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カテゴリ:大正( 43 )

谷崎潤一郎 その9

千代夫人との離婚前後から、後の丁未子夫人・松子夫人、女中の宮田絹枝の
3人の女性との関係が同時進行していた。
千代夫人との離婚後は、3人以外にも見合いや縁談も積極的に活動した。


◆大正04 29歳 
05月千代19歳と結婚式挙げる、新小梅町に新居を構える。
◆大正05 30歳 
03月鮎子誕生。
06月原町に転居。
◆大正06 31歳 
05月母53歳没。
06月千代と鮎子を実家に預け、谷崎はせい子15歳と同棲。

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谷崎の弟 谷崎終平

母が亡くなってからの蠣殻町の家の中は寂しかった。
だが幸いにして、
長兄は兄嫁〔千代〕と娘〔鮎子〕に女中をつけて父の家に預けることになる。
これについては次兄が野村尚吾氏に長兄は邪魔だから預けたのだと言ったとか。
私は急に3人も増えて嬉しかった。そのうち、里子に出されていた伊勢が戻ってくるし、
次兄〔精二〕も父の家から早大に通っていた。
ある時次兄が、自分たち親子と兄嫁たちの副食物が区別されるのを不審に思って
オヤジに文句を言ったらしい。
父は長兄が毎月食費を30円入れると言ったのに、
一度だけ入れたきりで入れてこないからやむを得ないのだと苦笑して言った由。

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◆大正07 32歳 
◆大正08 33歳 
02月父65歳没。
03月一家で曙町に転居、近所に住む佐藤春夫と交流始まる。

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谷崎の弟 谷崎終平

母が亡くなって2年もしないうちに父も亡くなった。
父が亡くなってから曙町の新建ちの家に移った。
一家は長兄・千代夫人・千代夫人の妹せい子(後の女優葉山三千子)
・鮎子・伊勢・私・女中さんの7人。
今東光氏がよく遊びに来ていた。
程遠くない二階家には佐藤春夫氏もいて、
よく兄と二人して互いに誘い合って銭湯に出かけた。

おせいちゃんはまだその頃18歳ぐらいだったと思うが、
音楽学校に通っていて盛んに発声稽古をする。
近所の小僧さんなど珍しがって塀の上に登って家の中を覗くしまつだった。
おせいちゃんの身勝手なわがままさが嫌いだったが、
次第にその無邪気な性格を見出して好きになった。

今東光氏は長兄が曙町時代かなりの暴君で乱暴をしたように書いているが、
座敷箒でおせいちゃんの尻を叩いているのを見たことはある。
なぜ長兄が怒ったのかは知らない。

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12月小田原へ転居。
◆大正09 34歳
05月大正活映の脚本顧問となり、せい子18歳を女優として売り出す。

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谷崎の弟 谷崎終平

曙町には半年ほどしか住まず、小田原に引っ越した。
その折りの家族構成は、長兄夫婦と鮎子・おせいちゃん
・石川のお婆さん・私と女中さんだった。
石川のお婆さんというのは兄嫁の伯母なのだが、養う義務があって同居していたのだ。
その頃もう70代だが達者で賢い人だった。長兄は大正活映に関係して、
女優になったおせいちゃんと横浜の撮影所に通っていて2人は留守がちだった。
兄嫁は北原白秋夫人から長兄とおせいちゃんの間柄を告げ口されて怒った。
「冗談じゃない、おせいは私の妹ですよ!」
また石川のお婆さんもなにかを嗅ぎつけて北原夫人と同じことを言ったらしいが、
これも頭ごなしに否定してお婆さんを謝らせたという。そういうところは一途な人だった。
長兄とおせいちゃんは箱根に行った。
長兄は、威勢のいい意気のいい彼女を猛獣に仕立てあげたのはよかったが、
もはや手に負えなくなったに違いない。猛獣が自分の意志で動き出したのだ。
だがこの猛獣も付け焼刃で、
結婚したら牙など無くなって本当によく夫に尽くす良妻になってしまった。
猛獣は彼女の若さに過ぎず、本能は並みの主婦となれるべき人であった。
おせいちゃんは京都の撮影所の俳優前田某と結婚した。
長兄はこの人を見込みがあると盛んに褒めていたが、私はくだらぬ奴と思っていた。
一見目鼻立ちの整った美男子に見えるけれど、しきりに鏡ばかり見ている男で、
闘犬ばかり引き廻して強がっているだけの男と私は見抜いていた。
のちに前田はおせいちゃんと別れて満洲に渡りダンスホールを始めたという話だったが、
その後の消息はわからない。
おせいちゃんはフランス系の会社に勤めていた大変紳士的な
東京外語の仏語科出身の人と結婚してオシドリ夫妻になって幸せにくらした。
去年夫君を見送ることになってしまったが、おせいちゃんは86歳で達者に暮らしている。

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10月千代、谷崎とせい子との関係知る。
谷崎&せい子は箱根で、佐藤&千代は小田原で話し合うが、谷崎はせい子に求婚して断られる。

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谷崎の弟 谷崎終平

佐藤春夫氏がよく東京から小田原に遊びに来ていて、
長兄やおせいちゃんが横浜に行って不在でも、
親しく家庭の一員として風呂に入ったり、兄嫁と鮎子と食事をしていった。
私は兄嫁を信じたし、長兄も佐藤氏にタカを括っていたと思うのである。
佐藤氏は兄嫁を気の毒に思って同情したことから、<同情は恋の始まり>と言えそうだ。
兄嫁は25にして初恋を知ったと長兄に告げたとか。
さすれば佐藤氏の同情が兄嫁の方を動かしたことになるのだろうか。
長兄は兄嫁との夫婦生活がうまくいかなかっただけで、
他のことは兄嫁になんの不満もなかったと言っている。
本当に申し分なく兄嫁は長兄に仕えていた。
兄嫁は大変人づきあいが上手だったし、料理も上手で、人をもてなすのが好きで
出入りの作家・出版社の人・新聞社の人に好かれた。

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◆大正10 35歳 
03月佐藤春夫と絶交<小田原事件> 

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谷崎の弟 谷崎終平

二階で佐藤氏が長兄と怒鳴り合いをして、佐藤氏が怒って帰った時
「おい、もう一度佐藤を呼べ!」と言って女中さんに追いかけさせたのを覚えている。
兄嫁と別れて佐藤氏に譲ると言いながら、長兄は前言を取り消して大喧嘩となったらしい。
なにしろ実際は離婚するまでに16年もかかった人なのだから。

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09月横浜市本牧へ転居。
◆大正11 36歳 
10月横浜市山手に転居。
◆大正12 37歳 
夏  箱根のホテルで和田維四郎一家と知り合う。
09月関東大震災。
11月森田松子20歳&根津清太郎23歳と結婚式挙げる。
11月せい子26歳、俳優前田則隆と結婚。
12月兵庫県苦楽園へ転居。
◆大正13 38歳 
03月北畑へ転居。
千代、和田六郎と再会。
12月松子、清太郎の子清治を生む。
◆大正14 39歳 
◆大正15 40歳 
09月佐藤と和解。
10月好文園へ転居。
◆昭和02 41歳 
03月松子24歳と知り合う。
金融恐慌で根津商店傾き始める。
◆昭和03 42歳 
05月せい子26歳離婚。
08月梅ヶ谷に支那風の豪邸を新築。
実業家妹尾夫妻と知り合う。
12月丁未子21歳と知り合う。

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谷崎の弟 谷崎終平

梅ヶ谷に越してからだったと思うが近所に妹尾夫妻という方がいて、
御主人は何か資産家のボンボンでディレッタントの青年彫刻家であり、
妹尾夫人の方は大変話上手な言わば口八丁手八丁な人で、
大変陽気な明るい人柄で兄などもお気に入りだった。
何でも玄人あがりだという噂であった。
夫婦仲は大変良かったが、夫人の方が8歳も年上だった。
利口で派手で誰もを分け隔てなく扱う人だったから、皆に評判良く人気者だった。
ただ喘息持ちで、時々具合が悪くなるのが気の毒だった。

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◆昭和04 43歳 (続く)
02月松子、清太郎の子恵美子を生む・清太郎29歳が信子19歳と駆け落ち騒動を起こす。
02月谷崎が千代33歳を和田六郎25歳と同棲させるが失敗。

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谷崎から佐藤春夫への手紙 昭和4年2月25日

千代はいよいよ先方へ行くことが決まった。
3月中に離婚の手続きを済ませ、4月頃から
ポツポツ目立たぬように行ったり来たりして
だんだん向こうのひとになるという方法を取る。
神戸に家を持つそうなので、それには都合のいいことになっている。
したがって、まだ発表されては困る。
今日東京から和田の兄なる人が和田と同伴で来訪、
すっかり話がついたのでやや落ち着いた。
君に会いたいと心切であったが、
君を呼んだためにどうなったこうなったと後で文句が出ては困ると思い差支えていた。
お千代もいっぺん君に相談しようかと言ったこともあったが僕が止めた。
しかしもう決まってしまえばかまわないから一度会いたい。

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秘書 高木治江/旧姓 江田治江

東京から二十代の和服姿の歌舞伎の女形のような青年が現れて、
鮎子さんに麻雀を贈った。
先生には会わず千代夫人に心ありげなそぶりであったが、
夫人もさりげない様子のまま一泊して帰って行った不思議な青年である。

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谷崎の弟 谷崎終平

長兄は『蓼喰う虫』ではかなり正直に告白している。
例えば高夏は佐藤春夫と誰にもわかるが、
阿曽が和田六郎だと気づいている人は何人あるか。
鮎子は男の子にして弘となっている。
小田原事件後、長兄と佐藤春夫氏の絶交は6年しか続かず元通りになった。
佐藤氏と和解した長兄は、
なんとかして今度こそ兄嫁を佐藤氏にもらってもらおうとしていた。
一番気心の知れている人だし、この間16年も経っていて鮎子も大きくなり、
佐藤氏なら鮎子もなついているしなどと思っていたのだ。
ところがそこに一つの事件が挟まってしまったのだ。
それは兄嫁と和田六郎との恋愛事件である。

震災の年の夏、長兄一家は小涌谷のホテルで鉱物学者和田維四郎氏の一家と知り合った。
翌年の夏は有馬ホテルで、私は奇人に会うことになる。
それは東京薬学専門学校の詰襟を着た学生で、21歳の美青年であった。
これが前年、長兄たちと一緒だったという和田一家の六郎君であった。
後年大坪砂男というペンネームを持つ推理作家になった。
長兄は仕事にかまけて食事の時ぐらいしか我々と一緒にならず、
兄嫁と鮎子と和田六郎と私の4人は名所めぐりをした。

長兄がまずは二人で生活を始めてみてうまく行ったらそれで良いし、
ダメだったら別れたらということで下宿人の体でいた。
兄嫁はいろいろと悩んだ。年の差もあるし、鮎子のことが心配だった。
私はなぜ和田が東京に帰ってしまったのか、つまり決別したのかを忘れているが、
やはり佐藤氏が和田の生活ぶりを危ぶんだのがきっかけになったのだと思う。
「君は生涯愛していく自信があるのだね」と尋ねて、
正直にしか答えぬ性格の彼は「それはわからん」と言ったらしい。
兄嫁も年齢の差や子供のことが心配で躊躇したのだったと思う。
長兄はよく夫の役を果たした。
和田と一緒に住んでからも表面上は夫だったから、
2、3ヶ月の児を流産した時も医者の前で夫としての役目を静かに務めた。

私と和田六郎、後の大坪砂男との40年の交際を振り返ると、
彼と私は生まれも育ちも違う。彼は山の手育ち、私は下町。
彼は姉たちがみな学習院という上流階級の子、私は左前になった商人の子。
良い暮らしをし、兄弟みな等分に遺産を分けてもらったという裕福なお坊ちゃん。
和田は東京に帰るとと女狂いを始めてしまった。日本橋の芸者を身請けしたり、
その他女性問題は私が知っているだけでも二、三に止まらぬが、
別れても決して相手に恨まれていなかった。

大坪砂男がなぜ書けなくなって転落したか。
一つは戦争の結果、財産を失ったからだと思う。
画商のようなこともしたし、売り食いして信州に落ち延びて
佐藤春夫氏に師事して物を書き出したのだが、
大変な文章の凝り屋で行き詰ったのだとも思われるし、
使い込みや借金までしたというから、
裕福だった彼のような人が転落すれば形なしになってしまう、
そういうことだったのだと私は信じる。

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谷崎18歳
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by vMUGIv | 2011-04-09 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その8

●長女朝子 『細雪』鶴子のモデル 
1899-1981 明治32-昭和56年 82歳没
■夫 卜部詮三を婿養子に迎える
生年月日不明

●二女松子 『細雪』幸子のモデル
■前夫 実業家根津清太郎
1900-1956 明治33-昭和31 56歳没

●三女重子 『細雪』雪子のモデル 
1907-1974 明治40-昭和49 67歳没
■夫 松平康民子爵令息渡辺明
1898-1949 明治31-昭和24 51歳没

●四女信子 『細雪』妙子のモデル 
1910-1997 明治43-平成09 87歳没
■夫 ゴルファー嶋川信一
1909-1982 明治42-昭和57 73歳没


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3番目の妻 谷崎松子

姉朝子は東京に移り住んで7人の子を養育、
嫁・婿によくかしづかれ孫たちと集い合いながら、
故郷の大阪に住んだより2倍半は長く東京に馴染んでしまった。

義兄も昨年入院して、息子・娘・嫁等に欠けることのない手厚い看護を受け、
これほど幸福な老人は見たことはないと担当の医師・看護婦に言われながら退院、
その後娘の婚家先で大往生したのであった。
残された姉は間がな隙がな至れり尽くせりの面倒をみてもらっていた。
毎日散歩をさせ気分転換を計り外食で好きな物を食べさせたりして
怠りなく注意をしていたが、今年はすべての機能が衰え出した。
83歳になるので今さら病院へ入れて不必要に苦しめたくないと家族の意見が一致、
極めて自然な死を迎えさせたく万全の手配を備えた。
幸い三男が開業医・嫁が女医・息子が心臓外科専門で病院に勤務しているので、
その点自宅療養にしても恵まれている。

妹重子は他界して早くも7年過ぎてしまった。
目立たないようにいつも影の人で、人知れず尽くして寂しく生きて寂しく逝ってしまった。
居るか居ないかわからない存在感の薄い妹は、隠れてしまうように騒がず、
また騒がれもしないで世を去った。
それでいて決して陰気でなく、華やかなことを人一倍好んだ。
没後の方がむしろ存在が瞭然としてきたような気がしている。

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渡辺重子の女学校時代の友人 堀キヨ

重子さんはとにかく藤永田造船の重役のお嬢さまですから、
いかにもおっとりした静かないいお嬢様でした。
遊びも一緒にしましたが、自分のことよりは人のことをよくお世話にする方でした。
積極的ではありませんでしたけど、それでも話を始めるとよくする方でした。
おとなしいけど、芯はしっかりした方でしたよ。

根津さんと松子さんが結婚して、
朝子さんが三菱商事にいるご主人の転勤で大阪にいらっしゃらなくなると、
重子さんと信子さんは松子さんの所へいらっしゃるようになる。
そのうち根津さんと信子さんがああいうこと〔駆け落ち〕になって、
重子さんは松子さんの方へいらっしゃるようになる。
谷崎潤一郎と松子さんが一緒になってから、松子さんが娘さんを引き取ることになる。
なんでも谷崎さんが男の子はいらないって言ったそうで、
それで恵美子さんを引き取ったんだそうですね。
松子さんの息子さん清治さんは、
橋本関雪さんのお孫さんの千萬子さんと結婚してから転勤になる。
転勤で京都を離れるのは嫌だって千萬子さんが言う。
その人がしっかりした人で、しょっちゅう家の中がゴタゴタしたいる。
そんなことで重子さんは京都にいても面白くないので、
お姉さんの松子さんの所に居ついてしまう。

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渡辺重子の女学校時代の友人 久布白伸子

私がお転婆でしてね、重子さんみたいなあんなおとなしい方と
どうして仲が良いのよっておっしゃった方があったんです。
重子さんは反対だから仲が良いのよっておっしゃって下すったんです。
賑やかな方ではなかったですね。
おとなしくって、コツコツと自分のすることはきちんとなさる。
女中さんの監督がお上手だったっていうのは、
やっぱりキチッとしてらっしゃるからでしょうね。
穏やかですけど、芯はしっかりしてらっしゃいましたね。
だから女中さんなんかにもキチッとおさせになったんじゃないでしょうか。
重子さんは裏方に徹する方ですね。
重子さんは華やかな話とか浮いた話とかは何もない方でしたけど、
お召し物のセンスなんかはとてもおよろしくて、
古臭いとか地味すぎるということはなくて割合にお派手でしたね。

私ご姉妹みなさんにお目にかかってるんですよ。
朝子さんがお母様代りで、松子さんはもう少しふっくらしてらして、
朝子さんと重子さんが細くて、松子さんと信子さんがちょっと丸顔でいらして。
重子さんが一番お母様似だというお話でしたね。ちょっと京人形のようなお顔立ちで。
朝子さんと重子さんはおとなしい消極的な方で、
松子さんと信子さんがお派手な活発な方みたいでしたね。
お召し物は和服ばかりで、お洋服をお召しになったことはございません。
泣き言なんかおっしゃることもございませんね。
それこそじっと堪えている方ですね。
嫌ということは、言葉へ出さなくても、うんとはおっしゃらないですからね。

私がお宅へお伺いさせていただいた頃は、
朝子さんはもう御結婚なさってもう赤ちゃんがいらっしゃいました。
ご主人様は三菱商事へお勤めでしたね。
それで東京に転任になられてからお父様が女の人を入れて、
それで信子さんがグレたという話を重子さんから聞きましたけど。
朝子さんがちょっとだけおっしゃいましたけどね、信子はプロゴルファーと結婚したんだって。
で、根津さんがすごくご姉妹のご面倒をよくご覧になったらしいですね、
松子さんが根津さんと結婚なすってからね。重子さんがよくそうお噂なさってました。

御主人のことはおっしゃいませんでしたね。「どういう方?」って言いましたら、
なにか家具の会社ですか、そういうことをしてらしてガンで亡くなられたって、
それだけしか伺いませんでした。
松子さんの男のお子さんが橋本関雪さんのお孫さんとご一緒になられて、
なんですか清治さんが転勤になられる時、行くのは嫌だと言って、
別れるとか別れないとか重子さんが話していらっしゃいました。
同居できないんだったら離婚してもいいわねって千萬子さんがおっしゃるから、
こちらもね、もう離婚してもいいよって言ってるんですよってことをおっしゃいました。
やっぱりお気に召さないところもあったらしくて、
京都へ行って一週間もいると頭がおかしくなるって言ってらっしゃいましたから、
うまくは行ってなかったみたいですね。

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秘書 末永泉

朝、先生と私の二人が中心になっていたこの家は、
10時を過ぎる頃からあちこちで物音が聞こえだす。
そして家族の人のいる奥の座敷が賑やかになるのは、お昼前頃からだった。
美しい着物姿の女性の笑い声が、家の内を支配していた。
この時間に、渡辺重子夫人も訪ねてくるのだった。
この頃はご主人の渡辺明氏と住んでおられたが、毎日こちらへ姿を見せていたのだった。

松子夫人はやや大柄、肩はなで肩で、全体ふっくらと肥えて
痩せていないのに、柳の木のようなしなやかさを感じさせた。
松子夫人の美しさは、咲き誇っている満開の桜の大木の花の美しさに似ていた。
明るくて大らかで華麗、そしてなんといっても大きさを感じさせた。
牡丹とか薔薇の花は一つ一つを観賞するが、
桜の花は一本の木の全体の花を一つのものとして鑑賞する。
性格もしっかりしていて大きかった。

渡辺重子夫人は少し複雑な性格をしていたように見受けられた。
控え目で口数が少なく決して目立つ人ではなかったが、
芯はとてもしっかりしているように思えた。
松子夫人より小柄だったし華やかな美しさは松子夫人ほどではなかったが、
なにかちょっとした言動に強い印象を残した。
挨拶を交わされる時でも、その笑顔とか押えた声はいつまでも記憶に残る。
私はこの人を当時から、個性的な松の木のような方だなと思っていた。
静かでしっかりしていて目立たないが、
なんとなく品位といったものを感じさせるのだった。

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渡辺重子の女学校時代の友人 中村和子

学生時代の私の感じを申しますなら、あのように美人でいらっしゃってられますのに、
御性格上ほんとうに目立たない、あまりお話しもされない静かな方、
両肩をちょっと前に出して学校の廊下を歩いてられたことなど記憶に残っております。
クラスのまとめ役の方、お席が隣であった方などに伺ってみましたが、
結局皆様同じようなことを申されていまして、親しいお友達もあまりなく、
エピソードなどもありませんようです。おとなしい優しい親切な賢い方で、
いくらか心の強いところもあり、内向的ともおっしゃってました。
「ともかく普通の方よ。『細雪』に書いてある通りよ」ということでございました。

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渡辺重子の女学校時代の友人 柴部藤枝

重子様の御性格は『細雪』で表現されております通りです。
さすがによく観察されていると存じます。
自分から進んで意見をお述べになったり、
授業中も手を挙げてお答えになるようなことはなさらぬ方です。
それでいて、指名されれば的確に解答されました。本当に頭脳の良いお人です。
エピソードと申されましても重子様はおとなしい人でしたから、
我々のように大口を開けて笑い転げるようなことは一度も見たことはありませんね。
でも皆が笑えば、同じように笑ってらっしゃいました。

大人になってからのおつきあいはクラス会で2、3度お会いしただけですが、
お人柄においては娘時代と少しも変わっておられませんでした。
しかし年月のせいでしょうか、あの方の天性でしょうか、
宿で夕食の時にビールを皆に注いで回られたりしたので、私どもビックリいたしました。

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谷崎家の女中 キミ

明さん〔重子の夫〕の逝去から3年半が過ぎていたが、
「今でも渡辺の奥様は、悲しくなるとお酒を持ってお蔵にお入りになるんです。
声が漏れないように中から鍵をかけて、
お酒を飲みながら『明さん、明さん』って泣いていらっしゃるんですよ」
とキミさんは自分も泣き顔になって土蔵を痛ましそうに指差したことがあった。

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重子
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信子
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立つ左から 根津清太郎 谷崎 上山草人 千代夫人 小出楢重
座る左から 重子 松子 信子 鮎子 不明
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立つ左から 不明 根津清太郎 竹田龍児 不明
座る左から 不明 谷崎 鮎子 信子
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左から 恵美子 松子 重子 信子
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左から 重子 信子 恵美子 松子
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左から 信子 重子 松子 恵美子 朝子
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左から 谷崎 松子 重子 恵美子
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左から 清治 女中 恵美子 谷崎
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左から 松子 恵美子 谷崎
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谷崎と恵美子
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by vMUGIv | 2011-04-08 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その7

★3番目の妻 人妻 森田松子
1903-1991 明治36-平成03 88歳没


■前夫 実業家 根津清太郎 離婚
1900-1956 明治33-昭和31 56歳没


●清太郎の子 清治  松子の妹重子の養子となる 高折千万子と結婚
1924- 大正13-
●清太郎の子 恵美子 谷崎の養女となる 観世栄夫と結婚
1929- 昭和04-


■後夫 谷崎潤一郎


■父 森田安松
1864-1928 元治01-昭和03 64歳没


■母 シエ
1873-1917 明治06-大正06 44歳没 


●長女朝子 『細雪』鶴子のモデル 
1899-1981 明治32-昭和56年 82歳没
■夫 商社マン卜部詮三を婿養子に迎える
生年月日不明

●二女松子 『細雪』幸子のモデル
■前夫 実業家根津清太郎
1900-1956 明治33-昭和31 56歳没

●三女重子 『細雪』雪子のモデル 
1907-1974 明治40-昭和49 67歳没
■夫 松平康民子爵令息渡辺明
1898-1949 明治31-昭和24 51歳没

●四女信子 『細雪』妙子のモデル 
1910-1997 明治43-平成09 87歳没
■夫 ゴルファー嶋川信一
1909-1982 明治42-昭和57 73歳没


◆大正06年 14歳 母死亡。
◆大正12年 20歳 根津清太郎23歳と結婚式挙げる。谷崎一家、東京から兵庫に移住。
◆大正13年 21歳 長男清治誕生。
◆昭和02年 24歳 芥川龍之介に会いに行き谷崎41歳と知り合う。
金融恐慌が起き、根津商店傾き始める。
◆昭和03年 25歳 父死亡。
◆昭和04年 26歳 長女恵美子誕生。清太郎29歳が信子19歳と駆け落ち騒動を起こす。 
谷崎邸で地唄舞の稽古開始、松子・重子・信子も習いに通う。
◆昭和05年 27歳 谷崎&千代離婚<細君譲渡事件>
◆昭和06年 28歳 谷崎45歳&丁未子24歳結婚式挙げる。
新婚旅行に谷崎夫妻・妹尾夫妻・松子が行く。旅館を抜け出し夜キスをする。
谷崎夫妻が根津別邸の離れに転居、母屋には根津一家が住んでいた。
◆昭和07年 29歳 根津商店倒産。
◆昭和09年 31歳 谷崎48歳と同棲。清太郎34歳に無断で離婚手続きをする。
◆昭和10年 32歳 谷崎&丁未子28歳離婚成立、谷崎49歳&松子32歳結婚式挙げる。
◆昭和16年 38歳 信子31歳&鴨川信一32歳結婚。重子34歳&渡辺明43歳結婚。
◆昭和21年 43歳 京都に転居。
◆昭和24年 46歳 渡辺明51歳没、重子42歳未亡人となる。
◆昭和25年 47歳 熱海に別荘を持つ。
◆昭和26年 48歳 清治27歳&高折千萬子20歳結婚。 
◆昭和29年 51歳 熱海に転居。
◆昭和31年 53歳 清太郎56歳没。
◆昭和35年 57歳 恵美子31歳&観世栄夫33歳結婚。
◆昭和40年 62歳 谷崎79歳没。
◆昭和49年 71歳 重子66歳没。
◆昭和56年 78歳 朝子82歳没。
◆平成03年 88歳 2月1日死亡。
◆平成09年     信子87歳没。


母親が亡くなった後、父親は健康のために娘たちを西宮市香櫨園の別荘で育てた。
父は大阪本宅にいるため、姉妹は気ままに過ごしていた。
特に松子は素行不良で女学校を退学させられたほどの発展家であった。
朝子が早稲田大学を卒業し三菱商事に勤務している卜部詮三を婿養子に迎えて、
松子は大阪屈指の木綿商根津商店の若旦那根津清太郎と結婚する。
森田家は父親の死をきっかけに全員が本宅で暮らすようになったが、
姉婿との同居を窮屈に感じる重子・信子は松子の家で暮らすようになる。

芥川龍之介のファンだった松子は、芥川が大阪に講演に来ていると知り
旅館まで外車スチュードベーカーズを飛ばして会いに行く。
そこに芥川と一緒にいたのが谷崎であった。
芥川は松子に興味を示さなかったが、谷崎は松子をダンスホールに誘い踊る。
谷崎&千代一家と根津一家の交流が始まる。

松子が娘恵美子を妊娠中、清太郎は信子と駆け落ち騒動を起こす。
二人は3日ほどで連れ戻されたが、事件は新聞にすっぱ抜かれる。
それも清太郎の相手は信子ではなく重子と書かれてしまった。
世間体をはばかった根津家は、松子と信子と重子を引き続き同居させた。
家の内でなら清太郎と信子が何をしようと外には漏れないからだ。
しかし、次第に根津商店は傾いていく。

谷崎が千代夫人と離婚して、丁未子と再婚する。
しかし二人の新婚旅行について行った松子は、夜谷崎と密会する。
夙川の根津別邸の離れに谷崎夫妻が引っ越してくる。
母屋には清太郎・松子・重子・信子などが住んでいた。
根津商店が倒産し転々と落ちぶれて行くが、常に谷崎夫妻も近所に越してくる。
信子が家計を握り、重子が家政と育児を受け持った。
谷崎の家は丁未子が守り、根津の家は重子を守り、
清太郎&信子、谷崎&松子が不倫という複雑な状態が続く。

谷崎と松子は打出の家で同棲を始める。
松子は清太郎に無断で離婚手続きをして、二人は結婚式を挙げた。
重子と恵美子は引き取ってくれたが、清治は引き取ってくれず清太郎のもとに残された。
そのうち清太郎に愛想を尽かした信子も住むようになった。

昭和16年3月に信子が結婚、4月に重子が結婚するが、
8年後重子の夫が胃ガンで亡くなると重子は谷崎家に戻ってくる。
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by vMUGIv | 2011-04-07 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その6

★2番目の妻 婦人記者 古川丁未子
1907-1969 明治40-昭和44 62歳没


■前夫 谷崎潤一郎 離婚


■後夫 文芸春秋社編集者 鷲尾洋三
1908-1977 明治41-昭和52 69歳没


鳥取県生まれ。大阪府立女子専門学校入学。病気で1年休学。
卒業後、関西中央新聞社入社。後に谷崎に紹介状をもらって文芸春秋社に入社。
谷崎と結婚するが4年で離婚。
文芸春秋社に再入社し、菊地寛の媒酌で同僚の鷲尾と再婚した。


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2番目の妻 古川丁未子

<われ朗らかに世に生きん>
私は一昨年の春、大阪の府立女子専門学校を卒業した時、
身の上について途方に暮れていた。
運命が私を谷崎先生のおそばに引き寄せていたのかしら?

そうして私の新聞記者生活は始められたのだ。私は一生懸命働いた。
私の書いたものをよそながら注意して下さる先生があった。
それが私の慰めとなり力となっていた。
先生のおうちを時折訪れて皆さんと親しくしていただいた。
先生は私の言うことならなんでも聞いて下さるように思われた。

私は年頃の独身の青年紳士を幾人が知っていた。
みんな良き性格と充分の教養を備えていた。
私は誰とでもへだてなく明るい気持ちで交際した。
それでも誰ともちっとも恋愛を感じたことはなかったのである。
だが私の尊敬していた人は、少なくとも2人あった。
一人は谷崎先生である。いま一人は女専で師事していたグレン・ショウ先生である。
谷崎先生からは、人格的な圧迫を感じることさえあった。
それでいて、どこか甘えたいような気持になれることもあった。

去年の7月、私は『婦人サロン』で婦人記者を募集している記事を見た。
私はついに決心して谷崎先生を訪れた。
「僕が菊地君にあなたを押し付けるようなことはしたくない。
しかし、あなたが婦人サロンの記者になることには大賛成だ」とおっしゃって、
菊地先生に宛てて本当に親切な良い紹介状をしたためて下さった。
8月、いよいよ私は婦人サロン記者となって東京に行くことになった。
たまに先生と手紙の往復をして日常の生活を報告するにとどまり、
先生からは簡単な御手紙が来るだけであった。
もちろん、どの御手紙も大切にしまってある。

1月12日、運命がこの日を私に与えた。
谷崎先生の日本橋の偕楽園に御飯を食べにくるようにとの伝言を聞いた。
先生はにこやかに私を迎えて下さった。
そして極めてうちとけた気持ちで、静かに結婚を申し出られた。
その時先生と私との間に、もうなんのへだてもなくなっているように感じた。
ただ一途に先生の御胸へ!
きっと先生も私も気づかなかった大きな力が、二人を引き寄せていたのだろうと思う。
それでなくては、あれほど和やかに私が先生の申し出を受け入られようはずがなかった。

私は結婚するのだけれども、当分はまだ先生とお弟子であり、一人の作家と秘書である。
私の秘書としての仕事はなにかしら?

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毎日放送記者 辻一郎

母が「私、谷崎さんって嫌いなの」と言い出した。
「丁未子さんをひどい目にあわせたから」
母が古川丁未子と初めて会ったのは、大阪府立専門学校に在学していた時だった。
寮生の一人が病気で休学して郷里の鳥取に帰ったので、
寄宿舎に入らないかと勧められた。この休学して郷里に帰った人というのが丁未子だった。
翌年丁未子は復学して寄宿舎に戻った。以来母は彼女と同じ寄宿舎で一緒に暮らした。

「朝日新聞の記者だったグレン・ショウや鈴木大拙の奥さんだったスズキ・ビアトリスに
英会話を習っていて、英語のよくできる人だった。
いろんな先生に可愛がられていたようだったわよ。
おっとりした、華やかさのある、とってもきれいな人だった。
谷崎さんは初めから丁未子さんと松子さんを天秤にかけて、
すぐには松子さんを口説けそうもなかったから丁未子さんと結婚したわけでしょ。
世間知らずの若い娘をなぶったのよ。ひどい人よ。
丁未子さんはとても賢い人だった。でも松子さんのような世間を知った大人じゃなかった。
おっとりしていただけに、気働きに欠けるところもあったかもしれない。
でも学校を卒業したばかりの若い娘に、
40歳を過ぎた作家の気持ちなんてわかるはずがないじゃないの。
気に入らないことばかりする、と言ったらしいけれど、谷崎さんも無茶を言うわね」
そんな結果をもたらした谷崎に、当時の女専の仲間たちは一様に憤慨した。
丁未子が清純な感じの女性だっただけに、ことのほか同情が集まったらしい。

母は父の転勤にともなって昭和8年から東京に住み、
時折丁未子と会って昔話をすることがあったようだ。
戦後も調布に移転した彼女の家を訪ね旧友を温めている。
その日はたまたま子供さんが慶応幼稚舎を受験し、
明日は父兄面談にのぞむという日だった。
話のはしばしから温かい家族に囲まれ、
平凡ながらハリのある日々を送っている様子がくみとれて、
とても嬉しかったと母は語った。

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立つ左から 丁未子の兄 谷崎 丁未子の父 仲人岡成志
座る左から 丁未子の兄嫁 丁未子 岡夫人
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by vMUGIv | 2011-04-06 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その5

★愛人 小林せい子 女優葉山三千子 谷崎の最初の妻千代の妹  
1902-1996 明治35-平成08 94歳没


■前夫 俳優前田則隆 離婚


■後夫 外資系会社員和嶋彬夫


◆大正04年 13歳 谷崎29歳&千代19歳結婚式挙げる、新小梅町に新居を構える。
◆大正05年 14歳 千代が谷崎の子鮎子を生む。原町に転居。
◆大正06年 15歳 谷崎の母死亡。千代と鮎子を実家に預け、谷崎はせい子と同棲。
◆大正08年 17歳 谷崎の父死亡。
一家で曙町に転居、近所に住む佐藤春夫と交流始まる。小田原へ転居。
◆大正09年 18歳 谷崎が大正活映の脚本顧問となり、せい子を女優として売り出す。
千代がせい子と谷崎の関係知る。
谷崎&せい子は箱根で、佐藤&千代は小田原で話し合うが、谷崎はせい子に求婚して断られる。
◆大正10年 19歳 谷崎、千代夫人譲渡問題がこじれて佐藤春夫と絶交<小田原事件> 
◆大正12年 21歳 関東大震災。前田則隆と結婚。谷崎家関西へ移住。
◆昭和03年 26歳 前田則隆と離婚。
◆昭和04年 27歳 谷崎、千代を和田六郎と同棲させるが破局。
◆昭和05年 28歳 谷崎&千代離婚<細君譲渡事件>
◆昭和06年 29歳 千代&佐藤結婚式挙げる。谷崎&丁未子結婚式挙げる。
◆昭和07年 30歳 和嶋彬夫と再婚。
千代、佐藤の子方哉を生む。谷崎&松子同棲。
◆昭和08年 31歳 佐藤夫妻から妹尾へ、谷崎夫妻と松子の問題を尋ねる手紙。
◆昭和10年 33歳 谷崎、丁未子と離婚成立、松子と結婚式挙げる。
◆昭和39年 62歳 佐藤春夫72歳没。
◆昭和40年 63歳 谷崎79歳没。
◆昭和57年 80歳 千代86歳没
◆平成08年 94歳 6月23日死亡。


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瀬戸内寂聴による千代夫人の妹 和嶋せい子へのインタビュー

今年91歳、私よりも20歳も年長とは信じられない若さと美しさと華やぎであった。
センスのいい純白のスーツに紫色の靴を履きアクセサリーは真珠で統一していた。
帽子からもれている髪は、何ともいえない柔らかな煙色であった。
鼻筋がスッキリ通り、色白で、脚の美しさは日本人離れしていた。
谷崎が「あんなに美しい脚の女はいない」と絶賛した脚は、
91歳の今もなお健在であったのだ。
話を聞いていて、記憶力の確かさに一驚させられた。
人の名前・時が、スラスラと出てくる。まるで昨日のことのように情景が説明される。
この人の若き日、潤一郎のまわりにいた作家たちが、
芥川龍之介をはじめみんなこの人の大ファンになったのがうなずけた。


瀬戸内◆谷崎さんのことをなんて呼んでましたか?
せい子◆兄さん。和嶋と結婚してからはオヤジさん。うちじゃオヤジと言ってる。

佐藤春夫のことは、春夫先生とか佐藤さんとかオジさんとか。
瀬戸内◆谷崎さんとせい子さんの間のことで家がゴタゴタしたとか、
せい子さんは御存知だったんですか?
せい子◆いいや、べつに。私、普通にしてましたね。

瀬戸内◆千代さんも何も言わなかった?
せい子◆ええ、べつに。意地悪もしませんでしたよ。

瀬戸内◆谷崎さんを好きじゃなかったというのは本当ですか?
せい子◆そうですよ、あんな背の低い人好きじゃない。
だから「結婚してくれ」って言ったけれども、「いやあだよ」と言って断りました。
それはそれはガッカリしたような顔をして、しょんぼりしていましたよ。
それで急に姉〔千代〕を大切にしだした。極端なんだから。

瀬戸内◆佐藤さんが千代さんを好きだということも知ってましたか?
せい子◆それは知ってました。

瀬戸内◆佐藤さんは千代さんのお尻に敷かれてましたね?
せい子◆なかなかおとなしくはないんですよ。
春夫さんがあんまり大事にしたんで、佐藤へ行ってから悪くなった(笑)

瀬戸内◆谷崎さんはせい子さんに毎月100円ずつ送り続けてますよね?
せい子◆谷崎が「自分は責任があるから」って言って。

瀬戸内◆運命を狂わせたという風な責任感があるんですね?
せい子◆そうでしょうね、きっと。

瀬戸内◆どの時期のことですか?
せい子◆原町の家に谷崎と引越した後のことだから。
家族は蠣殻町の谷崎の父の家にずっと看病に行ってましたから。
私は好き勝手な暮らしをしていましたよ。
旅行だって、二人で行ったのは箱根と沼津くらいのものです。

瀬戸内◆岡田時彦さんとは?
せい子◆婚約してましたんですけどね。オヤジさんが気に入ってましてね。
婚約したんですけど「お断り」と言ってキャンセルしました。

瀬戸内◆江川宇礼雄さんとは?
せい子◆撮影の後、駆け落ちしたんですよ。2、3週間。

瀬戸内◆谷崎さんから逃げるために?
せい子◆まあ、そうでしょうかね。京都へ逃げまして。

瀬戸内◆震災の年に毎日のように芥川龍之介のところに遊びに行ったでしょう?
せい子◆鎌倉で、芥川さんは絵描きの小穴隆一さんと御一緒で。
私は絵描きさんのモデルになったの。それでよく芥川さんのところへ行ってた。

瀬戸内◆芥川さんはせい子さんに対してそういう気持ちはなかった?
せい子◆どうなんでしょう。好きかどうか知りませんけれども、よくしていただきました。

瀬戸内◆芥川さんって、女にみんな好かれるんですね?
せい子◆そうらしいですね。松子さん〔谷崎夫人〕なんかもう夢中でしたものね。

瀬戸内◆和嶋さんと結婚なさる前まで、ずっと前田則隆さんといらしたでしょう?
せい子◆前田は京都で絵の学校へ行ってたの。それが日活の撮影所に来たんですよ。
震災の後そこで知り合って、一緒に東京へ戻った。

瀬戸内◆谷崎さんは二人の仲を認めてた?
せい子◆わりあい可愛がってましたよ。なにかと御馳走してくれましたね。

瀬戸内◆前田さんは働いてなかったんですね?
せい子◆私が谷崎からお金をもらってたからじゃないですか。
お金があると言ったって、100円じゃね。足りませんよね。
前だと別れたくなって、京都へ引っ越した。
ちょっとゴタゴタしましたけれど、間に入ってもらった人があって別れたんですよ。
しばらくしてフランスへ行こうと思って、フランス語を習いに行った。
そこに和嶋がいたわけです。

瀬戸内◆それでフランス行くのやめちゃった?
せい子◆ええ。谷崎は和嶋のことを好きで、とっても大事にしてくれました。

瀬戸内◆ご自分のこと不良と思っているんですか?
せい子◆ええ、大不良と誰にでも言ってますもの。
遠慮しないで何でもスパスパ言いますから。生まれつき生意気だったようですね。

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by vMUGIv | 2011-04-05 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その4

★最初の妻 芸者 石川千代
1896-1982 明治29-昭和57 86歳没


■前夫 谷崎潤一郎


●谷崎の子 鮎子 千代と一緒に佐藤春夫家へ 佐藤春夫の甥/東洋史家竹田龍児と結婚
1916-1994 大正05-平成06 78歳没


★愛人 和田六郎 推理小説家大坪砂男
1904-1965 明治37-昭和40 61歳没


■後夫 佐藤春夫
1892-1964 明治25-昭和39 72歳没


●佐藤の子 方哉 心理学者・大学教授
1932-2010 昭和07-平成22 78歳没 


■父 小林巳之助


■母 石川ハマ


●初子
●倉三郎
●千代  伯母石川サダの養女になり石川千代となる。
●キミ
●せい子 谷崎の愛人 女優葉山三千子
●四郎
●スエ  作家古木鉄太郎夫人


◆大正04年 19歳 谷崎潤一郎29歳と結婚、新小梅町に新居を構える。
◆大正05年 20歳 谷崎の子鮎子を生む。原町に転居。
◆大正06年 21歳 谷崎の母53歳没。千代と鮎子を実家に預けて、谷崎はせい子と同棲。
◆大正08年 23歳 谷崎の父65歳没。
一家で曙町に転居、近所に住む佐藤春夫と交流始まる。小田原へ転居。
◆大正09年 24歳 谷崎が大正活映の脚本顧問となり、せい子を女優として売り出す。
千代が谷崎&せい子の関係を知る。
谷崎&せい子は箱根で、佐藤&千代は小田原で話し合うが、谷崎はせい子に求婚して断られる。
◆大正10年 25歳 千代夫人譲渡問題がこじれて谷崎が佐藤春夫と絶縁<小田原事件>
横浜市本牧へ転居。
◆大正11年 26歳 横浜市山手に転居。
◆大正12年 27歳 夏、箱根のホテルで和田一家と知り合う。関東大震災。
せい子&俳優前田則隆結婚。兵庫県苦楽園へ転居。
◆大正13年 28歳 北畑へ転居。和田六郎と再会。
◆大正15年 30歳 谷崎が佐藤と和解。好文園へ転居。
◆昭和02年 31歳 谷崎41歳が根津松子24歳と知り合う。
◆昭和03年 32歳 せい子離婚。梅ヶ谷に支那風の豪邸を新築。
谷崎42歳が古川丁未子21歳と知り合う。
◆昭和04年 33歳 谷崎が千代を和田六郎25歳と同棲させるが失敗。
谷崎邸で地唄舞の稽古開始、松子・重子・信子も習いに通う。
◆昭和05年 34歳 谷崎44歳と離婚<細君譲渡事件>
◆昭和06年 35歳 千代&佐藤39歳結婚式挙げる。谷崎45歳&丁未子24歳結婚式挙げる。
◆昭和07年 36歳 せい子&外資系会社員和嶋彬夫再婚。佐藤の子方哉を生む。
◆昭和08年 37歳 佐藤夫妻から妹尾へ、谷崎夫妻と松子の問題を尋ねる手紙。
◆昭和09年 38歳 谷崎48歳&松子31歳同棲。
◆昭和10年 39歳 谷崎49歳丁未子28歳と離婚成立、松子32歳と結婚式挙げる。
◆昭和14年 43歳 鮎子23歳&竹田龍児31歳結婚。 
◆昭和39年 78歳 佐藤春夫72歳没。
◆昭和40年 79歳 谷崎79歳没。
◆昭和57年 86歳 7月22日死亡。
◆平成06年     鮎子78歳没。
◆平成08年     せい子94歳没。


千代は向島の料亭<嬉野>の女将である初子の妹である。
谷崎は学生時代から芸者であった初子と顔なじみであった。
伝法肌で機転のきく初子に求婚したが、年上であり旦那もいたことからから断られ、
代わりに妹千代を勧められて結婚した。
しかし姉と正反対の良妻賢母型で谷崎好みの女性でなかった。
姉を少しは見習えと口癖にように言ったという。
ところが千代の妹せい子が初子と同じタイプだったため、谷崎はせい子に魅かれて行く。
執筆の邪魔になるという理由で千代と娘鮎子を自分の実家に預け、
谷崎はせい子と暮らした。千代はこの関係に気づいていなかった。

潤一郎は佐藤春夫に、千代と離婚してせい子と結婚したい、
ついては千代と娘鮎子をが引き受けてくれないかと頼む。
千代に同情していた佐藤は引き受ける。しかしせい子と結婚できないとわかった谷崎が
約束を反故にしたため二人は絶交に至る。<小田原事件>

次第に谷崎は新しい女性と再婚したいと考え始めるが、佐藤はすでに結婚していた。
そこで今度は千代と和田六郎を同棲させるが、不調に終わる。

結局谷崎は再度佐藤に千代を頼み、再婚することに決まった。


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谷崎の弟 谷崎精二

大正4年、兄は千代子さんと結婚して向島に新居を構えた。
千代子夫人の温厚な人柄が母の気に入ったらしく、
「気立てのいい嫁だね。潤一郎がワガママなので可哀想だ」と母は言っていた。
「わたしゃ、潤一郎と暮らすのは御免だよ。お父さんが亡くなったら精二と暮らしたい」
母はよく私に言った。
潤一郎なんかあてにしていない、精二を頼りにしていると親戚にも話していた。
この話は生前兄の耳に入れなかったが、
母に疎まれていたことを兄は薄々知っていたかもしれない。
若い時の兄がだらしなかったので、私が親孝行せざるを得なくなった。
兄が親孝行だったら、私がぐれてしまったかしれない。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
谷崎の妹 林伊勢

毎日午後になると、佐藤春夫氏はシャボン箱とタオルを持って
銭湯の往きか帰りかにお寄りになるのだった。
時には話し込んでしまって銭湯には行きそびれ、そのままお帰りになることもあった。
時には連れ立ってどこかへ出かけるか、
またそこへどなたかが訪ねていらっしゃって賑やかな話になり、食事にもなり、
遅くまで愉快そうに話していくのがしばしばだった。
その頃からもう兄と兄嫁の間はうまく行っていなかった。
私から見れば非の打ちどころのないこの兄嫁の、
どこが悪いのかとただ兄が横暴としか思えなかった。
兄との間がそんな風でも、兄嫁は私にはいつも変わらず本当の姉妹のようにして下さった。
兄はなにか気に入らないと、いつもプイと家を出てしまって二日も三日も帰ってこない。
すると苦悩に憔悴した兄嫁はまだ幼かった姪を抱いて、
何もかも一番知りつくしていて下さる佐藤氏のお宅へ重い足を運ぶのであった。
佐藤氏はまたその都度、二人のためになにかれとよくして下すった。
その頃の佐藤氏は元女優だったという若い夫人と同棲しておられたが、
そこもまたあまりよく行っていないらしく、
佐藤氏は時々兄のところへ来ては不満をぶちまけていることも私は知っていた。

当時あの世間を轟々と騒がせた兄夫婦と佐藤春夫氏の事件は、
私がブラジルへ来てまだ4、5年しかならぬ時だったと思う。
私はそのことについてそれほど驚きはしなかった。
父が死んで私や妹や弟が長兄の家に引き取られて過ごしていた3年余りという時期は、
長兄夫婦のもっとも動揺していた時期であり、
私は二人の苦しみをつぶさに見て知っていたからである。
千代夫人に私はずいぶん親しくしてもらっていた。
本当の妹以上に可愛がってもらったと言ってもよかったと思う。
私は兄嫁の苦しみを見ていたし、佐藤さんのことも知っていたから、
それがそういう結果になって行ったことも、無理なく受け止めることができたのである。

1961年、私が帰国して佐藤家をお訪ねした時、
千代夫人は昔のお義姉さんと呼んでいた時と少しも変わらず温かく迎えて下さった。
佐藤氏の御人柄は、その御家庭から来るものであろう。
お父様もお母様も御兄弟も、みんな温かいゆかしい御人柄であった。


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谷崎の弟 谷崎終平

千代夫人は長兄の家を去り、佐藤家に住んでからは次第に強くなっていった。
長男方哉ができてからはますますしっかりしてきたようだ。
門弟三千人と称して、そのサロンは毎晩のように賑わった。
賑やかに若い人をもてなすのは谷崎の家からの続きだった。
佐藤氏もなかなかの艶福家であった。
だいぶん細君を泣かせもし、反対にとっちめられもした。
もはや千代夫人はメソメソと泣いている人ではなくなっていた。
外出するならどこまでも一緒について行くと言うので佐藤氏も閉口したらしい。
思えば千代夫人は数奇な運命の人であった。文化勲章受賞者二人と結婚し、
谷崎では一女を生み、佐藤では一男を生み、受け身のようでありながら強い人でもあった。

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千代夫人と鮎子
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左から 鮎子 千代夫人 方哉 佐藤春夫
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佐藤&千代夫妻
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谷崎と鮎子
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3列左から せい子の夫和嶋彬夫 佐藤の弟佐藤秋雄
2列左から 和嶋せい子 方哉 千代 佐藤 森田朝子 森田詮三 笹沼夫人 笹沼源之助
1列左から 竹田春子 竹田夏樹 泉鏡花 竹田龍児 鮎子 鏡花夫人 谷崎 松子
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佐藤と方哉
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鮎子&竹田龍児夫妻
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by vMUGIv | 2011-04-04 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その3

★恋人 穂積フク
-1912 -明治45
箱根の旅館の娘。行儀見習のため北村家で小間使いをしていた。
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谷崎の弟・英文学者 谷崎精二

兄は府立一中へ入学したが、その頃私の一家は次第に生活が苦しくなり
兄は退学することになった。
だが兄は一中で評判の秀才だったので学校の先生たちがその学才を惜しみ、
築地精養軒の主人北村氏の家に書生兼家庭教師として住み込ませ、
兄は通学を続けることができた。
兄は一中を卒業すると第一高等学校の英法科へ入学した。
兄の生活はそれまでだいたい平穏無事だったが、
ある日北村氏から突然『スグキテクレ』という父宛の電報が届いた。
父はすぐ北村家へ飛んで行った。
夕方になって父は兄を伴い、悄然として帰ってきた。
「本当に恥ずかしくって、人に話もできやしない」と父はプリプリ怒っていた。
兄が北村家のF子〔穂積フク〕という小間使と恋仲になり、
F子が兄に与えた手紙が北村夫人に見つかって表沙汰になり、
こういうことがあっては家へ置けないからというので
兄は追い出されたのだということがわかった。

やがて兄は東大の国文科へ入学したが、私は発電所の夜勤員を務めていた。
ある朝8時頃発電所から帰って二階の部屋に入ろうとすると、
意外にもそこに兄と若い女性が話し込んでいた。
「ちょいと、俺の部屋に行っていてくれないか」 兄は少しうろたえたように叫んだ。
突然の来客で寝ていた兄は寝床を畳む暇もなく、私の部屋へ来客を案内したのだった。
その若い女性が兄の愛人であることはすぐ察しがついた。
その愛人はやはり北村家を出て箱根の実家へ帰っているとのことだった。
朝の8時に日本橋に着くにはよほど朝早く家を出たのだろうし、
何か重大な事件が起こって兄に相談に来たに違いなかった。
1時間くらいヒソヒソ話し合って彼女は帰って行ったが、
後で父はカンカンに怒って兄を叱った。
「勝手にノコノコやって来るなんて図々しい女だ。二度とウチへ寄せつけてはならないぞ」
二度と彼女は姿を見せなかったが、
この事件で兄とF子さんとの仲がまだ続いていることが私たちにわかった。

それから間もなく私が発電所から帰ってくると兄の姿が見えず、
私の机の上に英文の置手紙があった。
My Dear brother, An evil accident happende to me and her,
obliged me to go to Hakone as soon as possible.
という書き出しであったことを60年近く経った今でもはっきり覚えている。
英文で書いたのは両親にわからないための配慮で、
青年の情熱がたぎって誰かに訴えかけたかったのだろう。
この『悪い出来事』というのがどんなことだか、兄は何も話さなかったので私は知らない。
F子さんも結局兄のために家出をし、後に不幸な生涯を終えたとか聞いている。
兄の青春の犠牲になったわけである。

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by vMUGIv | 2011-04-03 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その2

●潤一郎
●1890-1971 精二 英文学者 郁子と結婚死別、富士子と再婚
●1893-1988 得三 小泉得三となる
●1896-1911 園子 早逝
●1899-1994 伊勢 中西周輔と結婚離婚、林貞一と再婚 ブラジルに移民
●1902-?   末子 水間氏と結婚離婚、<張幸>店主河田幸太郎と再婚
●1908-1990 終平


左潤一郎 右精二
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伊勢
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末子
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終平
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谷崎の弟 谷崎終平

谷崎というのは母方の姓で、父方は江沢といった。
江沢は玉川屋という酒屋で、
長兄は藤右衛門・次兄は久兵衛・父は末弟倉五郎で男ばかりの三人兄弟である。
谷崎の祖父には三女四男があり、
女子は長女花・二女半・三女関といい私どもの母は三女の関だ。
久兵衛は花と、倉五郎は関と結婚した。
つまり兄弟二人して谷崎の姉妹の婿養子になったのだ。
なぜ兄弟二人して江沢から婿に来たかというと、
早くに両親に死別、後見人の男に商売をいいようにされ、お定まりの使い込みもされ、
さしもの玉川屋の身代も傾きかけ、谷崎の祖父は玉川屋に金融をしてやっていた関係から
借金のカタのようにして二人して養子に来たらしい。

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谷崎の妹 林伊勢

母は父と一緒になる前の娘の頃、娘番付の大関に座らされたり、
江戸最後の浮世絵師芳年が似顔絵を描いたという噂も伝わっているほどの美人であった
と言われているが、まったくのお嬢さん育ちで御飯も満足に炊けず、
貧乏のどん底に落ちた時でも女中は手放さなかった。

私たちは7人兄妹で、私の母はそれだけの子持ちでありながら一人の子の乳もでなかった。
長兄と次兄の時はまだ豊かであったから
一人ずつ乳母を置いて母の手許で育てることができたが、
三兄が生まれた頃にはもう我が家は傾いていて三兄は大きな薬種屋へ里子に出された。
長姉の方は初めての女の子で珍しくあり手放すにはしのびず、
末弟はまた両親が年取ってからの子であったので
やはり手放すことができなかったのであろう。2人とも母が人工栄養で育て、
真ん中の3人、三兄と私と妹が結局里子に出されたのであった。

私は長兄の庇護をずいぶんと受けてきた。
と同時に次兄からも長兄と同じように庇護を受けてきた。
私は母が美人であったに関わらず母に似ず醜い女であり、
それがコンプレックスになって長兄の好みに合わない私は
自然に長兄から離れるようになっていたのである。
そんなわけで、私は何でもまず次兄に打ち明け相談の相手になってもらった。
ブラジルに来てから後も、
次兄は人知れぬ苦しみを重ねている私に絶えず励ましの手紙をくれ続けていた。
長兄に対して私を日本に呼び戻し、私を兄弟の手に引き取ることを求める手紙も出してくれていた。
長兄が次兄に宛てた手紙からは、
二人の兄達の間で私についてどのような言葉の応酬がなされたかも読み取れた。
とうとう二人は義絶までしていた。
遠いブラジルにいて私はそうしたことは何ひとつ知らなかったのであった。

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谷崎の弟 谷崎終平

井伏鱒二先生が谷崎の兄弟を評して
「精二が一番変わっていて、次にまともなのが潤一郎で、終平が一番まともだ」

母は大変な神経質で怖がりで迷信深かった。
長兄が地震嫌いなのは母の影響と思われる。
若い頃神経衰弱だったのも、母の血をひいた神経症と思われる。
次兄は乗り物恐怖症に長い間悩まされていた。
長兄がなぜ自宅で家人に散髪をしてもらうかと言えば、
若い時に人力車から逆さに落とされたことがあって、
それ以来理髪店の後ろに倒れる椅子が怖くて行かれず自宅散髪になったのだ。

長兄はそそっかしくて不器用でもあった。
万年筆が壊れたというので見ると、ただインクが無くなっていただけだった。
写真機を買ったのはいいが、どうしてもファインダーをのぞくコツが掴めない人で
たまには水平にも保てなかった。
本人は器用な奴は出世しないとうそぶいていた。

私のきょうだいは4人とも初婚はうまくいかなかった。
次兄〔精二〕は母校の教師になる前、新聞社にいて職場結婚だった。
兄嫁〔邦子〕の方は次兄は良家の子弟だし大学の先生だと思って仕えていたと思うが、
次兄は結婚してみて失望したようだ。
速記もできタイピストであった、蒼白というほど色白でソバカスのある
ちょっと日本人離れの面立ちだった兄嫁を叱ったのは、天理教の信者だということなのだ。
無知な人間が信仰するものだと次兄が言えば、兄嫁は大学の先生でも信者がいるという。
繰り返し繰り返しそれについての夫婦の争いを嘆いた。
私はそんなことで暗い次兄の家庭がたまらなかった。
そんなに仲の悪い夫婦なのに、なぜ子供が3人もいるのだと私は思った。
次兄は嫁の母親をひどく嫌った。
ちょっと陰気な人だし、天理教の熱心な信者だったのでなおさら嫌だったのか。
この人がガンで病院で亡くなった時、次兄は家へは引き取らぬと拒絶した。
兄嫁は姉妹二人の長女だから困ったことだろう。
幸い妹はYという洋画家のクリスチャンと結婚して暮らしていた。
決して豊かな暮らしではなかったが、この人たちが引き取ってくれたのだ。
私は兄嫁と二人で牛込から池袋までその遺骸を寝台車で押して行った。
青白いガス燈が一個ほどついているだけだった。あとは真っ暗な夜道である。
不和とは悲しいものだ。この兄嫁も後に早死にした。
その妹も早逝した。けれど優しい夫に愛されただけ妹の方が幸せであった。
次兄はその後、家柄のいい人〔富士子〕と再婚して第二の人生では幸せに暮らした。

私の姉伊勢も前夫の中西と一緒に2人の子供をつれてブラジルに渡った。
伊勢はブラジルで中西と別れてから色々苦労を重ねた挙句に、
林という人と再婚してからはなんとか幸せになった。
次兄と大変ウマがあって、
頭は良いが文学少女で口に唾をためてよく次兄としきりに議論していた。
長兄の方は無口だから、伊勢より身体つきまで似ていた末子の方とウマがあったようだ。
小心な私はいまでもこの姉に不快を感じる。
伊勢のために長兄・次兄の絶交事件が起き、私は学業を放棄する羽目になったのだ。
こっちの都合も考えず、
勝手な時に自分の方はなにかと用事をブラジルから申し込んでくるのだから。
勝手者のところが好きになれない。自分にとって好都合のことばかりしか考えぬ人だ。

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作家 石川達三

昭和30年代、石川達三は和歌山市の旅館に泊まる。

私は旅館を出ようとして玄関で車を待っていた。
そのとき中年の女中がそっと私に囁いた。
「先生、そこの玄関に年寄りの下足番がおりますでしょう。
あの人、谷崎潤一郎の弟ですって。本当でしょうか?」
その玄関にいた下足番の老人は痩せて背丈が高くて少し猫背だった。
潤一郎とは身体つきがまるで違っている。
しかし、谷崎精二先生がフラリとそこに現れたと思うほど似ているのだった。
けれども私は、この老人のためにも谷崎潤一郎氏や精二先生のためにも
証言めいたことは言いたくなかった。
「さあ、どうだかな。人はいろんなことを言うからね」
私はそんな風に言葉を濁してしまったが、
気味が悪いほど精二先生に似ていたその人の面影だけは覚えている。

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谷崎の妹 林伊勢

石川氏が推察した通りこの老人は潤一郎・精二の本当の弟であり、
私にとっては三番目の兄であった。
実家にもう一人行方不明になっている兄がいるということを聞いたのは、
私が12、3の時であった。
母は「かわいそうにね。
朝鮮に行ったとかいう話も聞いたけれども、今頃はどうしているかしら」
父は父で「なんだなあ、人間はいくら貧乏しても親子兄妹一緒に暮らすに限るなあ」

三兄の養家は養母が亡くなってから養父が酒に身を持ち崩し、
家業も家屋敷もたちまち手放さねばならぬことになった。
三兄は大きな店に奉公に出された。
朋輩の中に悪いのがいて、三兄は誘われるままに朋輩たちと料理屋で一緒に飲食をした。
ところがその遊興費は、一人の悪い朋輩が主家の商品を持ち出して作った金であった。
それが表沙汰になり、一緒に飲食した全部が警察に捕えられた。
まだ15、6でしかなかった三兄も、どれほどかの刑を科せられたのである。
三兄たちが私たちの前から姿を消したのはその時からであった。

三兄が行方不明になってからかれこれ20年近くが過ぎた。父も母ももう亡くなっていた。
私が前夫のところから2人の子供をつれて
長兄のところへ逃げて帰っていた時のことであったが、
いつものように郵便物を選り分けていると、
同名異人でない限り母から聞いていた三兄からの手紙があることに気づいた。
私はそれを手にするとすぐ兄嫁のところへ飛んで行った。朝の遅い長兄はまだ寝ていた。

「お伊勢ちゃん、やっぱりそうだってよ。2、3日うちにここに来るそうよ」
兄嫁も自分のことのように目を輝かせて私に言ってくれた。
その人は、鉄無地の夏羽織に同じような色の細い縞の単衣を着て角帯を締めていた。
ちょうど妹も弟もいた時で、一人一人長兄から引き合わされた。
兄嫁が「お父さんそっくり」とひとこと言った。兄弟中で三兄は一番亡くなった父に似ていた。
ちょっと照れてはにかんだように笑う時の笑顔は父そっくりであった。
私たちが三兄から聞いた話はなんとも痛ましいものであった。
長い20年がただ逃走の明け暮れというより他はなかった。
幸いに本心は実直な人間であったので、職場に困ることはなかったようであった。
転々として40近いその日まで独り身で過ごして来たのであった。

三兄はまた姿を消した。
私が昭和36年に長兄の病気見舞いに日本へ行った時には、
再び消息がわかるようになっていた。
「ああ、あれは今和歌の浦の宿屋にいるよ。
もう年を取って働けないから老人ホームへ入りたいというので入れようと思う。
だがはっきり返事をしないんだ。どうも女がいるらしいんだ。
結婚しているなら夫婦で入ればいいんだが、
あいつが小金を貯めているんでそれが目当てなんじゃないかなんていう話もあるし、
なんだかわからない女の面倒をみるのは嫌だからね」
私が日本に滞在している間には結果は出なかった。
ブラジルに帰って1年ばかりが過ぎた時、三兄から便りがあった。
住所を見ると老人ホームの名が書いてあった。
それで長兄との話がついたのだと私にわかった。
生涯の落ち着くところを持つことのできた三兄の幸せを、
私自身の幸せのように嬉しく思った。
晩年の長兄が自分の死を前にして、
そこまで三兄のことを考えてくれたことに私は心から手を合わせた。

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by vMUGIv | 2011-04-02 00:00 | 大正

谷崎潤一郎 その1

■父 商家 谷崎倉五郎 
もと江沢和助 先代の娘の婿養子となる。
1854-1919 嘉永07-大正08 65歳没


■母 先代の娘 関
1864-1917 元治01-大正06 53歳没 

*錦絵に刷られるほど有名だった美人三姉妹の真ん中。


倉五郎&関夫妻
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倉五郎
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●潤一郎
●1890-1971 精二 英文学者 郁子と結婚死別、富士子と再婚
●1893-1988 得三 小泉得三となる
●1896-1911 園子 早逝
●1899-1994 伊勢 中西周輔と結婚離婚、林貞一と再婚 ブラジルに移民
●1902-?    末子 水間氏と結婚離婚、<張幸>店主河田幸太郎と再婚
●1908-1990 終平




■谷崎潤一郎 本名同じ
1886-1965 明治19-昭和40


■最初の妻  芸者石川千代 離婚 作家佐藤春夫と再婚
1896-1982 明治29-昭和57 86歳没


■2番目の妻 婦人記者古川丁未子 離婚 編集者鷲尾洋三と再婚
1907-1969 明治40-昭和44 62歳没


■3番目の妻 人妻森田松子 もと根津清太郎の妻
1903-1991 明治36-平成03 88歳没


●谷崎&千代の子 鮎子  千代と一緒に佐藤春夫家へ 佐藤春夫の甥 東洋史家竹田龍児と結婚
1916-1994 大正05-平成06 78歳没
●松子の連れ子  清治  松子の妹重子の養子となる 高折千万子と結婚
1924- 大正13-
●松子の連れ子  恵美子 谷崎の養女となる 観世栄夫と結婚
1929- 昭和04-


◆明治19年 7月24日東京日本橋に生まれる。
裕福な商家で育つが、小学校卒業あたりから家業が傾き始める。
◆明治34年 15歳 東京府立第一中学校入学
◆明治35年 16歳 精養軒西店の主人北村氏宅に書生兼家庭教師として住み込む。
◆明治38年 19歳 第一高等学校英法科入学
◆明治40年 21歳 北村家の女中穂積フクとの恋愛発覚、二人とも追い出される。
◆明治41年 22歳 東京帝大国文科入学。
◆明治44年 25歳 授業料未納のため大学を退学処分。
◆大正04年 29歳 石川千代19歳と結婚式挙げる。
◆大正05年 30歳 鮎子誕生。
◆大正06年 31歳 母53歳没。千代と鮎子を実家に預けてせい子と同棲。
◆大正08年 33歳 父65歳没。
◆大正09年 34歳 大正活映の脚本顧問となり、せい子を女優として売り出す。
千代がせい子と谷崎の関係知る。
谷崎&せい子は箱根で、佐藤&千代は小田原で話し合うが、谷崎はせい子に求婚して断られる。
◆大正10年 35歳 千代夫人譲渡問題がこじれて佐藤春夫と絶縁<小田原事件>
◆大正12年 37歳 関東大震災に遭い兵庫に移住。
◆昭和02年 41歳 根津松子24歳と知り合う。
◆昭和03年 42歳 古川丁未子21歳と知り合う。
◆昭和04年 43歳 谷崎が千代33歳を和田六郎25歳と同棲させるが失敗。
◆昭和05年 44歳 千代34歳と離婚<細君譲渡事件>
◆昭和06年 45歳 千代35歳&佐藤39歳結婚式挙げる。丁未子24歳と結婚式挙げる。
◆昭和08年 47歳 妹伊勢の問題で弟精二と絶縁。
◆昭和09年 48歳 松子が清太郎34歳に無断で離婚手続きをする。谷崎&松子31歳同棲。
◆昭和10年 49歳 丁未子28歳と離婚成立、松子32歳と結婚式挙げる。
◆昭和14年 53歳 鮎子23歳&竹田龍児31歳結婚。 
◆昭和16年 55歳 森田信子31歳&鴨川信一32歳結婚。森田重子34歳&渡辺明43歳結婚。
◆昭和21年 60歳 京都に転居。
◆昭和24年 63歳 渡辺明51歳没、重子42歳未亡人となる。
◆昭和25年 64歳 熱海に別邸を持つ。
◆昭和26年 65歳 清治27歳&高折千萬子20歳結婚。
◆昭和29年 68歳 熱海に転居。
◆昭和31年 70歳 清太郎26歳没。
◆昭和35年 74歳 恵美子31歳&観世栄夫33歳結婚。
◆昭和39年 78歳 佐藤春夫72歳没。
◆昭和40年 79歳 7月30日死亡。
◆昭和44年     丁未子62歳没。
◆昭和49年     重子67歳没。   
◆昭和57年     千代86歳没。
◆平成03年     松子88歳没。
◆平成06年     鮎子78歳没。
◆平成08年     せい子94歳没。
◆平成09年     信子87歳没。

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by vMUGIv | 2011-04-01 00:00 | 大正

中勘助の恋

『中勘助の恋』 富岡多恵子
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これは怖い本です。


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「さあここへいらつしやい」とひざをたたいてみせたら、ひざの上へ座ろうとするのを
「またがったほうがいい」と言つてさうさせる。このはうが自由にキスができる。
右の頬へいくつかそうつとキスをする。
私はまたひとつキスをして「これはどういふ時するもの?」ときく。
「知らない」
「私あなたが可愛くてかはいくてたまらない時するのよ。
あなたも私が可愛くてかはいくてたまらない時するの?」
「ええ、さう」
「あなた私大好き?」
「大好き」
「でも今に忘れちまうんでせう」
「お稽古が忙しくなれば忘れるかもしれない」
「私どんなに忙しくたつてあなたのこと忘れないのに、ひどい」
「そりゃ私子供だから」

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32歳の中勘助と9歳の少女の会話である。
のちのち勘助と結婚する妻の父は頑固な退役軍人であったが、
この部分を読んで「こんなに子供好きの人ならば」と結婚を許したそうで、
フシアナにも程がある。

私は時々義姉が嫌がるのもかまはず、その前へ手をついて頭を畳にすりつける。
幾十年この家の人柱となつてくれたことに対する心からの感謝である。

こっちはどことなくマゾヒズムを感じる。

中勘助がロリコンでマゾとなれば、この本は『中勘助の恋』というより『中勘助の性』といった感じだ。

勘助はハンサムである。背も180センチあったそうだから女性にモテただろう。
というか女が放っておかない男だったようで、沢山の女性から求愛されている。
しかし彼は女性も、かつて少女だった女性も、すべて冷たく退けている。
彼は外で少女を愛玩し、家には菩薩のような義姉と語らったのだから、
自分からアタックしてくるようなタイプの女性はお呼びではなかったのだろう。

兄は結婚してすぐに単身ドイツへ留学したため、高等学校の3年間勘助は義姉と親しく生活した。
兄とは14歳離れているが、義姉とは2つしか離れていない。
兄は帰国後、福岡の医学部教授となったため義姉を連れて九州に住まう。
ちょうど大学の4年間義姉と離れて暮らすことになった。
しかし兄が脳溢血で倒れたため夫婦で東京の実家に帰ってくる。
その時勘助は24歳。彼は兄夫婦との同居を避けるように約10年間放浪する。
再起不能となった兄の変わりに家督を継がなければならないのだが、
当の兄が勘助を家に入れないのである。家督を譲りたくないという意地である。
兄は知能と言語を失ったが身体の自由はある程度きいたようで、義姉を暴力と虐待で苦しめる。
勘助が助けると、さらに兄、母、親戚の中傷をあおるという悪循環。

やっと30代半ばで跡取りとなった勘助は、否応なく義姉とペアを組むことになる。
そうして20年間手に手を取るかのような苦労の後、義姉は亡くなる。
勘助は慟哭するが、3ヵ月後にはもう結婚の準備を進めている。
しかし結婚当日に兄が亡くなって、<結婚の目的は大半を失つた>と思い、
決心したのは式の25分前だと言うのである。
勘助57歳、花嫁41歳、ともに初婚であった。
結局兄は義姉の半年後に亡くなったことになる。
著者は義姉が勘助のために付けた女中について、
抑圧された都会の女が田舎の女を抑圧しているのは皮肉と述べているが、
時代的に見てこれはあまりにも的外れの批判であろう。
女中はあくまでも女中で雇用契約である。
それよりも義姉が亡くなった後、兄の世話をさせるためだけに結婚しようとする勘助の方が怖い。

家督を継ぐ前後に二つの作品が書かれている。

『提婆達多』では、阿闍世王子が父王を幽閉して餓死させようとする。
しかし、母妃が一計を案じ全身に蜂蜜を塗って面会に通ったためなかなか死なない。
サラッと書かれているが、この蜂蜜を食べるためには王が王妃を舐めるしかない。
暗い牢屋の中で飢えた王が王妃の全身を舐め回している。鬼気迫る光景である。
阿闍世王子の言い分はこうだ。

あなた方はただ単に己の色欲の満足のゆゑに私を生んだのである。
そのうへなお大それたる僭越と厚顔とをもつて人に恩を売らうとする。
私はあえて言ふ。
父母はその子の生まるると同時にその足下にひれ伏して罪を謝すべきである。
そして一生をとほして懺悔の生活を送るべきである。
父上、よくおききなされ。生殖の罪は人間のいかなる罪よりも罪である


王子というより、勘助は生殖を激しく憎んでいる。
当時において避妊はほとんど不可能であるから、彼は性交をも否定することになる。
しかし彼にも性欲はある。
それを性交という形で出せないとしたら、何らかの形で出すしかない。
彼の場合は少女愛という形で出たのであろう。
実際彼は少女たちのことをペットと呼んでおり、一線を越えるつもりは全くなかったと思う。

性欲は愛なき夫婦をもなほ力強く結びつける。
その性欲さへが牽引力を失つた時にも
その性欲生活の記念物なる子供はなほ恐ろしい肉鎖となって
無残に、醜悪に、その生産者を一緒に縛して離れしめない。
交尾せる犬が生殖器につながれて痴態をさらすやうに。


これが『犬』になるともっと凄まじい。
村はずれで修行している苦行僧が、毎日寺院に通う娘を不思議に思い話しかける。
彼女は異教徒と関係を持ち妊娠しているが、その男のことが忘れられないため
もう一度会えるように願かけしていると言うのだ。
苦行僧は怒りと嫉妬がないまぜになって彼女を自分の物にしようとする。
しかし娘が異教徒の男を忘れないので、その異教徒の男を魔術で殺し、
自分と娘とを犬に変身させてつがいになろうとする。

提婆達多も悉達多の妻・耶輪陀羅を自分の物としたいのに、他の男のものである。

これは義姉に対する勘助の気持ちではないだろうか。

著者は兄の横暴もどこまで本当かわからない、勘助の脚色かもしれないと述べているが、
私はそこまでは疑わない。
中家に出入りしていた友人・知人が多いから、嘘は書けないと思うからだ。


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女中の証言
先生は中学時代、
毎朝いつも同じ場所で行き逢ふ人力車に乗って華族女学校に通っていた人を、
のちに姉さんと呼ぶようになるなんて夢にも思わなかったが、
世の中って不思議なものだと何度もお話になりました

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


彼は兄の妻となる前から、娘時代の義姉を知っていたのだ
このエピソードについて勘助自身は書いていない。

義姉は兄より先に亡くなるが、これが逆であったらどうだったのだろうかと考える。
兄が亡くなり、義姉と二人きりになった時、彼はどうしたろうか。
それでも彼はまた逃げたろうか。
もしそうだとしたら、彼女は勘助から一番愛された人ではあるが、一番かわいそうな人だ。
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by vMUGIv | 2008-03-01 00:00 | 大正


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