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大正三美人 江木欣々

江木欣々/江木栄子
1879-1930 明治12-昭和05 51歳没

大正三美人の一人。
(大正三美人は九条武子・柳原白蓮・林きむ子、または九条武子・柳原白蓮・江木欣々)

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長谷川時雨 『近代美人伝』

引き締まった白い顔に、長くはっきりした眉、
黒目がちの大きな目に、長いまつげが濃く伸びている。
色んな面を見せて複雑に輝く切子の壺のような女性。

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父親は佐賀の尊皇派志士のちに愛媛県知事となった関新平。
母親は老舗の袋物屋の娘 藤谷花子。
花子は行儀見習いとして関家に上がっていたが、主人である新平が16歳の花子に手を出し妊娠。
生まれた欣々は父母の顔を知らぬまますぐに他家に養女に出され、
花子は実業家早川政吉の後妻となった。

ゆえに欣々には父方の異母きょうだいと、母方の異父きょうだいがいる。
実父関新平と本妻和気子との間に関悦子・藤子・ませ子。
実母花子と夫早川政吉との間に早川登鯉子、政治、徳次。

このうち、異母妹 関ませ子は鏑木清方の代表的美人画「築地明石町」のモデル、
異父弟 早川徳次は後のシャープの創業者である。

養親が困窮したため神田の芸者になった。
16歳の時、有吉男爵に落籍され男爵夫人となる。
しかし夫が1年あまりで病没したため、今度は新橋の芸者になった。
弁護士江木衷に落籍されて再婚。
江木40歳、欣々20歳の年の離れた結婚であった。

江木は明治大正期の有名事件はすべて担当していたといわれるほどの敏腕弁護士で、
顧客も政財界のトップクラスばかりであった。
東大の前身である東京開成学校の法科を首席で卒業。
しかし優等生タイプではなく、教授に議論をふっかけては授業を潰したり屁理屈で煙に巻いたり、
悪ふざけでも首席を争う悪戯者だった。
一時官界にいた時は、出張の際に上司への報告がわりに
都々逸を電報で打って済ませたというエピソードが残っているほどである。

頭の切れる辛辣でシニカルでな性格だが、
派手好きで開けっぴろげで面倒見がよくユーモアを解した人物であった。
彼を評する人々はみな「とにかく痛快な男」と証言している。
独身時代は相当浮き名を流しており、離婚歴もあったらしい。
しかし欣々と結婚すると外で遊ぶのをぴたりとやめてしまい、
その代わり、毎週知人友人有名人を自宅に招き豪華な宴会を開いた。
それを欣々が芸者時代に身につけた客あしらいと美貌でもって贅をつくして歓待した。

夫妻は黒塗りの古風な武家邸を住まいにしていた。
御者・馬丁・門下の弁護士・書生・使用人など、三十人近い大所帯だった。
「我儘者で、贅沢者で、食道楽で、飲道楽である」江木は、
食事・酒・煙草すべて一流の店のものだった。
夏には電車を借り切って書生や使用人まで引き連れて軽井沢へ避暑に行き、
毎週東京から鰻を取り寄せる。

欣々は和漢詩、絵画、篆刻、琴、茶道、華道、柔剣道など、一流の教師を呼んで学んだ。
欣々夫人の豪奢な生活ぶりは婦人雑誌などを通じて大いに紹介され、スター的存在となっていった。
「主人の職業は言わば勝ち負けを争うもの、
家の中は常に賑やかに陽気にしておりませんことには
その日の仕事に非常な影響があると思いますので、
子供のない私は派手な賑やかな妻として仕えております」

欣々は人生の絶頂期にあったが、江木が病気がちになる。
そして大正12年の関東大震災で本邸を失う。
夫妻は軽井沢の別荘にいて無事だったが、この頃から江木の病が重くなる。
ついに大正14年、江木が心臓マヒにより68歳で亡くなった。

別荘をはじめ、江木の遺産が多く遺されていたため生活面で苦労することはなかったが、
江木という後ろ盾を失ったことにより華やかな生活は消えてしまった。

欣々は家を新築し、降るように来る再婚話もすべて断り、
江木の冥福を祈って毎日読経をして尼僧のような生活を送った。

病気のため子宮の摘出手術を受けたが思わしくなく、時々は喀血することもある状態だった。
華美を誇った生活と、後ろ盾となる夫、さらに健康まで失った欣々は神経衰弱にかかってしまう。

異父弟早川徳次が静養のために欣々を大阪に招いた。
二ヶ月ほどの滞在中ほとんど横になっていた。
久しぶりに体調のよかった欣々は住吉大社に参詣に出かけ、
帰ってきてから土産物の菓子などをつまみつつ家族と夕食を取った。
しかし自室に戻った欣々は縊死していた。
江木家の家紋の入った風呂敷で顔を覆い、右手には水晶の数珠を握っていた。
欣々は江木のお墓の隣に並べて葬られた。


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異母妹ませ子

死ぬのならもっと早く死なせたかった。あの通りの派手な気性ですもの。
本邸は毎晩宴会のようでした。
江木の力と自分の美貌からだと思っていたから、
顔が汚くなるということが一番怖い、それと江木の力も失いたくない。
それが、江木に死なれたのと、年を取ってきたのとが一緒に来て、
誰も訪ねて来なくなったのがたまらなかったらしいのです。
立派に暮してゆけるだけの財産もあったのに、よっぽどさびしくなったのだと見えて、
そんなことは絶対に言わなかった人なのに家には離れも二つあるから一緒に住まないかとも、
二男を子にくれないかとも言いました。
強い人があれだけ言ったのには、言うに言えない寂しさがあったのだと思いますけれど。

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by vMUGIv | 2015-02-01 00:00 | 大正
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