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by vMUGIv
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大正三美人 九条武子 その4

◆明治44年 24歳 義姉寿子29歳没
◆大正09年 33歳 12月 夫良致10年ぶりに帰国、夫妻は東京築地本願寺に住む
◆大正11年 35歳 01月 夫良致が詐欺事件で起訴される
◆大正12年 36歳 09月 関東大震災
◆昭和02年 40歳 年末 風邪を引きこじらせる
◆昭和03年 41歳 02月07日 敗血症で死亡
◆昭和14年 11月 生母藤子死亡
◆昭和15年 08月 夫良致56歳没




良致は留学予定の3年が過ぎても帰国せず、イギリス滞在は10年に及んだ。
すでに外国人女性との間に一男一女ももうけていた。


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武子の友人 柳原白蓮

「あなた、御主人様の男爵から、ちょいちょいお便りはあって?」
「ちっともないの。もう久しいこと手紙一本来はしませんのよ。
でも私、あの人を待ってはいません。
本当は離婚してくれって言ってやったんですけど、何もそれについて返事は寄こしません」

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しかし、武子も悲嘆にくれて暮らしたわけではなかった。
何よりも武子は一生涯西本願寺の娘であった。
ヨーロッパから帰国して3ヶ月後、兄嫁寿子が子宮炎で急死した。
兄光瑞は再婚しなかったので、武子は光瑞の片腕のような存在であった。
光瑞が「口八丁、手八丁」と称したように、武子は機転がきき独創性があり手早い。
西本願寺の広告塔として、巡教のため日本全国を飛び回った。


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武子の友人 柳原白蓮

ある時田舎のお寺で武子さんの御説教があるというので見に行きたいと話したら、
「あきさんが見てるとお話がしにくいわ。来ないで」と言われるとなお見たくなって、
とうとう私は出かけていった。
お寺の奥座敷で二人は落ち合った。話をしたり食事をしたりしていると、
その寺の和尚さんがやってきて「そろそろお時間でございます。御支度を」と言う。
御支度って何をするのだろうと見ていると、
武子さんは立ち上がり鏡台の前で髪をお下げにしてしまった。
そして白羽二重の着物の上から緋の袴をはいた。
その上から目の覚めるような美しい袿を着てスッと立ち上がったその美しさ、
日頃見慣れた私の目にも品の良い土佐絵の中から抜け出したようなお姫様が出来上がった。
武子さんが普通の姿で御説教されるより、
生きたお雛様そっくりの武子さんが壇の上から御説教をなさる、
この姿だけでもう信者は大満足に違いない。
さていよいよ支度もできた。本堂の方から鐘の音が聞こえてくる。
生きたお雛様は長い廊下をしずしずと本堂の方へ。私はその後からついて行った。
このお雛様、ひょいとあたりを見まわすと、誰もいない。
私の方を振り向いた途端、舌をベロリとだして見せた。
そして何食わぬ顔をして、湧き上がるような南無阿弥陀仏の唱名の中へ、本堂へしずしずと。

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良致が帰国する気になった理由は不明だが、
10年に至って大谷家が良致への生活費の仕送りを打ち切ったのかもしれない。
ともかく大正09年12月06日午前06時、良致を乗せた船が神戸港に着いた。
武子は兄の光明・尊由・妹の義子とともに良致を出迎えた。
それから良致の記者会見が行われ、
3日後の12月09日には大阪ホテルで「九条良致男爵夫妻歓迎会」が行われた。
12月12日、住まいとなる東京の西本願寺築地別院へ引っ越した。

帰国した良致はまた深酒を続けた。
すでに帰国の船中で酒の席で暴力事件を起こしている。
天長節の夜の祝賀会で酔っ払った良致が乗務員とトラブルを起し、
アントワープオリンピックに役員として同行していた辰野保が仲裁したことが報道された。
銀行の勤めには一応出かけていくが、帰宅時間は一定しない。
酔っ払ってフラフラで帰ってくる日もあるが、帰ってこない日もあった。
ある夜、良致は泥酔して玄関で伸びていた。
武子は足を持ち上げて靴を脱がせようとした。
良致は武子に気づくと、武子を振り払い、靴のまま武子のアゴを蹴り上げた。

良致が帰国してからも、武子はそれまでと同じように巡教を続けた。
しかし良致はこれも快く思わなかった。

大正11年には良致は不渡り手形による詐欺事件で起訴されている。

大正12年の関東大震災以降、武子は巡教の他に慈善活動も始める。
昭和02年、例年通り医師らとともに貧民窟の歳末巡回診察をした際に風邪を引く。
01月02日の深夜、酔っぱらった良致が風呂に入りたいと言い始めた。
このとき井戸ポンプが故障していた。
そこで使用人が隣の家から水をもらってくる、
晴れ着にタスキをかけた武子がそれを風呂場の窓から受け取り風呂桶に移すという作業をした。
これが原因で武子は風邪をこじらせる。


昭和03年
01月16日 扁桃腺が悪化して化膿していると診断される
01月18日 入院
01月21日 発熱続き、虫歯の痛みを訴える
01月23日 歯痛おさまらず抜歯、出血止まらず壊疽性口内炎と診断される
01月27日 敗血症と診断される
02月06日 重態に陥る
02月07日 午後7時25分、生母・兄妹に囲まれて死亡


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性応寺住職 安満了智

良致男爵は武子様の容体が悪化した時、
ジョニ黒を持っていらっしゃってヤケ酒みたいにグイグイ飲んでおられました。
そして涙声になって「武子が死んだらどうしようかな」と、男泣きに泣いておられました。
武子様が亡くなった後 山王ホテルに一人でお泊りの時に伺ったところ、
「いやあ、よく来てくれたなあ。武子が亡くなってから寂しいから、一緒に御飯を食べよう」
と非常に寂しそうにおっしゃいました。

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良致は晩年ホテル住まいをしていた。
昭和15年08月、良致はホテルで倒れ脳出血で死亡、56歳だった。


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by vMUGIv | 2015-02-07 00:00 | 大正
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