
そうかといって、そうなったとしても書いていくよりない。
去年の2月の痛い思い出によって、於菟兄上には迷惑はかけられぬことが分明した。
類はもちろんこっちからお断り。
育てなかった息子たちに期待するという恥辱的なこともしたくない。
その頃心配してくれた杏奴にも、再び(千円でも)迷惑をかけたくない。
ここまでは私の理性。
だが私はもう誰も信じたいと思わないし、誰の顔も見たいとは思わない。
於菟兄上のところも杏奴のところも、結婚という世間の中の出来事が起こるし、
それが起こると私というものはマイナスを与えるだけの人間である。
そういうことになって、急に交わりを断つのもあまり愉快でない。
同情心があるから杏奴の方でも愉快ではないだろう。
於菟兄上くらい遠いとうまくいくが。
私はきょうだい・息子・どの人間にも、こっちからは幼児の心で対したつもりだ。
とにかく水の中で呼吸することになったに等しい今後の生活だからだ。
雑誌社・書店からの細い管には将来の保証がない。
また、きょうだい・息子は、良い人悪い人の別なく全部あてにならない。
こういう結果になったのは、結局は私に母性愛が無かったことと、
爵に子性愛が無かったこととが原因だ。
夫なぞは、どんな人でも別居ということがあったのだ。
死の時には、爵はどうなっているだろうか。
万事は神様のお心次第。

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by vMUGIv | 2013-12-17 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その16

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森於菟から小堀杏奴への手紙 志げの葬儀のため一時帰国して台湾に戻る船上にて

このたびの不幸〔志げの死〕は申すまでもありませんが、
それに次いできょうだいたちよく話し合うことができたのは大きい幸福と存じます。
私が長い間不満であったことは、母上が私をある程度まで信用はしておられても、
常に警戒しておられたこと、父上とある程度を越えて親しくすること、
同じく妹弟と親しくすることを好まれなかったことであります。
母上が女としての純情から夫の愛情を独占したいという自然の感情と、
周囲の事情により二次的に作られた反感とよりせらるるものであったと思われ、
成長した近頃の私から見れば無理ならぬことであるが、幼い頃の私には致命的でした。
そのうえ美貌の母上が怒られる時の顔は、血肉の親しみのない者からは
恐ろしいものであったことがさらに一つの素因でありました。

茉莉さんの小さい時および不律の赤ん坊の時、
私は祖母とともにずいぶん可愛がったものでした。
それがだんだん祖母と母との感情の対立が激しくなり、
子供たちがあまり来ないようになってから私も疎遠になりました。
杏奴・類となると私との本当の親しい時はほとんど皆無なので、
私が妹弟に優しくせぬことをいつか父から指摘されて
「叱ることのできぬ妹弟は可愛がれぬ」
と私にしては珍しい反抗的な返事をしたことがあります。
それは私が腹の底を言う勇気がなく
「妹弟を可愛がるようにお母さんが仕向けて下さらぬのだ」
ということを直言しえなかったためなのです。
その頃祖母が私を亡くなった生母の実家へ連れて行きまして、
父上の黙認があったとはいえ一時物議を起しましたが、
その後交際することを許されたのは母上の広い御心の表れと感謝しております。
私は元来そんなにセンチメンタルではないので、
亡くなった母を気の毒な人とは思っていても
「母をたずねて何千里」なんて感傷はないのです。

母上と私との感情は年とともに緩和されてきました。
ことに父上が亡くなられてからは、親戚が入れば混乱が起りますが、
直接の間は良くなっていく一方のようでした。
妻に対してお心の解けなかったのは何とも遺憾でありますが、
妻の外に対する表れの全部がお嫌いのみならず刺激的であったのは致し方なく、
ただ悪意ある者として憎まれたのは思い過ぎですが、今はやむをえません。
妻は一通りの女です。普通に親しまれれば、相当にお仕えして
そのうち一通りの親しみが生まれ得たのでしょうが、言っても返らぬことです。

私は今度改めて真の妹弟を得たような気がして、喜びと心強さを深く感じます。
あなたたちもそう思って下さい。
茉莉さん・類さんの将来を、あなたおよび四郎さんと相談したい。
茉莉さんの配偶を得るのが第一であるが、
どうも今までのは的が外れてお互いの不幸を招いたと考える。
ともかく少しノンキなこせつかぬ人でなければならない。
私ならいいが、兄妹では夫婦になれない。
類君も早く細君をもらった方が良い。
おとなしく夫を軽んぜず家のことをよくする人を。
もちろん茉莉を先にすべきだが、
類の方に良縁が先にあれば機会を逸することはできぬから
茉莉の別居とその経済的根拠について考えねばなるまい。

黙っている習慣になっていると何も言うことがなくて困るが、
一度言い出すと話したいことは多い。

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by vMUGIv | 2013-12-16 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その15

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フランス留学中の森類から日本の家族への手紙 ※複数から抜粋

パリ中、大人・老人・子供・片輪を見て
笑ったり指を差したりする下等者は一人もいません。
お母さんなんかには非常によろしい。
パッパが西洋人は上等だと言ったが本当ですよ。
ほんとにほんとにお母さんをリュクサンブール公園に連れて行きたく思う。

日本という国は何もしないでノンキに暮らしていても、
いつ殺されるか知れないような一種の気分
(共産党・人殺し・空き巣・交通・その他何々々々々)が絶えずあって痩せる一方ですが、
パリにはそんな気分はちっともちっともありません。
我々が異国人だからではありません。人のことなんか気にする人は一人もない。

今すごく素晴らしい音楽が上の部屋からもれてくる。
手紙を書くのをちょっとやめて類式ダンスをした。
ああ、芸術の都パリよ。また始まった、素晴らしい音楽が。
とても手紙を書く気になれない。このまま死にたいような音楽だ。
一生の思い出によく聞いておく。一生に二度はパリに来られまい。
こんな国だから芸術ができるのだ。東京は砂だから、何も育てる力がない。
パリは土だ、春の。

僕のためにパリという街ができたみたいに、すべて神経に合う。
実に実にパリは大好き。杏奴姉さんにも僕にもピタピタに合う。
幸福、二人とも元気なり。

日本という国は頭の上に細い糸で刀をつるしているような、
いつもビクビクビクビクしているような国だ。
パリはその反対で、
労働者は酒を飲んで女と踊り場に行く土曜日と日曜日の夜を待ち焦がれている。
暇さえあれば通る女にウインクして、ほがらかに太陽を浴びている。

パリは僕のために良いところです。
死ぬまで展覧会に絵を出さず、名を売らずに、ただ描いていればよいのです。
死ぬまで無名の学生でも、誰一人気にする人もいませんから。
裸体で外に飛び出しでもしない限り、人が気にしません。
この良さを一度お母さんに味わっていただきたいと思います。
「どちらへ、何銭持って、どんな心理状態でお出かけですか」
知っている人に道で会うとこんな感じで寄ってくる日本人を思い出して、
今の自分の幸福をはっきり知ります。

茉莉姉さんの三田文学が出て、パッパのことがよく書ければいいがと心配している。
茉莉姉は杏奴姉を好きで褒めるつもりで良く見せるつもりで、
杏奴はルルーのごとく可愛らしい人などと人に言うと
大変な自惚れになるから用心すべし。
非常な好意で誰よりも困ることをするのが茉莉姉さんだから、そのつもりで頼む。
茉莉姉は喜ぶとろくなことをしでかさないから用心用心。

杏奴は海に飛び込まないでおくれ、類はなるべく飛び込んでおくれと書いてあった。
類は杏奴の小使のつもりで洋行費を出したのだから気をつけておくれ、
横浜に船が着く時はもう用が無いから海に飛び込んでおくれ。
杏奴は高木さんと茉莉と私と宿の若い者と運転手とで守るから。
類は誰も助けてくれぬから、安心して死んでおくれと書いてある。

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by vMUGIv | 2013-12-15 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その14

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フランス留学中の杏奴から日本の家族への手紙 ※複数からの抜粋

私は今までよりずっと気持ちが明るくなりました。
日本にいるよりどれだけ良いかわかりません。
考えてみると私たちのつきあう範囲が狭くほとんど親戚関係で、
お母さんが後妻であるためにそれらの間が複雑しているからだと思います。
私たちの周囲の人たちはみな名誉ある世間的には立派な人たちですが、
一人として暖かい心を持った人はいません。
あの人たちは世間のために生きている人たちで、言わば世間の代表者たちなのですから、
お父さんが死にお姉さんがああいう事情で離婚になり、
病身のお母さんと私たちだけになったので、
病気で弱っている獣を仲間のものがいじめるように苛むのです。
嫉妬・皮肉・あてこすり・人を陥れるのがあの人たちの日々の生活なのです。
私たちはまだ若く結婚という問題を控えているので、
どんなに辛くてもあの人たちに屈服しなければなりません。
いわゆる真面目な結婚と言われているのは最も世間的なもので、
私という人間を理解してもらえない限り
世間に少しでも悪評を立てられたら結婚することは不可能なのです。
それは退屈し切っているあの人たちの格好の餌食でした。
でももう今はあの人たちも私たちには手が届きません。
失望せずどこまでも正しく真面目に生きていけば、
必ず私たち人間を評判や経歴や肩書ではない本当のありのままに
分かって下さる人が必ず現れると思います。
最後までそういう人が現れなかったら、私たちは一人でいるより仕方がない。
それはたまらなく寂しいことですが、日本にいてあの人たちの意地悪や陥穽の中で
いじけながら暗い日々をおくっているよりははるかにましだと思うのです。

類が手紙を書かないのは、類が生活に生き甲斐を感じ、絵を描き、街を歩き、
良い友だちができて一日が楽しすぎるためなのよ。
かえって類のために喜んで下さい。
私がこっちへ来て一番喜んでいるのは、類がハアハアと言って退屈しないことです。
パリは神経質な人間のためには最良の地です。私ものんびりしてきたようです。

母よ、安心せよ。杏奴は男の子のように元気で活発で皆に親切にしてもらってる。
中江さん(皆で私たちのことを中傷したが)とは親友になった。
珠樹ざまみろと笑いたくなる。でも珠樹義兄さんは私のことは何も言わないそうだ。
類曰く「何も言うことはないもの」だと。

岡本太郎氏に会う。
太郎氏のフランス語はまるでフランス人のように上手なので驚く。
両親に可愛がられ、口を出ること皆思った通りを言う。
パッパの生きていた頃の私の如し。可愛くて吹き出してしまう。

滝川氏曰く「あなたのお母さんが病身の身体で2人の子供を
遠い外国へ出してやったその心持ちがわかりますか。
それだけでのあなたのお母さんがどんなに強く偉い人かがわかると思う」
私はそれを考える。姉さんの問題(例の佐藤家離別問題)が
外国へ来る主な原因になっていることなどを考えてみた。
姉さんに対する私の感情、これも今思うと私を恥ずかしく思わせる。
大人になった今、私は姉さんにもっと優しくしてあげられたのにと思っている。
姉さんのいいこと、それはあくまでも自分を活かしたい点にあると思う。
あまり常軌に逸しない限り勢いよくやってもらいたいと思う。
佐藤家のこと自体なにも恥じるには及ばない。むこうが悪いのだから。
ただ落ち着いて批判すれば、姉さんの言動に驚き、
なんでもいいから早く結婚させようとした一点にある。
姉さんは佐藤氏を愛した。これは自分の愛する人とわずかの間でも
結婚生活を送ったという良い思い出として残してもらいたい。

日本にいるとヤレヤレと思うぐらい月日が長い。
その間には人が気にするし、悪口を言うし、嫌なことがたくさんある。
私もお母さんさえいなければどんなにこっちの方が良いかわからない。
うちの人は神経質だからパリのノンキな所が気に入るのだろう。
とにかく類は5、6年はこっちにいた方が良いと思う。
私は3年ほどで帰り、類だけ残したらなど思う。
茉莉姉さんと入れ替わるのも良し。

もう今までのように一家が死んだような家ではない。
(職業・結婚がなくても)私たちのはち切れそうな元気で家の中は賑やかになるだろう。
何より重大なのは類がしっかりしたことだ。
これだけは姉としてつくづく嬉しくまた自慢にもなる。
真面目でおとなしくよく勉強し、なかなか男らしくなってきた。
やっぱりパッパとお母さんの子供である。
お母さんよ、私たちが元気で帰りさえすれば、家中に春が来るのだ。
人生はどんなに楽しいことかわからない。

中江妍子さんの話に、軍艦を見に行った時、
珠樹義兄さんが爵と亨を連れて見に行ったらしい。
可愛い坊ちゃんだと言っていた。2人とも元気だそうだ。
ことに亨ときたら茶目で元気いっぱいでずいぶん手に負えぬらしい。
今度のマダム〔珠樹の後妻〕は、
それを見ても子供を卑屈にさせることはしないらしいので安心だ。
お母さんも安心されたい。爵も元気らしい。
珠樹義兄さんが実によく子供の世話をしていて感心させられたそうだ。
電車の中などでもいろいろと気を配って面倒をみていた由。
また2人だけを連れて外出するところをみると、マダムが割に気の大きい人と思う。
中江さんの叔父さんは石川欣一氏である。
例の俊輔さん〔珠樹の弟〕、赤ん坊殺しの件で、
珠樹義兄さんがもみ消してくれと頼みに来たので、
記事を出すなと言ったところ、その新聞社は記事をやめた。
ところが他の新聞は一斉に書き立てたので、
新聞社はカンカンに怒り叔父さんをクビにすると騒ぎ、
もう少しでクビにされかけ実に困ったそうだ。
また偶然中江さんが不良少年に待ち伏せされた話をした。
それが長尾の光ちゃんだった。光ちゃんを知ってると驚いていた。
珠樹義兄さんは光ちゃんのことは人に話さないらしい。
世間って広いようで狭いもので、
光ちゃんが中江さんに知らないのに不良ぶりを発揮するのだから面白い。
とにかく珠樹義兄さんの頭が優れて良いのと交際上手で魅力のあるのとで
持っているので、その周囲は醜態のかぎりだ。
義兄さんでさえ、女中さんとの間に子供もあるとの事。
その他お爺さんは妾を置くし、俊さんは人殺し、光ちゃんは不良と、
なにかあの空気は毒を持っているようだ。
爵・亨2児が浜子夫人の賢さによって、すくすく正しく清く伸びることを祈る。

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by vMUGIv | 2013-12-14 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その13

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森志げからフランス留学中の杏奴・類への手紙

私は今まではパッパの書き残された物を類と真章〔孫/於菟の長男〕に譲りたかったが、
安静をしなくてはならない私の病気、後々のゴタゴタの心配りを無くすために
於菟にほとんど全部渡す。
千駄木の家の荷物の整理も杏奴帰朝の上、頼む。
姉さん〔小金井喜美子〕の物が大変だ。
これはやっぱり類に見せて意見も聞く。杏奴の意見はもちろんだ。
パッパの書き物、道具など、私が離しにくかったため
いろいろの誤解を招きお前たちに気の毒だった。
森家の金において少しもやましいことなどない。これはまったく誤解だ。
死ぬ時はただ魂さえ安らかなら良いのだ。

パッパの愛されていた松崎の額が広い廊下にある柳行李の中に入っている。
これも於菟に渡す。その他千駄木の家にある物は類の物。
物置に5円以下でパッパが買われた掛物がたくさんある。これも於菟の方へ渡すこと。
私はパッパ死後、パッパの書き残された物を自分で保護した。
お前たちに読ませる機会がこれまでなかった。しかし私死後は於菟の手に渡るだろう。
パッパの未発表小説『本家分家』(パッパが弟篤次郎の死後、
財産を横領したという世間の人の間違った疑惑を正した小説)
に書いたのと同じような間違った疑惑が私の上にかかることを慮られたのだろう。
パッパはその日記に、
私の荒木の両親から2度に譲られた財産の高を明らかに記し残された。
このことに関した部分は類が受け取ること。

●日露戦争の時、戦地から個人でなく皆々宛てにされて送られたる手紙、
凱旋後パッパが自分の所有とされた手紙。(裏打ちをして)2冊。
●『ノラ』原稿
●パッパの遺言書は於菟と同時に類も受け取ること。(この遺言書は当時写しを取り、
小金井・賀古・荒木・自分等とで署名してドイツの於菟に送った物)
●『本家分家』小説
●家の記録系図(これは於菟が千駄木の家を離れる時、
於菟の家の洋室に残してあった箪笥、現在物置にある、の中にあると思う)
●白河楽翁公の物に模した机(座敷の違い棚の下に置いてある)

■類の財産の上り高 1ヶ月 160円
■茉莉の〃           120円
■杏奴の〃           120円
母の死後は、
■類の〃            180円
■杏奴の〃           140円
■茉莉の〃           140円

少ないが、これだけより使えない。
洋行費は別にしてある。(パリ滞在の)
帰りの旅費・旅行費・その他雑費は、杏奴と類の利子を当てる。
母大病および後始末は、別に1万円、類の名にして別にしてある。
3人は大病をすると元金に手がつく。渋谷の長屋は別口だ。〔賃貸物件〕
これで志げの物は恩給だけだ。
お前たちは銘々家族ができるまで、次のような遺言書をこしらえておくれ。
『自分の名義の物・著作権ならびに印税を他のきょうだい2人に適宜に分けること』
茉莉の遺言書を参考に送る。
『遺言書 自分の名義の物・父上の本の著作権ならびに印税は、
杏奴・類の二人に遺すから、適宜に分配すること。 昭和7年7月3日 森茉莉㊞』
3人のうちどれでも死ぬと、その財産がムッシュ下谷の物になるから用心に如くはなし。
母の物はたいてい類の名前にした。
日在と伊東の地所がまだ母の名になっている。そのうち類の名にする。
類が死ぬとお母さんは恩給だけになるから、なるたけ死なないようにしてもらいたい。
杏奴が死ぬと、母の命もなくなる。
〔ここに茉莉による加筆〕<茉莉が死ぬ、〔お母さんは〕少し泣く少し喜ぶ。>

上の品は日本銀行保護箱と日本興業銀行保護箱と
私の箪笥の三段目の引き出しの中とに全部ある。
お前たちの帰朝の上パッパの書かれた物は読んでもらいたいが、
於菟より異議などありたる時は、
自分たちの友だちや茉莉姉と相談して方法を講じ途中で帰朝せぬことを切に望む。
姉さんは類と真章とは感情の上良いが、到底行われないだろう。

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by vMUGIv | 2013-12-13 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その12

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佐藤彰夫人時代の茉莉から杏奴への手紙 ※複数から抜粋

私が佐藤を多少恋するくらい好きなのも、誰にもわからない先のことを考えているからだ。
昨日歌舞伎座で両手を柱と背中の間に入れて立ちながら寄りかかって、
痩せた頬、情緒と神秘を含んだ目を寂しそうな感じにして
横を向いて何か考えていたところは、どうしていいかわからぬほど良かった。
あみだにかぶったカンカン帽子、野暮な着物、夏羽織、無造作につれたようにはいた夏袴、
黒のような紺に白で匹田の総絞りの兵児帯が、
夏痩せのしたような着物の藍っぽい色で包まれた胸と夏袴の間に覗いている。
その趣味もない風俗さへ、偉大なはにかみ屋な世界人の肌に纏いついて、
ただのこの世の切れ地とは思われぬ。しかし私はこれを彰には言わぬ。
夫婦愛を絶えぬように培っていくには(黴菌を湿った綿の上に培植するように)、
そんなことをベラベラしゃべることは馬鹿だ。
私はこんなに打算的な人間だ。彰に対すると恥死せねばらならぬ。
嘘の幸福で結構だと悟っている私にはこんなことで幸福が得られるのだ。
私は彰の愛を感謝せずに、もっともっと取ろうとする悪い奴だ。

♪砂漠に陽が落ちて夜となる頃♪ あれを佐藤が裸の上に
絹のワイシャツの古いのでこしらえた腰巻をして歌っているところは面白いよ。
そんなところは滑稽だが、秋雨の降る今日の朝、
鏡に栗の木に青い実がたわわになっているのが美しく映っているからと言って
「来てごらんなさい、ここへ」と私を呼んで方へ軽く手をかけてみせるところなぞは、
なかなか情緒がある。
懐かしい感じを細かく細かくあふれ出るばかりに瞳に込めて私を見てから
学校へ出て行った。なかなか隅に置けないよ。

今度からは宿屋へ3人〔夫と前妻の娘2人〕を呼ぶことは決してしないことにします。
また私の家へ皆〔茉莉の母と妹と弟〕を連れて行く日を、
佐藤の留守にした方がいいと思います。
私は「佐藤たちと私」か「お母さんたちと私」でなくては駄目で、
両方が一座しては私は固まったような変な気分で苦しくさえあるのです。

細君がただ単に女として愛されているということは侮辱だ。
細君としてどっしりとこの家に存在しているのではなくては不愉快だ。
親がかり〔珠樹〕とは違うからね。佐藤家という輪の中では私は無産者だ。
プロレタリアがブルジョワに反旗を翻しているのだ。
珠公〔珠樹〕の場合は実際親がかりでできなかったから自分のを使ったが、
損をするのはブルブル震えるほど嫌な性分だ。
それも自分の本当の子とか妹ならいいが、
先の夫人の子供のために損をするのは馬鹿馬鹿しい。

私は彰を恋してはいない。しかし崇拝している。
私は崇拝している人間と同じ家に住んでいるのは幸福だ。
自分も彰のように偉かったら、なおいっそう幸福だろう。
その偉い彰という奴に、今日私は痛烈な目にあったのだ。
翻訳の疑問の所を相談したら、自分で書いて私に見せたその訳が、
文章こそ多少下手だが、うまく訳すそのマニエールに至ってはちょっと驚いた。
「僕が下手だと叱られるかと思った」とお嬢さんのような顔で笑うと、
まるで痛烈無比な皮肉のようで癪に障る。
それが皮肉ではないのだからなお変にイライラする。

杏奴ちゃん、類ちゃん、長原先生が死んでどんなに失望したでしょう。同情します。
新聞を見ていた佐藤が「長原さんが死んだね」と言ったその瞬間、
そんなことがあるだろうかと疑いましたが、
佐藤が嘘を言うはずはないから本当なのだと思いました。
佐藤にパッパと同じようにしていたんだったことを言ったら、
佐藤が5、6年前にアメリカで師事した先生が死んだと聞いて大変な打撃を受けたと言った。
40にもなった男がそうなのだから、
杏奴ちゃんや類ちゃんはの感じ方はどんなにひどいだろうと思ってなお苦しくなりました。

このあいだ彰が洋行するという記事が新聞に出た。
私は今の家庭の状況上、ハッと胸をふさがれたような気がして彰に聞きただしたら、
間違いの記事と言うのだ。しかし、遠からず起こることと覚悟しなければならぬ。
子供2人を連れて千駄木に別居することにでもしなければ、到底骨と皮ばかりになる。
その時になって彰がそれを承知しなかった場合は絶望です。
私のような享楽的な人間が、享楽と絶縁した上に義母と暮らし得るか。到底不可能だ。

昨日もサーカスから帰ると、義母上が来ていて、
「遊んで食ってばかりいる奴だから、あなたたちもそんな馬鹿にならないように」
と子供に言って大怒りであった。
子供に意地悪くしないでいるのを感謝することもしないで「女は針が一番だ」
「学者だと言うのなら、旗を立てて屋根の上にでも登っていろ」なぞと言う。
弘子〔先妻の子〕には「泣くな。お祖母さんのように聞かなくなれ。負けるな」とけしかける。
人を何だと思っているんだ。
裁縫の名人で弘子や登世子〔先妻の子〕の襦袢や着物をどんどん縫って、
猫なで声でオホホホホと言って、心では腹違いの子だ、
なるたけ不良になれと祈っているような女をもらうがいい。

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by vMUGIv | 2013-12-12 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その11

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鴎外の息子 森類 『贋の子』 モデル小説


●砂治家→森家
●光弘 →鴎外
●睦代 →鴎外の妹喜美子
●馨  →鴎外の後妻志げ
●寛  →於菟
●静江 →於菟の妻富貴
●健作 →類
●恵子 →類の妻美穂


「あなた方、お墓はどうなさるおつもり?」
唐突な兄嫁の質問に、健作はその意味を理解するのに時間がかかった。
砂治家の墓地は、
大正時代に亡くなった父の墓、昭和になって最初に亡くなった母の墓を中心に、
明治時代の祖父母や叔父叔母の墓が一列に並んでいる。
なかに砂治家之墓とだけ刻んだ新しいのがあって、
それに戦後亡くなった叔父夫妻、最近亡くなった兄の骨が納めてある。
どうするもこうするも自分はれっきとした砂治家の次男であって、
死ねば当然その墓地に葬られるものと健作は思っていた。
「もう墓地は満員なのよ。
あの砂治家之墓とだけ書いてあるお墓の下はコンクリートで固めた棚になっていますけど、
住職のお話ではあすこは水が湧くのであれ以上は掘れないんですって」
夫の骨壺の隣へ自分のを置けばもう締め切りで、
あなた方はどこかへ墓地を買って下さいという意味はもう充分であった。
いくら父母が恋しくても満員札止だと言うものを無理に押し入るのは
穏やかでないと健作は考えたので即答を避けた。
彼女が夫の遺稿を一周忌までに出版して世話になった人々に配ろうとか、
舅の遺品が散逸しないうちに記念館を建てようとか、美挙を思いついた時には
身だしなみの権化のような姿はいっそう妙に品よく妙に凛々しく、
まるで宮中の教育係そのままの雰囲気を醸し出すのである。
どちらからともなくもう墓地の話は止めにして別の話題を見つけたらしく、
兄嫁と恵子は小声で話し出した。
恵子が兄嫁から聞かされている話は、またしても四人の嫁たちへの不満であるらしかった。
「そりゃ俊夫が長男ですもの、要らないと言ったって地所も建物もやるつもりでしたよ。
それなのに病気で寝ている寛にとうとう知子さんが遺言書を書かせたんです。
四男の信勝夫婦に離れを建てて一緒に住んでいたようなもんですから、
末っ子可愛さにそのままずるずると信勝の家になってしまいはしないかと
疑うのは仕方がないとしても、何もあんなに弱っていた病人を責め立てて
印を押させなきゃならないことはないじゃありませんか。
そうまでして手に入れておきながら、お母様とは一緒に住みませんですって」
長男の嫁と折り合いが悪く今は三男の家に同居しているが、
今度は三男の嫁と折り合いが悪くなって
大阪にいる次男と同居するようにならないとも限らない。
気の毒ではあるが、気の毒と言えば嫁だって気の毒なのである。
女に生まれたばかりに嫁に行って、他人を母と呼んで仕えなければならないということは、
一日留守の夫なんぞに到底理解のできない難事なのである。

寛は健作の異母兄であった。
健作は人間が二度結婚することがあり得るということを知らなかった。
従って寛が異母兄であると知ったのはずっと後のことである。
事情は知らなくても寛さんという人物が嫁をもらって離れに住んでいたことは覚えている。
変な人物だと思っていて、普段意識に上ることはまれであった。
変な人は離れで物音も立てずにひっそりと暮らしていて、
元日だけは母屋にきて夫婦で客間の上座に座って屠蘇を祝うのである。
祝い終わると彼は妻をつれて長い廊下を帰る。
彼が孤独になった一つの原因は、
生まれて間もなく生母が父に嫌われて離別されたためで、
第二は義理の母の珍しい性格に、
第三は最初の妻と離婚せざるを得なくなった事情によるものであった。
寛が生母と別れたことについて一番同情したのは父の母すなわち祖母であった。
離別した母の分まで愛するのだから、その深さは並大抵のものではなかった。
継母に遠ざけられたというのは表面上の寛の不幸で、
本当の不幸は父との間に遠い距離ができたことである。
寛という名で生きていた亡骸は父の死を条件に、まず喪主としてこの世に生まれ変わった。
そうして母屋の主人になって1/4の財産を与えられた。
3/4は父の遺言によってそれぞれ異母の弟妹たちに与えられたのである。
大正8年当時の法律では遺産はことごとく長男の所有になり、
その代りに家族を扶養する義務があるとされていた。
しかるに寛はその財産のすべてを譲られなかったばかりか、
四等分は半世紀の長期間に渡って守らなければならない法律上の掟となっていた。
「考古学で大学助教授となっている寛が、遺産のことで役所へ訪ねてくるとは思わなかった。
これでは先が思いやられる」というので父が遺言書を書いたのである。

家が割れると、父方の叔父夫婦・叔母夫婦が寛夫妻の味方になった。
30年50年経つうちに父方の親戚で知らぬ人の顔が数え切れなくなる。
いくら他人同様に暮らしていても父の回忌に出ないという訳にいかないから
母親につれられて出る。
座敷の所々に火鉢が置いてあって、どの火鉢にも馨を疎んじている手がかざされている。
変に目立つ人物は夫の妹婿である。全身に強い白髪が生えていそうな老人で、
会うたびにまだ生きていると不思議に思う人物である。
祖母が寛のために冥土から呼ばずにいるのであろう。
目立つ点では互角の人物で羽織袴の大男がいる。故人の親友である。
茶屋酒を飲みすぎて痙攣するようになった片目を、
金縁眼鏡の中でパチパチやって葉巻をくゆらせている。
二人は寺の座敷で目立つばかりではない。
砂治家の大事な相談に介入する二本の柱で、男というものは看板だけで
実力を発揮するのは女だから、介入を操ったのは故人の妹睦代であった。
これにいてもいなくても同じような気の弱い弟がいて、
その細君が御機嫌取りにちょっかいを出す。光弘が亡くなってからは、
佐治家の本流に加担した方が身のためと思うようになったのである。
今日の法事なぞも、招く客の範囲から寺への連絡、経料のことに至るまで
睦代を中心に女たちが相談して決まったことを、寛が馨のところへ相談に来たのである。
相談という名目の事後承諾である。
未亡人にとって夫の法事が無事に済んだくらい結構なことはないはずであるが、
若い頃から美人と言われた線の整った蒼白い少し陰気な顔を余計暗くして馨は黙っている。
法事が自分たち本物の遺族のためにあるのではなくて、
贋物の遺族の暗躍によって行われたからである。
お家大事で凝り固まっている姑が冥土から
義妹夫婦や義弟夫婦・夫の親友なぞを糸で操って踊らせているからである。
寛が父の先妻の子で家を継ぐのは当然と健作は理解する年齢になってからも、
贋物の砂治家は向こうで本物の砂治家はこっちだという意識が頭から取れない。
そのとき夫の親友が大きな体の片膝を立てて、
誰に言うともなく「じゃあ、失敬するよ」と言った。
彼の前にべったりとすわって礼を言っているのは睦代である。
「まあまあ、今日はお忙しいところをお越し下さいまして本当にありがとうございました。
先日は寛がお邪魔して何かとご相談に乗っていただきましたそうで。
一周忌もお蔭様で無事に済みまして、あとの者たち一同ありがたく存じております。
主人があの通り無口ですし、寛夫婦も世間慣れない者たちですから、
今後もさぞ御世話になることばかり多かろうと存じます。
なにとぞよろしくお願い申し上げます。あっ、お俥は参っておりましょうか。
ちょいと静江さんお着せして差し上げて。
どうぞお寒うございますから、ここでお召あそばして」
喪主と未亡人の挨拶分を一気にガチャガチャ述べ立てて
達者な白足袋動かしてセカセカ追い縋る有様は、空のバケツを叩いて走っているよう。

「もしもし、ああ、知子さんですか。
実は先日静江義姉さが気になることをおっしゃったものですから。
あなた方四人のお嫁さんのうちの一人が、
僕ら夫婦を埋葬することに反対しておられるとかで、
お差し支えがなければちょっと伺いたいと思って」
「あら、それじゃ叔父様がお気を悪くなさるのはごもっともですわ。
私も嫁の一人ですから疑われるのは嫌でございますし、
事実そんな話は聞いたこともございません。
きっとまた私たちが例の義母の謀略に乗せられているんですわ。
四人のうちの誰かだなんて謎めかして、
御自分だけ上手に逃げ道ができたいるあたり堂に入ったものですこと。
ちょうど明日義母が参りますの。やはりこの際ハッキリさせておきましょうよ」

「先日墓がいっぱいだというお話がありましたね。
嫁たちの一人に僕らの骨が入ってくることに反対している人があるとおっしゃいましたね。
知子さんも疑われるのは嫌だと言われるので、誰だかハッキリおっしゃっていただいて、
その人と話し合ってみたいと思います」
「あら、そんなこと言ったかしら」
健作は呆れかえって声が出なくなった。所詮女には敵わぬとまたしても思い知らされた。
「いつまでつまらないことをウジウジ言っていらっしゃるの?立派なお父様のお墓を
いまさらいじくって幾段棚を作らせたところで、入ってくる人は後を絶たないんですから、
どこかで打ち切るのは当然じゃありませんか。嫌ぁねえ」
健作は完全な敗北感の中でこのまま引き下がりたくないと焦っていた。
ふと父の墓と並んで建っている母の墓を思い出した。
兄夫婦がこの世にあるうちもあの世に行ってからも、一番忌まわしく思う人の墓である。
幸か不幸か父の墓と違って拝みに来るのは子供たちだけだから、
これなら何間掘ろうと文句の出る気遣いはなかった。
ここへ兄嫁を入れれば飛び出してくると決まっているし、
母が驚いて先に飛び出る懸念がある。
「義姉さん、佐治薫の墓を掘り下げましょう。まず僕たち夫婦が入りますから、
後からいらっしゃいませんか。皆さん続々来てくださって結構です」
今度は兄嫁が黙った。勝負がついたようなつかなかったような具合で玄関に向かった。
送ってきた知子は「叔父様、今日は本当にありがとうございました。
やっぱりお出でいただいてよろしゅうございまいしたわ。
一度は言った方が良いことですもの。
今までだってずいぶん陰謀には苦しめられて参りましたもの」と丁寧に礼を言った。

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by vMUGIv | 2013-12-11 00:00 | 明治

森鴎外の子供たち その10

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鴎外の息子 森類

僕が「森家の兄弟」と題する30枚の原稿を発表したのは、岩波書店の雑誌であった。
続きの第2回目を書いて、校正刷も出て雑誌が出るのを待つばかりになっていた。
ある日杏奴から呼ばれて家に行った。
応接室の長椅子に茉莉がうずくまって、まるで死にかかっているようだった。
呼ばるべき医者の代りに、杏奴が全身を怒りに硬直させて突っ立っていた。
茉莉さんがひどく書かれているのがお気の毒だと言って岩波書店の人が
原稿を持ってきたと言う。気の毒だから書き直してくれ消してくれというのは
書いた人間のところへ持ってくるべき性質のもので、
モデルの家へ持参して許可を受けるのは意外であった。
「姉さんの鼻の頭の化粧法を実名で書いた人がまだ世界にいないってことは、
あんたがアブノーマルだってことなの。非常識だってことなの。
わかるでしょ、わからないの?どっちなのよ」
それほど悪いことは書いていないつもりだが、
茉莉姉さんを苦しめるなら考え直すと言って玄関を出た。

岩波書店では編集部一同協議の上、
杏奴さんに見せたら一番円満に解決できるとして取り計らった好意であると言った。
坊やがラブレターを落としたのなら、お姉さんに見せて解決するであろう。
しかし僕の場合おかしな処置ではあるまいか。
岩波書店では作品としていいと認めるが、茉莉さんに知られてしまった以上、
話し合いがつかないうちは発表できないと言った。
茉莉さんに知らせたのは誰であろう。妙な理屈だと思ったが仕方がない。
茉莉に見てもらい、気に入らない箇所を削ることにした。
茉莉のことだ、あっちが悪い、こっちがいけない、とだんだんけなすところが増えてくる。
なかでも一番の問題点は「鼻頭」であった。
茉莉の鼻の頭の皮膚は、パッパに似て少し荒い。
人は他人の顔の全体を見るのであって鼻のてっぺんだけを見るわけではないが、
茉莉は手鏡で自分の顔を見るから気になるところがいやに拡大されて見えてくる。
他の部分より少し光沢もあるのが、茉莉には脂が浮いているように見えてくる。
そこでゴミを取って脂を拭き取れば一時的にしろ脂の浮くのが鈍ると考えて、
裁縫の針でつついてから資生堂の薄ココア色の紙で押さえるのである。
それだけの話なのだ。
こことあすこがいけないと言っているうちは良かったが、
杏奴はここが嫌だと言っていたと杏奴が登場する部分を指し始めた。
これで兄が現れて気に入らないと言い出したら、誰が書いたのだかわからなくなる。
2ヶ所直すことによって茉莉の承諾を得たので、一緒に岩波書店に出かけた。
編集部では茉莉さんと話し合いがつけば問題はないと、載ることに決まった。
挨拶をして立ち上がるところへ、杏奴の夫が現れた。
こちらに来たからちょっと寄ってみたと言うが、あまりに符丁が合いすぎた。

翌朝杏奴が僕の家へやってきた。茉莉姉さんは許可したかもしれないが、
あたしが仲介役なのだからあたしを無視しては困る、あたしは掲載に反対だし、
今後も森家のことは書かないように約束せよと言う。僕はその申し出を断った。
杏奴はそれならあたしにも考えがあると、何事か決意したごとく険悪な表情で立ち上がった。
杏奴の心は不安から恐怖に転じていたのだと思う。
結婚前の子供たちを実名で書かれたら大変、悪魔の餌食にはできないわ、
「ああ、神様、悪からわたくしどもをお守り下さいまし」 杏奴は心底そう思ったことだろう。

岩波書店の小林勇専務から電話がかかってきたのはその翌日であった。
「お原稿のことについてお話したいことがあるから、食事でもしながらいかがでしょう」
いぶかしく思い、佐藤春夫先生の耳にはちょっと入れておこうかなという気持ちになった。
「岩波の小林さんが食事でもしながらお話したいと言ってきましたが、
いったい何でしょうか。もう校正刷も出ていますが」
佐藤先生はライターをともして炎を眺めておられたが、パチッと消すと同時に重々しく
「御馳走して断る気だね」とおっしゃった。

約束の日、浅草の鳥料理屋へ連れて行かれた。
「お姉さんをこうまで書くのはよろしくない」
と小林さんはお巡りさんのようなことを言い出した。
ビールが1本空にならないうちに相手の態度が変わり、
兄や姉に愛情を持たない文章だ、アブノーマルだと言い出した。
さんざんやっつけておいて、どうしますかと言った。
僕の原稿は50枚で問題の部分は最後の1枚分であるから、
残りの49枚を載せてもらいたいと言った。
「よおーしッ、そんなこと言うなら絶対載せない。岩波書店の重役として編集部へ抗議する。
もし他から出すなら出してみろッ、ぶっ潰してやる!」と帳場へ響く大声で怒鳴った。
「鴎外が偉いんで、君が偉いじゃあない、威張るな」 一喝して小林さんは
ビールのコップをコツンと卓上に置くと立ち上がった。校正刷は突っ返された。
「今日のところは佐藤先生には言わないように」と料亭を出る前に小林さんは言った。
載せてくれるところがなければ、雪隠の紙に書いてでも複写してでもバラ撒いてやる、
そればかりが頭の中を往来していた。

「ふーむ、そうですか。これを読む限りアブノーマルなんてことはない」
佐藤先生は悠然と紫煙をくゆらせておられた。
「アブノーマルだの暴露記事だのと言われるものではないね。
暴露記事とはこういうものだという見本を、一つ書いて見せておやんなさい」
先生にそう言われても気が重くなった。
「義理のお兄さんのことを『家には於菟兄さんという人が住んでいた』なんぞという
書き方をするのは怪しからぬ」とブルブルッと首を振った小林さんの
怖い顔と口調が頭の隅に残っているせいだ。
「いま『群像』の大久保君が来るから、もうちょっといたまえ」
お蔭で問題の50枚は、「鴎外の子供たち」と題し『群像』に載った。
「どこからでも良い、出してお貰いなさい」 佐藤先生の声はまたしても重々しかった。
茉莉が卒倒しそうになった部分は除いて、カッパブックスの一冊として上梓された。
本家では、類の文章を偉い人が褒めてくれても
内輪のゴタゴタを暴露したみっともないものであることには変わりはないと言っている。
みっともよくするために書いているのではないからみっともない箇所があるかもしれないが、
自分が感じたままを正直に書いたものである。
あたしたちを一人ずつまな板の上に連れてきて好きなように料理されてはたまらないと、
二人の姉から毛虫のように忌み嫌われ、今は会うことも許されなくなっている。

茉莉との行き来は一時途絶えたものの、いつの間にか復活した。
不器用に暮らしているに違いない茉莉の様子を見に行かないわけにはいかなかった。
戸がうまく開かなかったり、電球が切れたり、些細なことで僕の手が役に立った。
サイドテーブルの上に
いつ書いたともわからない原稿用紙の書き潰しが置き忘れられてあった。
「この原稿読んでいいかい?」
読んでいるうちに禿鷹という字が出てきた。「何だい、こりゃ」
「あんたよ」 茉莉は空気から質問されたように平然と答えた。
鼻頭の敵討ちだなと直感したのですぐ読むのを中止した。
茉莉の複雑な頭にかかったら、
互いに自我の感情のことさら繁茂した森家の姉弟という密林の中で、
禿鷹がどんな役回りを与えられているか読まなくても想像できた。

なんとか類から物を書くことを取り上げなくてはと杏奴が考えるうちに、
一つの方法が見つかった。黙殺することである。
「弟さんはお元気ですか」と他人が尋ねると、杏奴は口を一の字に固く結んで唖になる。
「ご旅行でしょうか」「・・・・・・」何を聞いても返事がないので相手も黙る。
「父の法事や父に関する行事というと弟が出てくるのが、今のあたしの悩みの種なの」
杏奴の言葉である。自分だけのパッパではないのだから、父に関することに
僕が関与するのは防げないのではないかと思っていたらそうでもないらしい。
杏奴からは黙殺されっぱなしである。雪解けのきざしはなく、僕も壁を崩す努力をしない。
森家のよんどころない集まりで同席するはめになっても、
遠く隔たって座り一言も口を交わさない。母の悪口を言った人を杏奴は
何年経っても絶対に忘れず許そうとしなかったが、それとまったく同じなのである。
「パッパが一番愛していたのはあたしで、パッパを一番愛していたのもあたしなの」
杏奴の強い信念は年と共に薄れるどころか、パッパ大事の一念から盤石の重みで
心の奥底に根を据え、姓が小堀と変化しても鴎外御息女の生霊が
森家の息災を願って正面からも側面からも舵取りを見守っているようなのである。
「パッパが一番愛していたのはあたしで、パッパを一番愛していたのもあたしなの」
茉莉もそう確信していて、それが茉莉文学という花にしとどの露を宿らせた。
2人の姉の間には「パッパ愛」の熱気がこもっていて、
「あんたなんかなによ」という僕に対する本心が表面の弟愛に隠されている。
僕は子供の時から痩せっぽちだった。
2人の姉のパッパ愛に挟まれて太る暇がなかったのである。

ある日、庭に苗木を植えていた。そこへ近所の人が通りかかって
「今日はお父さんのお骨が津和野へ行く日ですねえ」と言った。
「そうですか」と言うと、変な顔をしてさっき新聞で見ましたと言う。
新聞は全国の人が見る。親父の骨の動く日を全国の人が知っているのに、
知らずに植木を植えている人間も珍しい。
「森家のことは一切末弟の類に相談もしくは報告の要なきこと」
という掟があるわけでもあるまいが、
昔から何事もも知らされたことがないのは事実で、本人の僕も不思議に思っていた。
だが忘れられっぱなしも困るので、とにかく泥の手を洗って
「僕だって生きていますよ」と顔を見せに兄の家に行った。
フランスの雑誌に紹介されるほど立派な清家清氏設計の家に住んでいる人物にしては
着物が質素だと思って兄を見る。子供の頃から親しくしたことがないのでわからないが、
立派な家に住みたいと思ったことなどなさそうな人柄である。
新築をしたのはどうも義姉らしい。義姉はすこぶる行儀が良い上に、
他人に遊ばせ言葉を用いるので堅苦しいのが欠点である。
君に忠・親に孝・良妻賢母である。鴎外記念館がなかなか建たないので、
きょうだい4人にはからって父の印税を受け取らずに
詩碑を建てようという案を考えた人であった。
「母さん、生きている人間のほうも大切にしてください」と息子の一人が言ったという。

「パッパの骨が津和野へ行ったそうですね」と言うと、兄が「ひゃあ」と言った。
兄は機嫌の良い時にひゃあと言う。
「津和野の町長さんが分骨をちょうだいしたい、土でも結構です
と熱心に言われたものだから、土をあげたのだ、土だ」
と兄は照れくさそうに軽く片手を上げ、苦笑いで取り繕った。兄の笑顔には、
またお前さんを忘れた、失敬失敬という表情が入り乱れ、降参降参とも読めた。
内心知らせなかったのは悪かったと思ったらしいが、すまなかったとは言わなかった。
バツが悪い時の兄は衣紋が少し抜けて斜に構えた姿勢が、
歌舞伎の世話物のおかみさん風になる。「なにも悪気があって内緒にしたんじゃないんだよ」
と見栄を切ったような格好になるのだ。喧嘩・談判お断りが兄の生来の流儀なのか、
長年継母と渡り合って会得した事なかれ主義の極意なのか、
押すことも叩くことも出来なかった。
こう柔らかく受けとめられると、こっちがつまらぬことに気色ばんだような気がしてくる。
「今度から大事なことがあったら知らせて下さい」と頼んだ。
所詮、仲良くなることも仲悪くなることも難しい、半分嘘の男兄弟の運命であるらしかった。
兄は他の3人に比べ格段に大人であった。
常に冷静で、母も鴎外の亡き後には相談相手としたし、
茉莉は弟妹たちに対する公平な計らいをいつも感謝していた。

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森類の随筆の中で、森茉莉が激怒した部分

箱型の鏡台を暗い方へ向けてきっちり合わせた立膝をする。
姉の鼻の頭の皮膚は荒い。特別気になるほどではないが、姉がひどく気にしている。
並みに見えるためにはあらゆる手段を惜しまない。
赤いメリンスの布を指に巻いて気が済むまで摩擦し、白粉をつけて真っ白にする。
純白の花の頭から見る者の好奇心を散らすためであろう、紅で頬を真っ赤にする。
日に焼けた額が黒いので仕上りは異様だが、当人の気が済むのだから仕方がない。
これは僕は「鼻頭工作」と言った。工作が終わると髪である。
不器用なので自分の髪が自由にならない。
恐ろしく時間がかかる割に、手間をかけて結ったようには見えない。
「あっちからパラパラ、こっちからパラパラ、要らない毛が下がっているが、
何とかならにものかねえ」 一緒に歩く場合もあるので聞いてみると、返事もしない。

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by vMUGIv | 2013-12-10 00:00 | 明治


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