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岡本かの子 その8

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息子 岡本太郎

実際に世間の母親のしてくれるようなこまごましたことは何ひとつしなかった。
できなかったのだ。

私には豊子・健二郎という弟妹があった。いずれも二歳ぐらいで死んでしまった。
よく赤ん坊は戸を閉めっぱなしにした暗い奥の部屋に寝かされていた。
なにか用があって隣の茶の間から入って行った母が、
不用意に赤ん坊に蹴つまづいては「アラ、大変!またやってしまった」と自分で呆れていた。
まったく世の母の風上にも置けない母親だった。
若い頃の父親は子供にはひどく無関心だったし、
母は家事・育児には恐るべきほど疎かった。

母はいつも私に背を向けて、一日中机に向かって書きものをしていた。
私がまったく応えてくれないのにたまらなくなって背に飛びついて行くと、
うるさがって私を柱やタンスに兵児帯で縛りつけてしまう。
泣いても暴れても振り向きもしない。
私は裸で本当に犬の子のように、四つんばいになって母の背中を悲しく眺めていた。
極端に言えば、野良犬のように放り出されたまま勝手に大きくなったのだ。

束ねもしない黒髪が背中に垂れて、時々のぞく痩せた真っ青な顔。
大きく見開かれた黒い目が、キッと前方を見つめている。
近所の腕白どもが「お前のお母さんはユーレーだ、ユーレーだ」と囃し立てたが、
本当にそう言われるのがピッタリの鬼気迫る姿だった。

たまには風邪などを引いて寝込むことがあった。母は看病など決して得手ではない。
三、四日床についていてもその間母は顔も見せなかった。治ってからあんまりだとなじると
「だって、病気してる太郎なんて汚くって嫌だから」と母はあっさり言った。

母の親戚から「かの子さんの手にかかって、ほんとに太郎さんはよく無事に育った」
と言われるぐらい、放置されたまま生い育ったのである。
こんな教育を受けて育ったから、私は世の中に生きて行くのにはまことに不自由な性格だ。
小学校に入った年に、一年間で四つ学校を替えた。
母も困り果て、とうとう小学校はずっと寄宿舎に入れられた。

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息子 岡本太郎

よく婦人雑誌から「ご自慢のお料理は?」などと尋ねられ写真を撮りに来たりする。
すると滑稽だ。彼女は髪をきれいに結い、念入りにお化粧して晴れ着に着かえる。
その上に真新しい割烹着をつけてフライパンを左手に構え、長い菜箸を片手に
キュッと右上を睨んだりしておよそ料理を作っているらしくない写真を撮らせる。
それが麗々しく婦人雑誌の口絵になったりするので私など吹き出してしまったものだ。
実際は当時我が家の一切を切り盛りしていた恒松安夫が台所もほとんど受け持っていた。
だから私の思い出にあるのは母の味ではなく、
剣道三段の独身男の手料理の味なのである。

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世界一周旅行に出発する 一平 かの子 太郎
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by vMUGIv | 2012-06-08 00:00 | 大正

岡本かの子 その7

一平が描いたかの子
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息子 岡本太郎

若い日の父は色白で痩せぎすのやや癇の強い美貌だった。
後に人を包み込むような円満相の丸顔になったのは、
かの子という煉獄を抱え込んでの修行の賜物だったかもしれない。

母の死後一年あまりして私は帰国したが、
再会した父はひどく年を取り無精ったらしいオヤジになっていた。
疎開先の岐阜でまことにあっけなく急逝したが、
晩年は乞食のようななりをしてその身を飄々と風にまかせているようだった。
死ぬまでかの子のことを観音様と言っていたが、
つまりは生ける屍のように虚しかったのに違いない。

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かの子の死後あとを追うのではないかと周囲を心配させるほどだった一平は、
1年後かの子の兄晶川の遺児鈴子に求婚する。
一平は28年前かの子にしたように大貫家へ鈴子をもらいに行った。
一平の行動は大貫家の人々には正気の沙汰とは思えなかった。
27歳の鈴子が独身なのは家柄と美貌とに釣り合う相手を探しているからであり、
53歳の叔父からの求婚など即座に一蹴された。

ちなみに鈴子は地唄の米川文子に師事し、名取となり大貫文加寿の名をもらっている。


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一平から太郎への手紙 昭和14年10月11日

僕はとても元気だ。いろいろの企てを始めている。
お母さんの実家にいる姪〔鈴子〕を当人の才能に在りそうなので、
地唄という芸事を習わせにかかっている。お母さんはこの亡兄の遺児のことをしきりに
気にしていたし、芸事はお母さん大好きであったし、
姪御がその道で立って行くつもりなら大いにやらせるつもりだ。その他まだある。
そのうち知らせる。なにしろ往年の青春の血が甦ってきた青年一平だ。安心してくれ。

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一平とかの子は肉体関係を持たないことを決め、それはかの子が死ぬまで20年近くも続いた。
かの子が次々と愛人を作り、恒松安夫と新田亀三とともに4人で共同生活を送っていた間も、
一平はかの子と愛人達の間に肉体関係はまったくないと信じていた。
事実はどの愛人ともかの子は肉体関係を持っていた。
かの子の葬儀の後、新田から事実を知らされた一平は虚脱状態に陥ったという。

かの子の死から2年後、55歳で29歳の山本八重子と再婚。
周囲が非難すると「かの子のような女と長年暮したら、
俺だってぼおっとくつろげるような女と暮らしたいよ」と答えた。
4人の子をもうけるが、結婚7年で死亡。

●いずみ
●和光
●おとは
●みやこ


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息子 岡本太郎

1940年夏、私は十数年のフランス生活を切り上げて帰ってきた。
かつてあれほどの美丈夫だった父が、信じられないくらい年寄りになっていた。
ツバのすっかり垂れ下がった破れ帽子に草履ばき、水筒など肩から下げて
無精ヒゲは伸ばし放題、乞食同然の格好で「フンニャラ、フンニャラ、フンフンフン」と
歌のような訳の分からない文句を口ずさみながら飄々と町を歩いていた。

私はその時初めて、親父が一人の女性と一緒にいることを知ったのだ。
かの子を失って絶望の時代、地方に旅行中偶然世話されたずっと年若の女だが、
今では家で身の回りの面倒を見させている。八重という。
やがて子供ができる、となにげなく話す父は苦しそうだった。
私は正直に言ってホッとした。それでいい。
岡本かの子という爆弾を抱えて親父の半生はまことに言いようのない苦難の事業だった。
しかも母の死以後、どうにもならないほど空虚で孤独だったのだ。
聞いてみると、今度の相手は田舎育ちのおとなしい女性だという。
かの子とあの阿鼻叫喚というような苦闘とスリルをくぐり抜けてきた親父が、
今度はそういう人と余生を静かに送るというのも自然だし許されることだ。
私の賛意に親父はホッとしたらしい。

そして彼女に会った。私より一つ年下。小柄で別に特徴もない。気が小さいらしく、
下を向いて口をモゴモゴさせているだけ。挨拶もろくにできない。まったく影のように
おとなしい女性だ。だが生活してみると、ずいぶん変わっているのに気がついた。
信じられないほど消極的、何事にもハキハキしない。別段家の中のことを
やるわけでもない。応接セットのカバーがひどく汚れたり破れていようが、
クモの巣がぶら下がっていようが、座敷の真ん中に物が散らかっていようが、
気がつかないのか平気だ。女性的な細かい心配りはまったく見られない。
自分の領域だけの物をいじって、あとはまるで芯が抜けたようにペタッと座っている。
こんな本能的な執念だけで固まっていた人間は珍しい。なにか異様な気分だった。
こんな風でお互いの間には平たい意味での会話さえありえない。

1948年父が亡くなると、私の人生の舞台はキリキリと一回転してしまった。
いきなり子供4人を抱きかかえて義母が私にすがりついてきた。
自分一人でも食えないのに、いっぺんにこれだけ抱え込んでしまって
いったいどうなるのか。正直のところ腹の底が冷え上がった。
葬儀を済ませ、一応義母たちを置いて東京に帰ったが、
さていったいどのようにして生活を立てたものか思案に暮れた。
義母からは東京に出たいと矢の催促だ。やが待ちきれないで義母は突然引き上げてきた。
仕方がないから学校へ挨拶に行って、柄になくペコペコ頭を下げた。
先生は勘違いして、私の隠し子か妾腹かなにかと思ったらしい。
考えてみれば我が子にしても幼すぎるぐらいの弟なのだから無理もない。
一番下の女の子が片付く頃にはちょうど私は親父の死んだ年頃というわけだ。
女房も子もない私が、世の父親なみにPTA的苦労なんかしていると
ひどくユーモラスな気分になってくる。近頃はこの重荷も軽く考えられるようになった。

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◆関東大震災の時には、かの子一家は島根県の恒松の実家に避難した。
◆新田亀三はかの子の死後郷里の岐阜県に戻り親の病院を継いで結婚した。
◆戦争中は一平家族は岐阜県の新田宅に疎開した。
◆恒松安夫はのちに郷里の島根県知事を務めた。

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by vMUGIv | 2012-06-07 00:00 | 大正

岡本かの子 その6

◆35歳 慶応病院の外科医新田亀三と不倫関係に。
◆36歳 不倫がバレて新田は北海道に飛ばされる。
◆39歳 新田が岡本家へ同居。
◆40歳 かの子・一平・太郎、恒松と新田をつれてヨーロッパ外遊へ。
◆43歳 フランス留学する太郎のみを残してヨーロッパから帰国。
◆49歳 恒松に結婚話が持ち上がり岡本家から追い出される。
◆50歳 慶応大学生と旅行中脳出血で倒れる。自宅で数ヶ月療養生活を送るも死亡。


★第3の同居愛人 外科医 新田亀三 のち病院長
-1971 -昭和46


香港にて
後列左から 不明 新田亀三 恒松安夫 不明
前列左から 太郎 一平 かの子
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船上にて 左から 一平 太郎 かの子 恒松安夫 新田亀三
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イギリスにて 左から 新田亀三 かの子 一平
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一平の帰国後、かの子は慶応病院で痔の手術をする。
病院で知り合った外科医新田亀三と不倫関係となる。
かの子との不倫がバレて慶応病院をクビになり、北海道の病院へ行く。
3年間遠距離恋愛を続けたが、結局新田も岡本家に同居し、
以降かの子の死亡まで留まった。


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第3の同居愛人 新田亀三

かの子が痔の手術を慶応病院でした時、私が執刀したのではなく当直だったんですよ。
かの子は痛みでもなんでも人の5倍は強く感じてしまう。
手術のあと痛がって泣き叫んで大変なんです。
あんまり可哀想なので、私がモヒ〔モルヒネ〕の注射をしてやったのです。

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退院したかの子は一平に頼む。
「パパ、病院で西洋蝋燭のような男を見つけたのよ。ね、もらってきて。すぐもらってきて」
一平が病院へ行き新田と交渉するが、当然新田は断る。
かの子は病院へも乗り込む。新田を見つけると人目もはばからず泣いて新田を口説く。
とうとう新田は岡本家を訪問する。しかし新田は二度と帰れなかった。
岡本家から病院へ通う新田の生活はたちまち病院にバレ、北海道に飛ばされてしまう。

かの子は連日新田にラブレターを送るとともに、北海道にも頻繁に会いに行く。
一平が青森まで送って行き青函連絡船に乗せるのである。
「カチ坊〔かの子のあだ名〕、必ず帰っておいでよ」
「うん、きっとパパのところに帰るから」
病院ではかの子を東京に住んでいる新田の妻だと思っていた。
遠距離恋愛が3年間続いた後、新田も岡本家に同居することを決める。

全15巻の『一平全集』がベストセラーになり多額の印税が入ったため、
かの子・一平・太郎は、恒松と新田もつれてヨーロッパ外遊に出発する。
フランス留学する太郎のみを残してヨーロッパから2年半後に帰国した。


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第3の同居愛人 新田亀三

あの断髪はね、ロンドンで僕が切ってやったんですよ。
この方がずっと似合うと言いましてね。
あの髪は死ぬまで誰にも切らせなかったんです。
伸びれば必ず僕が切ってやりました。

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外科医として長期間メスを持たないでいると指先の感覚が鈍くなるように感じた新田は、
イギリスでミシンを買う。それからは新田はかの子の専属お針子になる。
かの子は街で気に入った布を見つけると
「これですぐ明日までに縫ってちょうだい。スタイルはどんなのがいいかな?」
恒松まで動員されてスタイルを検討し、一平がスタイル画を描いてやる。
新田はそれを徹夜で仕上げなければならない。
翌朝「ステキ!ステキ!こういうのが着たかったのよ」とかの子は御機嫌になる。

観光も観劇も会談も、必ず男3人が必要だった。恒松と新田が通訳をして一平が絵で補う。
帰宅すると恒松と新田はその日のレポートを作ってやらなければならない。

恒松は掃除洗濯・家計を切り盛りし、新田は西洋料理や中国料理までおいしく作った。

恒松に結婚話が持ち上がり岡本家から追い出される。


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第3の同居愛人 新田亀三

かの子という稀有な才能と人間を支えるには、僕たち三人が三人とも必要だったんです。
三人の必死に支える力が均等で、
かの子という烈しい魂と肉体がやっと穏やかで安心していられたんです。
その脚の一本が欠けてもバランスがかしいでしまうんです。
かの子の健康が恒松安夫が岡本家を出て以来、
目に見えて芳しくなくなったのがなによりその間の事実を物語っています。

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◆50歳 慶応大学生と旅行中脳出血で倒れる。自宅で数ヶ月療養生活を送るも死亡。

この大学生はかの子が倒れたので慌てて宿を逃げ出し、いまだに誰だったのか分かっていない。
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by vMUGIv | 2012-06-06 00:00 | 大正

岡本かの子 その5

◆28歳 慶応大学生恒松安夫が岡本家へ同居。
◆33歳 一平が世界一周旅行へ。


★第2の同居愛人 慶応大学生 恒松安夫 のち島根県知事
1899-1963 明治32-昭和38 64歳没


恒松安夫とかの子
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左から 一平 恒松源吉 かの子 恒松安夫 手前は太郎
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恒松源吉・安夫の兄弟が岡本家に下宿を始めた。かの子の父の知人の息子たちであった。
安夫は、子供が放置され、汚れ物は積み上げられ、洗濯物が散乱して、
あちこちにお金が落ちているという岡本家の惨状を見るに見かねて片づけるようになる。
そのうち家事・育児はもちろん家計も任されるようになり、こまめで気の優しい安夫は
いつの間にかかの子の女中兼秘書兼経理兼崇拝者にされてしまった。
以降20年、安夫は岡本家の秘書役を務めることになる。
影の薄かった源吉は数年後チフスで亡くなっている。


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恒松安夫の大学時代の友人 有森英彦

かの子は安夫に自分を<お姉さん>と呼ばせていた。

ある日、かの子が恒松に帯を結ばせていた。
「もっとよ、あら、締めすぎ。も少し緩く。あら、緩すぎた、きつすぎるってば」
なかなかかの子の気に入るようにはいかない。
「ちょっ、なんて不器用なんだろ」
「そんなこと言ったって、無理だよお姉さん」
おとなしい恒松は顔に汗をにじませ顔を紅潮させ苦心惨憺である。
ようやく締め加減が及第したら、次はお太鼓の形が定まらない。
いちいち文句をつけて、いつまで経ってもかの子の理想通りに出来上がらない。
「もう、いいわ。いいわよう」かの子は大きな目に涙をあふれさせ、
とうとう結んだばかりの帯を解いてしまった。
「こんな気持ちの悪い帯で、とても人の前に立って話なんかできやしない。
今日の講演は行きません。何とでも言って、あんた電話で断ってちょうだい」
とうとうかの子は帯が結べないという理由でその日の講演をすっぽかしてしまった。

太郎に対するかの子の態度なども、
普通の家庭に育った有森の目にはまるで継子いじめのように冷たく感じられる。
「可哀想だなあ、こんな小っちゃい子に」
叱りつけられている太郎に同情してつぶやくと、かの子に睨みつけられ、
「ほっといてちょうだい!私には子供なんて育てられません」と怒鳴りつけられてしまった。
まるでそれが当然のように
胸を張ってヒステリックに叫ぶかの子の態度に有森は度肝を抜かれ黙ってしまった。

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売れっ子漫画家となった一平は雑誌社の招待で世界一周の旅に出た。


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第2の同居愛人 恒松安夫

童女のかの子の生活は世俗を超越していて、文字通り探美耽美の生活に没頭していた。
かの子は時々恋愛めいた感情を抱き、
そうした時にはかの子の神経は針のように鋭く尖っていて、
一平はもちろん私にまで苦しい気持ちを告白するのが常だった。
私たちは彼女の気持ちを落ち着かせることにずいぶん苦心した。

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恒松は40歳の時に他の女性と恋に落ちて、岡本家を追い出される。

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by vMUGIv | 2012-06-05 00:00 | 大正

岡本かの子 その4

◆22歳 太郎誕生。実家が破産。
◆23歳 兄晶川死亡。早稲田大学生堀切茂雄と不倫関係に。
一平の了解のもと堀切が岡本家へ同居。
◆24歳 母親死亡。豊子誕生、里子に出すが死亡。堀切と妹キンとの恋愛発覚。
実家から堀切と縁を切るように迫られる。かの子精神衰弱で精神病院へ入院。
◆26歳 健二郎誕生、里子に出すが死亡。
◆27歳 かの子別の男性と不倫関係に。 
堀切は岡本家を追い出され郷里福島県に戻るが結核で死亡。


★第1の同居愛人 早稲田大学生 堀切茂雄
1890-1916 明治23-大正05 26歳没

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作家 中村星湖

大正4年11月、中村は堀切から相談を受ける。

「私と彼女との交際は私が雑誌の投稿家時代から始まっているのですよ。
最初向こうから手紙をくれまして、それから2、3年文通を続けておりました。
私が国の方の中学を卒業して東京へ出てきた時には、彼女はもう嫁入っていたんです。
手紙の上だけで恋していたのだけれど、私は自分のそれまでの心持を、
彼女が嫁入ったからって急に捨てるわけにはいかなかったのです。
彼女の方でも私を相変わらず愛しているといいました。
夫に対しては兄妹の感情しか持っていないとも言いました。
女の態度がそんなですし、彼女の夫は私を弟のようにかばうという風で、
私は彼らと一緒に住まうようにまでなりました。
けれど、彼女の親たちは私と彼女との関係がわかるとたいそう腹立って、
以後絶対に生家へは寄せ付けないと彼女に言い渡したそうです。
ところが、先ごろから彼女はまた別の男に心を向け始めたのです。
私ももうあんな泥沼のような生活に飽きました。一切を忘れてしまいたいと思いました。
誰かこの混乱している自分に、
本当の行くべき道を教えてくれる人があれば良いと思います。
催眠術などで心の方向が急に変わるものならば、それをかけてもらいたいとまで思います」

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一平は夫妻の家に堀切を同居させることを決断する。
この間に堀切の子と思われる2人の子供を生むが、いずれも夭折している。


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作家 生田花世

かの子は「あなたなら私の苦しみをわかってくれる」といきなり初対面の生田の家にやって来た。

その日のかの子は派手な大柄の空色の錦紗の着物を着て、
長い髪を結びもせず両頬でハサミが入れられ飾り毛を作ってあった。
肌は地肌も見えない白粉の厚塗りであった。
たちまち通りの子供たちが、かの子の異常さに目をつけぞろぞろ後ろからついてくる。

「人の思惑なんて全く考えない人ですからね、物に憑かれたようにしゃべり続けるんですよ。
育ちと性格の違いからくる一平との生活の食い違い、
初めは鷹揚に堀切を招くように勧めた一平が思いがけない嫉妬に悩まされ、
二階と一階を右往左往しなければならない切ない状態、
当時一平は酒毒と放蕩で肉体的に不能に近くなっていて、
性欲の強いかの子が一平では満足を得られなくなっていたこと、
堀切の結核体質者特有の性欲の強さがかの子を肉体的に満足させたこと・・・、
そんなことをしゃべり続けるんですよ。本当に困ってしまいましたねえ」

結局この日、かの子は7時間もぶっ通しで話し続けた。
生来の優しさと律儀さからいいかげんに聞き捨てにできなかった生田は、
その後3日も寝込んでしまった。

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息子 岡本太郎

若い母の情熱が、家に出入りしていた青年との間に思わぬ葛藤を描いたりした。
堀切という文学青年も彼女の愛慕者の一人であった。
鼻筋が通って細面のやや蒼白な顔に、漆黒の髪が無造作に落ちかかり背がスラッと高い。
いつも目のつんだ紺飛白を着流し、兵児帯がキュッと小気味よく
腺病質の彼の胴回りに結ばれていた。美青年であった。

彼はやがて一緒に住むようになった。
二階の父の画室の一隅に机を据え、石油ランプの光でよく熱心に小説を書いていた。
だが、このようにかなり無謀な生活が破綻なしで済むはずがない。
しかもここに母の一番可愛がっていたすぐ下の妹が登場したのである。
母にはタイラント的な気質が多分にあって、おとなしい妹は最愛の肉親であるとともに
従者であった。彼女は母に心酔し従属していて、母の好みをそのまま自分の好みとしていた。
結婚前はそばを離れることがなかったくらいで、小間使いの役目すらかっていたのである。
この妹が母の対象である堀切にやはり心身を打ち込んでしまった。葛藤は深刻であった。
母の性質の特異な一面として、自分の欲する対象にもし他人の思いがかかったならば、
おのれの心の内からそれを切り捨ててしまう病的なほどの潔癖性があった。
この時もそうだった。妹の心を知った母は、悲痛な思いで堀切を切り捨ててしまった。
彼はまったく狼狽して彼女の心を取り戻そうと必死になったが、ついに無駄であった。
まもなく結核が失意に悩み悶える青年の若い生命を断ってしまった。
多感な母の起こした渦紋はこれのみには尽きない。

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岡本かの子から作家生田花世への紙上書簡 大正4年9月号『青鞜』

一昨年の8月下旬、ちょうどあなた様がお訪ね下さった2ヶ月半ほど前に
私は産を致したのでございました。産はかなり安産でございました。
けれどもあとの肥立ちがあまり思わしくございませんでしたところへ、
ある日思いがけぬ刺激に襲われたのでございます。
あなた様がお訪ね下さった時には、こうした私が病院の2階の窓から、
「あれ、あの女がまた私の生血を吸いにきた。私のこの真赤な恋の若い血を妬んで、
あの醜い女が汚い紫色の唇をして真黒な大きな口をあいて、あれ、あれ、あそこへ」
などと普段から私の恋を呪っておる女の名など
叫び続けたりしていた最中なのでございます。

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兄大貫晶川の妻ハツ

ある日、おきんさんが東京から帰ってきてずっと泣いていたのがとても印象に残っています。
その日、堀切さんとのことでかの子さんと決定的なことがあったんだと思います。
堀切さんとおきんさんが、
二人で多摩川の堤を歩いていたとか鎮守さまの森で会っていたとか、
それはもうウチの女中や出入りの男衆が噂をするようになっていましたからね。

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第1の同居愛人 堀切茂雄

文芸雑誌に短い文などを投稿していた頃に、見知らぬかの子から私は手紙をもらった。
その手紙を頼って上京した私であることをもキンは知っていたからである。
もっとも私が彼女を訪ねた時は人の妻であった。彼女の夫はそうした私を寛容した。

キンが私のいる寄宿に訪ねて来たことがかの子に発見されてから、
キンはまったく私とかの子とから遠ざかった。
そして5、6ヶ月沈黙の態度を取っていたキンは、
羊のような彼女にも似合わない激しい脅迫をかの子に加えた。
彼女自身かの子の家に出かけてきて、
かの子に道徳だの倫理だのと小難しい理屈を言って威嚇した。

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堀切とキンの交際がかの子にバレて以来キンが疎遠になっていたのは、
かの子が実家の両親にキンについて激しく抗議したからであった。
かの子はキンを一日も早く嫁がせるように両親に迫ったので、
キンも反撃に出たのであろう。


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作家 中村星湖

かの子は中村を訪ねて、堀切とのことを弁解する。

キンから堀切への手紙を盗み読みしたかの子は、
キンが堀切の今の境遇に同情すると書いてあったことに激怒した。

「堀内さんはわたくしの妹なぞに同情されなければならない惨めな境遇にいるだろうか。
それはまるで私たちがあの人を虐待してでもいるようだと思いました。
わたくしこそ苦しかった。夫がいかに寛大だと言っても、わたくしはこれでも女です。
男二人の間に立ってどんなに気苦労してきたことか。
この心持ちも察せずに、ただ若いというだけを取り柄にして
あんな妹などに心を奪われかけたHさんがわかりませんでした。
苦情を言うならわたくしの方にどっさりあるのでございます。
複雑とか不純とかいうことは、むしろあの人の方にありはしなかったかと思います。
わたくしは一時に多数を求めるような女ではないつもりでございます」

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かの子の妹 キン

堀切さんが姉から私に愛を移したなんてことは全くございません。
姉と私は比べられるようなものではありませんでした。
姉は私より並はずれて優れていたいたのでございます。
ただ姉はタイラントでしたから、愛する者を可愛がると同時に
ひどく傷つけないではいられない不思議な性癖がございました。
堀切さんは姉の愛とサディズムのない合された激しさにヘトヘトに疲れたのです。
その時、私の中にほんの仮の安らぎ場所を見つけたに過ぎないのです。

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実家の父や弟は堀切との関係を清算するように、一平にもかの子にも忠告しに頻繁にやってきた。
そのたびに一平は二人の関係は夫の自分が公認していることだからと弁護するが、
理解されるはずもなかった。
結局キンは無理矢理に嫁がされ、かの子は実家から絶縁されるが、堀切はかの子の元へ戻った。
かの子はいっそう堀切を可愛がるようになり、大正04年頃まで関係は続いた。
もともと堀切は同居の最初から炊事・洗濯をして、一平の食事も作っていた。
かの子の退院後は看病をし、太郎・豊子・健二郎の世話もした。
しかし、かの子は新しい愛人を作る。


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第1の愛人 堀切茂雄

新しい愛人を作ったことを問い詰める堀切に対するかの子の言い分。

「それが今やっとあなたに分かったんですか。なんというノンキな人だろう。
私のこれまでの病気の苦しみを考えたら、
今さら何も言えないはずのあなたじゃありませんか。
私はあの病気をし始めた時から、あなたがもう嫌なんです。顔を見るのも嫌なんです。
あんな優しい夫にいろいろ迷惑や不自由をかけたり、故郷とも絶交になったり、
あのキンだっても根はあんなに悪辣な女じゃないのです。
それを誘惑したのもみなあなたです。あなたはこの世の敵ですよ、仇ですよ。」

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結局新しい愛人ができたかの子に疎まれて岡本家を追い出され
堀切は郷里福島県に戻るが結核で死亡する。

岡本家を出て行く時、かの子は豊子と健二郎の位牌を堀切に渡している。
さらに死の間際の堀切の日記には
<太ちゃん・豊ちゃん・健ちゃんを思う。可愛い太ちゃん、恋しい豊ちゃん・健ちゃん>
と書かれている。
太郎は不明だが、豊子・健二郎はやはり堀切の子だったのだろう。
一平とかの子は肉体関係を断つ誓いをしているので、少なくとも一平の子ではない。


左から キン かの子
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左から 太郎 キン かの子
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by vMUGIv | 2012-06-04 00:00 | 大正

岡本かの子 その3

◆21歳 岡本一平24歳と結婚。
◆22歳 太郎生まれる。実家が破産。


★夫 漫画家 岡本一平
1886-1948 明治19-昭和23 62歳没
書家岡本竹次郎の子
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息子 岡本太郎

父は内心憂愁と反逆の鬱々とした浪漫性をたたえ、外面は洒脱飄逸早熟の都会児で、
年に似合わず大酒し遊蕩児然とした美青年の毒舌は周囲の者を辟易させた。
絶えず光を求めながらそれを否定していた若い美校生は、
やがて彼の命を救うことのできるただ一人の女性に邂逅したのである。
それが母かの子であった。

母は多摩川のほとりに代々続いた豪家・大貫家の長女に生まれ、
生来の奔放な特異な性格から秘蔵娘としてのびのびと育てられた。
成長しても母の両親はどういうわけか、この娘は普通の子と違う、他人様のところへ
順当に嫁にやれるような娘ではないと言っていたという。母自身も他家に嫁すというより、
生涯を音曲の師匠として静かに送るくらいの気持ちであったらしい。

父が日本橋から毎日はるばる多摩川を越えて
がむしゃらにしかも辛抱強く二子の大貫家へ通い母を獲得した話はすでに有名である。
かなりのためらいの後に、かの子は父の求愛に応じた。
水際立った父の美貌に魅かれたことも確かだったろう。

しかしまるで違った生い立ちと性格を持った二人の結婚生活は、
たちまち障害に突き当たった。実際かの子と共同生活してみれば、
このくらい不自由で大変な相手はいない。
純粋だけが猛烈に狭い一途な性格に、一平も初めはヘキエキしたようだ。
嫁してきた母は肌合いの違う下町の生活になじめなかった。
舅姑や弟妹との間もうまくゆかず、しばらくして新居を構えて移った。

だが、新家庭は経済的にはまったく恵まれていなかった。
父は当時新築された帝劇の背景を描いて生活していたが、
やがて朝日新聞に入社して漫画を描くようになった。
江戸っ子気質の父は、世間体をつくろったり友達づきあいのために
収入のほとんど全部を飲んでしまったりして家計の方は惨憺たるものであった。
乳母日傘で育った母は生まれて初めて経験するこの生活苦に呆然とした。
家政にうとかった母は周囲から軽蔑された。多感な母は冷たい現実に傷つけられ、
また母の情熱が家に出入りした青年との間に思わぬ葛藤を描いたりした。
弱い心身にこれらのすべてが絡んできて、母はにっちもさっちも行かなくなってしまった。

新聞社に勤めていた父は夜中にしか帰らなかったので、
母と子は一日中家の中でじっと抱き合うようにして暮らしていた。
近所づきあいはなく、訪れる人も稀だった。
二人っきりで世の中から置き忘れられたような寂しい毎日だった。
その頃の母はひどく痩せて青白くピリピリと神経の研ぎ澄まされた女性だった。
異様に見開かれた大きな目。黒髪がいつもほとんど束ねられもせず、
パラリと肩にたれ下がってなにか凄愴な気配だった。母は時々激しく泣いた。

その前後、母はほとんど狂気に近かった。
ある日父は半狂乱の母のうつろな瞳孔を見てハッと胸をつかれた。
今までまったく彼女をかばっていなかったこと、彼が自負していた母に対する鷹揚さ、
例えば若い情人を自分の家に入れて平然と暮らすような突き放した寛大さは
少しも彼女へのいたわりではなかったことに気づいて
初めて母を本当に守らなければならないと心に誓ったようだ。
父のこの決意は母の死まで、また死後においても微動だにしなかった。
父は母を傷つけていたすべてのものと決別した。盃を手にせずには仕事ができなかったほど
好きで日夜浴びるように浸っていた酒も煙草も断ち、
友人や肉親との付き合いさえ断ち切ってひたすら母を支えることに集中した。
連れ立って宗教の門を叩き、生活を立て直そうとしたのもこの時分である。
父は未熟な母を童女のようにかばい、相互の愛情は夫婦というよりも
むしろ父娘のような相貌を帯び始める。
このように相互の深い信頼と理解によってまったく異質の芸術家同士として支え合い、
高め合う独特の共同生活を完成した。一家連れ立ってヨーロッパに遊ぶ頃には、
父母ははた目にはうらやましいほどの和合に達していたのである。
しかしその裏にはやはりまた一つの陥穽があった。それは俗な意味での夫婦生活である。
母をかがうことに決心して以来、二十数年の夫婦生活の間
父は肉体的な夫婦の関係をまったく持たなかった。

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夫 岡本一平

かの子の実家は武蔵相模の旧家で、東京の赤坂・青山・京橋にも別宅があった。
小学校時代は祐筆の娘の老女をつけて保母にされ、
女学校時代は跡見花蹊先生の塾へ入れられた。
英語のため桜井女塾に入ったこともある。歌は天才少女と呼ばれていた。
この娘にはなにか特別いじらしいものがあって、捨ててはおけなかったと母親は言った。
さびしがり屋なので、14、5ぐらいまで母親は抱き寝をしてやったということである。
いくつかの結婚の申し込みをしりぞけて、
生涯独身で琴の師匠にでもして兄弟たちに面倒を見させようと住宅の設計までできていた。

僕の方はというと家格はそう悪くはないが、父の代は下町の中産階級以下の書家で、
看板やら書き名刺の文字やらを書いて暮らしていた。
僕が美術学校へ入ってしまったものだから、
学費にちょっと負担を感ずる程度の生活だった。

一方は手も足もない、置いたら置いたままにされているようなお嬢さんである。
一方は不平満々として少しは不良性もある野心家の青年画家である。
これが結婚するのはお嬢さんにとってずいぶん危険な道であった。
母親はこの結婚を許す時こう言った。
「岡本さん、この子をおもらいになってどうする気です。
普通の考えだとずいぶん双方で苦労をしますよ」 これは当たっていた。

青山に画室付きの小家を父に建ててもらって、そこに二人は住み入った。
彼女は広い家から狭い家へ嫁入りしてきて珍しがっていたが、
片や腰を柱や壁につかえさえした。
初めのうちは新家庭や花嫁を珍しがって家でちやほやしていた僕も飽きてきた。
女中には必ずいじめられた。僕はむしろ世故を経た女中の方を怜悧なものとし、
彼女を不甲斐ないものとして女中の方に味方する場合があった。
この時分僕はまだ酒を飲んで道楽の名残も跡を引いている。
金のない自宅では美味い物も面白いこともありようはずがない。
すると僕は外へ出て一人でなんとか算段してそれを満たした。
帰ってくる時には酒飲み友達の二、三人でも連れてすぐ酒宴にかかる。
二日二晩も酒宴の続くことがある。彼女は暗い隣室にただおとなしく座っている。
かの子はこの時代極端に内気で無口で始終うつらうつら物を考えているような娘だった。

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夫 岡本一平

主人は主婦に、まあ恋に似たような事をやって親元から懇望してもらってきたのだから
言わば夫婦であった。夫婦であったが、
主人の放埓我儘や主婦の矯激な感情が食い違いをやってひどい目にあった。
二人の性格がいっぺんズタズタになった。
お互いに生かしてはおけぬほども憎み合って、
しかも断ち切れぬ絆は二人を泣き笑いさせた。
それから双方傷手をいたわり合うような所へ出て、今日では夫婦の仲なぞということも、
まだ間に性という垣根があるから煩いだ、もっと血肉になろう、
で今では主人と主婦とは身体の上に修道院の僧と尼僧のごとき淡白さを保とうとしている。
心の上に、兄妹かあるいは姉妹のごとき因縁を感じている。

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息子 岡本太郎

母が外から帰ってくる時、バタバタッと履き物を蹴飛ばして、飛び込んでくることがあった。
玄関の戸を閉めるか閉めないうちにワアッと泣き出す。あたりはばからぬ猛烈な泣き方だ。
そして一日中泣いている。阿修羅のようなというのはあのことだろう。
手のほどこしようがない。母が外で意地悪い目にあわされてきた時なのだ。
その頃松村梢風さんの家が近所だったが、
よく御用聞きが「岡本さんでは今かの子先生が泣いていらっしゃいます」と報告したそうだ。
父が徹底的に彼女をいたわり支えていたからまあやっていけたのだろうが、
あれでどうして生き抜けたかと思うぐらいだ。
いや、ついに生き抜けなかったから、あんなに早く倒れたのだ。
母の大きな目は晩年にはほとんど失明寸前にあったし、
鼻はほとんど匂いを嗅ぎ分けることができなかった。
美食をモチーフにしたものが多いが、
歯もひどく悪かったし持病の胃弱でいつも苦しんでいた。

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夫 岡本一平

かの子は妻と片付けられる女ではなかった。
僕にとって母と娘と子供と、それから師匠でもあり、友だちでもあった。
家庭における彼女は、努めずして母性の慈しみを表し、娘の若さをみなぎらし、
童女の無邪気さを放った。彼女の外から帰った時のだらしなさ、
玄関のガラス戸を破れよとばかり叩く。そして「パパ!パパ!」と続け叫ぶ。
隣近所などはあれども無きが如くである。戸を開けてやると私の胸に飛びつく。
そして「帰ってきたのよ、帰ってきたのよ」と言う。
それがわずか丸の内辺りの集会から帰ってきての仕打ちである。
だが私とて彼女をどこへでも出してやった間はとても不安だ。
それを今しかと胸に受け戻した。私は嬉しくて涙ぐむ。
そしてこの大きな童女の肩肉を揉みほぐすように撫でてやりながら、
「よく帰って来たなあ」と言ってほっと安心の息を吐く。28年間これも毎回新たである。
彼女を外に出してやった間の私の不安というものは実に単純素朴なものだ。
車に轢かれやしないか、迷子になりはしないか、ヘマをやりはしないか、
よその子にいじめられやしないか、誘拐されやしないか、物を落として不自由してやしないか。

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兄大貫晶川の妻 ハツ

かの子さんが太郎さんを抱いて訪ねて来たのに玄関払いをしたというのは本当です。
ちょうどその時は、こちらは銀行の騒ぎで寄合があってごった返していたんです。
そこへかの子さんが来たというので、父が困り切った顔をしたんです。
私も母も玄関に出るなと言って、今夜は取り込んでるからって玄関払いしたんです。
その頃はまだ晶川は生きていました。
晶川は私が嫁いでからは、あまりかの子さんのことを良く言ってませんでした。

かの子さんが来たら、かの子さん中心の生活をさせますから大変なんです。
太郎さんを実家で産んだ時も、かの子さんのタイラントぶりは一通りではなく、
嫁の私はもちろんのこと実の母でさえかの子さんの滞在中は神経をすり減らし、
かの子さんが東京へ引き返して間もなく、その疲れが出て発病して寝込んでしまいました。

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評論家 亀井勝一郎

「僕は正直に言ってかの子のような女は嫌いですね。かの子は虚栄心の強い暴君ですよ。
ワガママで横暴で。一平さんの方がずっと好きですね。一平さんは本当にいい人だったな。
あんな人はめったにいない。一平さんが本当に気の毒でしたよ」
かの子が突然亀井家を訪問しては座り込み何も言わずに居続けるので困り果て、
亀井夫人が一平に電話をかける。すると一平が車を飛ばして迎えに来て、
亀井夫妻に謝り、かの子をなだめすかして連れて帰った。
「一平さんに謝られるたびに、本当に気の毒になりましたよ」

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美男好きのかの子は若い頃からこの調子で、
相手の家に押しかけていったん上がり込んだら帰らない。
根負けした男がかの子の気持ちに応えるというパターンだった。


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息子 岡本太郎

父の死は母が亡くなってからちょうど10年目である。
父は母の生前も死後も彼女を観音菩薩に擬して、
仏前でも常に「南無観世音かの子菩薩」と唱え、
母のことを語るのに観音様と言っていた。
大母性としての母は有名である。私は父の大父性について一言したいのである。

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世界一周旅行に出発する一平 左側3人 一平 かの子 太郎
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中国にて メリー・ピックフォード かの子 ダグラス・フェアバンクス 一平
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アイルランドにて
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船上にて
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by vMUGIv | 2012-06-03 00:00 | 大正

岡本かの子 その2

◆苗字帯刀を許された豪商の娘として東京青山別邸で生まれ、神奈川川崎本邸で育つ。
◆13歳 跡見女学校入学、兄大貫晶川と二人で女中まで付いた気ままな下宿生活を送る。
◆18歳 跡見女学校卒業。
◆19歳 兄大貫晶川の文学仲間谷崎潤一郎らが大貫家に出入りする。


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夫 岡本一平

その画学生〔一平〕は彼女のどこに陥ち込んだのだろうか。
その寂しく美しい容貌、スズランの匂いのする体臭、女族長のようなガッシリした体格。
しかし画学生がその横着さをもってしてものっぴきならずさせられたのは、
彼女の帯びている何としても癒しがたいと思われる憂愁寂寞の感じであった。

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作家 谷崎潤一郎

僕は兄貴の大貫晶川と高等学校が一緒だったし、
あそこの家にも泊まったりなんかしたんだけれども、嫌いでしてね、かの子が(笑)
お給仕に出た時も、一言も口きかなかった。後で兄貴に失敬な男だと言って
非常に怒ったそうですよ。僕は嫌いで、話したことはなかった。

学校は跡見女学校でね。その時分に跡見女学校第一の醜婦という評判でしたね。
実に醜婦でしたよ。それも普通にしていればいいのに、非常に白粉デコデコでね。
一平と一緒になってからもね、デコデコの風してましたよ。
着物の好みやなんかもね、実に悪くて。一平がなぜこんな者をもらったんだろうねって
陰で悪口を言ったんですよ、木村荘太かなにかとね。

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随筆家 森田たま

昭和08年、かの子は街で会った森田たまにいきなり興奮した口調で訴えた。
「私が今銀座を歩いてきたら、みんなこっちをジロジロ見て振り返ったりするのよ。
日本人ってなんて無作法で不愉快なんでしょう。
私、つくづく嫌になったわ。外国じゃこんなことは絶対になくってよ」
森田は返答に困り、つくづくかの子を見た。
背が低くコロコロ太ったかの子が、
断髪にしたオカッパ頭で白粉を白壁のように厚塗り真っ赤なイブニングドレスを着て
白昼の銀座を歩いていたのである。この時かの子は45歳であった。

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作家 川端康成

岡本さんは厚化粧のためにかなり損をしたが、
よく見るとあどけなくきれいで豊かな顔をしていた。
それが泣き出すと、いっそう童女型の観音顔になって清浄で甘美なものを漂わす時もある。

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作家 円地文子

岡本かの子を私が初めて見たのは昭和03年の秋であった。
かの子女史は近く外遊すると言っていた。身体はゆったり太っていたが
後に見た時ほど異常ではなく、髪は当時流行の耳隠しに結っていた。
濃い化粧としつこい色彩の着物が野暮ったらしく、東京出の人とは思われなかった。
みはったままの目を動かさず、話す時もゆっくり顔を動かしてから口を開いた。
声は甘く歌っているようで、ゆるゆると語るのが美しかった。

二度目にかの子女史に会った時は外遊中に断髪したらしく、
短い髪の毛が太った顔をいっそう丸く見せ肩も胸も盛り上がりくくれて見えた。
きめの荒い艶のない皮膚に濃く白粉を塗り、
異様に大きく見開いた目が未開は情熱をたたえて驚き続けているようにまじろがない。
数年前会った時の駘蕩としたおおらさかを少しも感じられず、
無知な老婆じみた我強さだけが印象に刻まれた。

それから少し経ったある夜、ある会合の帰り私はかの子女史と同じ自動車に乗った。
私たちはなにか小説の話をしていたが、
ふとかの子女史は私の方へ顔を差し寄せ他聞をはばかるように小声で囁いた。
「ねえ円地さん、小説を書いていると器量が悪くなりはしないでしょうねえ」
その声は心配そうにひそまって吐息のようだった。思い迫った様子で、
気味悪さが肩を並べているかの子女史のけばけばしく装った肉体から噴き出してきた。
かの子女史は自分の美貌を信じて自信ありげな言葉を言うのだろうか。

かの子女史を美しいとは私は一度も思ったことがない。
眼だけは強い感情があふれていてともかく異常に輝いているが、皮膚や体つきが粗野で
着物の好みにも着方にも知的なデリカシーがまるで感じられない。
幾色も俗悪な色の重なった派手な衣装をまとはれて恬然としている様子は、
グロテスクだといふのが嘘のない事実である。

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ベルリンにて
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作家 村松梢風

夏のことで、かの子女史は花模様の派手なワンピースを着て断髪無帽だった。
丈が低く丸々太っていてむやみに白粉を塗った顔が、
明るい夕日にさらされてちょっと滑稽なくらいな印象を与えた。
その後かの子女史とは劇場の廊下やなんぞでお目にかかったことがある。
劇場や東京会館あたりで会うと、この女性は美しくて異常な魅力があった。

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世界一周旅行帰国の船上にて
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評論家 亀井勝一郎

かの子と対座していると、私はいつも一種の鬼気を感じないわけにはゆかなかった。
例えば10年の甲羅を経た大きな金魚のように見える。古代の魔術師のようにも見える。
菩提樹の下に座り続けている老獪で残忍な神々の一人である。男でもなければ女でもない。
それを告げると非常に嫌な顔をされた。氏の口から軽い冗談や笑いがもれ始めると、
今度は可憐な童女の姿が現出するのであった。真実美しい童女である。

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by vMUGIv | 2012-06-02 00:00 | 大正

岡本かの子 その1

■父 大貫寅吉 豪商 
-1933 -昭和08
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■母 アイ
-1913 -大正02


●雪之助 ペンネーム大貫晶川
●カノ   岡本かの子
●キン
●喜久三 医師
●喜七  自殺
●貞子
●糸子
●伍朗


●雪之助 ペンネーム大貫晶川
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■岡本かの子 旧名大貫カノ
1889-1939 明治22-昭和14 50歳没


■夫 漫画家 岡本一平
1886-1948 明治19-昭和23 62歳没
書家岡本竹次郎の子


★第1の同居愛人 早稲田大学生 堀切茂雄
1890-1916 明治23-大正05 26歳没


★第2の同居愛人 慶応大学性 恒松安夫 のち島根県知事
1899-1963 明治32-昭和38 64歳没


★第3の同居愛人 外科医 新田亀三
-1971 -昭和46


●一平の子か   太郎 岡本太郎
●堀切茂雄の子か 豊子  夭折
●堀切茂雄の子か 健二郎 夭折早逝




跡取りでもある2歳年上の兄雪之助は学生の頃から文学に傾倒し、
大貫晶川のペンネームで谷崎潤一郎らと『新思想』を創刊している。
かの子はこの兄から大きな影響を受け、女学校時代から短歌を発表するようになる。

◆明治22年 3月1日
苗字帯刀を許された豪商の娘として東京青山別邸で生まれ、神奈川川崎本邸で育つ。
◆明治35年 13歳 跡見女学校入学、
兄大貫晶川と二人で女中まで付いた気ままな下宿生活を送る。
◆明治40年 18歳 跡見女学校卒業。
◆明治41年 19歳 兄大貫晶川の文学仲間谷崎潤一郎らが大貫家に出入りする。
◆明治42年 20歳 兄晶川の下宿で東京美術学校西洋学科の画学生岡本一平と知り合う。
◆明治43年 21歳 岡本一平24歳とと結婚。
◆明治44年 22歳 太郎誕生。実家が破産。
◆明治45年 23歳 兄晶川死亡。早稲田大学生堀切茂雄と不倫関係に。
一平の了解のもと堀切が岡本家へ同居。
◆大正02年 24歳 母親死亡。豊子誕生、すぐに死亡。堀切と妹キンとの恋愛発覚。
実家から堀切と縁を切るように迫られる。かの子精神衰弱で精神病院へ入院。
◆大正04年 26歳 健二郎誕生、すぐに死亡。
◆大正05年 27歳 かの子別の男性と不倫関係に。 
堀切は岡本家を追い出され郷里福島県に戻るが結核で死亡。
◆大正06年 28歳 慶応大学生恒松安夫が岡本家へ同居。
◆大正11年 33歳 一平が世界一周旅行へ。(約4ヶ月)
◆大正13年 35歳 慶応病院の外科医新田亀三と不倫関係に。
◆大正14年 36歳 不倫がバレて新田は北海道に飛ばされる。
◆昭和03年 39歳 新田が岡本家へ同居。
◆昭和04年 40歳 かの子・一平・太郎、恒松と新田をつれて世界一周旅行へ(約2年半)
◆昭和07年 43歳 フランス留学する太郎のみを残して一同帰国。
◆昭和13年 49歳 恒松に結婚話が持ち上がり岡本家から追い出される。
慶応大学生と旅行中脳出血で倒れる。
◆昭和14年 50歳 2月18日死亡。



◆関東大震災の時には、かの子一家は島根県の恒松の実家に避難した。
◆一平はかの子の死の2年後、55歳で29歳の山本八重子と再婚。
4人の子をもうけるが、結婚7年で死亡。
◆新田亀三はかの子の死後郷里の岐阜県に戻り親の病院を継いで結婚した。
◆戦争中は一平家族は岐阜県の新田宅に疎開した。
◆恒松安夫はのちに郷里の島根県知事を務めた。
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by vMUGIv | 2012-06-01 00:00 | 大正


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