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by vMUGIv
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おかげまいりとええじゃないか

おかげまいりとは江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣のことで、
60年周期(おかげ年と呼ばれる)で起こった。

もともと伊勢神宮は天皇家の氏神であり、民衆と伊勢神宮の距離は大きかった。
『更科日記』でも、
貴族社会に属する菅原孝標女ですら天照大神が仏なのか神なのかもわからず、
ましてやその神宮の所在地も知らないというくだりがある。
さらに貴族社会の凋落と武家社会の勃興により、伊勢神宮は経済的に困窮し、
20年に一度新築することとなっていた慣例も行えないほど荒廃していた。
そこで江戸時代になって
御師(伊勢神宮の世話役)が各地を回り参詣してもらえるようPRを始めた。
御師がツアーコンダクターとなり手取り足取り世話をしたし、
お参りを済ませた後には京や大坂などの見物を楽しめた。
このような風潮から
一生に一度はお伊勢さんにお参りしたいものだとまで言われるようになる。

おかげまいりの中には、主人に無断でやってきた子供・妻・奉公人などもいた。
これを抜け参りと呼ぶ。
お伊勢参りをしたいと言い出したら主人はこれを止めてはならないとされていた。
神罰があたるからである。
また主人に無断で旅に出ても、
お伊勢参りをしてきた証拠としてお守りやお札などを持ち帰れば
おとがめは受けないことになっていた。

抜け参りは着の身着のまま家を出てきた者が多いので、道中の人々がこれに協力した。
これを施行という。
富裕層から城主・藩主までが、
銭・飯・笠・杖・草鞋・薬などを配り、宿・風呂まで提供した。
しかし、この施行は善意から出たものではなく、
集団が暴徒化するのを防ぐために先手を打っていたにすぎない。
そしていつまでもこのような施行を続けてはいられない。物資も払底してくる。
そこでだいたい2ヶ月経つと金の切れ目が縁の切れ目、
時期を見計らって支配者が施行中止を申渡す。

慶安03年(1650)は江戸時代最初のおかげまいりでは、
人々は白装束を着て組ごとに旗を立てて歩いた。

宝永02年(1705)のおかげまいりは、2ヶ月間に330万~370万人が伊勢神宮に参詣した。

享保08年(1723)の参詣者は、
太鼓・笛・鼓・三味線をかき鳴らし、異様な衣服を身に着けて囃し立てて歩いた。

明和08年(1771)の参詣者は「おかげでさ、ぬけたとさ」と囃し立てながら歩いた。
集団ごとに旗を立て出身地や参加者を書いていたが、
段々と滑稽なものや卑猥なものを描いたものが増えた。
お囃子も老若男女がそろって卑猥な言葉を言うようになった。

文政13年(1830)の参詣者にはひしゃくを持つのが流行り、
ふんどしまで締めた男装をして囃し歩く女性集団もいた。
門前に捨てられた山と積まれたひしゃくの絵が残っている。

慶応03年(1867)のおかげまいりは最後のおかげまいりで、別名ええじゃないか。
「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃しながら、踊り狂った。
明治に変わる前年ですね。

疲れてきたら「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃しながら、
草鞋のまま泥足のまま他人の家に上がりこみ、勝手に酒を飲み、食事をし、眠る。

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参加者の証言

■着物でも道具でもなんでも良いものがあったら、
「これ、くれてもええじゃないか」と言ってなんでも取っていった。

■普段嫌いな奴の家へ行って「ええじゃないか、ええじゃないか」と言いながら
畳・建具・道具を壊しまくった。

■米屋に行って「米もらってもええじゃないか」と米を大量に持ち出し、
どんどん炊いて配った。

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こんな状態が1年弱続いたのである。
「ええじゃないか」ではもうお伊勢参りは関係なかったようですね。
地元で騒いでいたようだし。

コアな集団は宗教目的、政治目的などのたくらみを持っていたのだろうが、
ここまでの人数に膨れ上がると
大部分は踊らにゃソンソンとばかりにブームに熱狂しただけであろう。
集団ヒステリーというか集団陶酔というか。

「将軍さんの世になるのか、天子さんの世になるのか、
どっちがどっちかわからなかったからみんながあんなに暴れたんだと思う」

打ちこわしでもなく一揆でもなく革命でもない、ええじゃないか。
鬱積したエネルギーを放出した結果、
幕藩体制から天皇制への移行はスムーズに行われてしまった。
これはたくらんだ連中の思い通りだったのか否か。
そして民衆にとって良いことだったのか否か。



老若男女が、男が女の、女が男の、老婆が娘の格好をしたり、
褌一丁・腰巻一丁の丸裸もあり、グループで忠臣蔵などのコスプレをした者もいるとか。
絵にはキツネのかぶりもの?をした人までいますね。

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by vMUGIv | 2015-12-01 00:00 | 江戸
大正三美人 柳原白蓮 その5 >>


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