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谷崎潤一郎 その3

★恋人 穂積フク
-1912 -明治45
箱根の旅館の娘。行儀見習のため北村家で小間使いをしていた。
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谷崎の弟・英文学者 谷崎精二

兄は府立一中へ入学したが、その頃私の一家は次第に生活が苦しくなり
兄は退学することになった。
だが兄は一中で評判の秀才だったので学校の先生たちがその学才を惜しみ、
築地精養軒の主人北村氏の家に書生兼家庭教師として住み込ませ、
兄は通学を続けることができた。
兄は一中を卒業すると第一高等学校の英法科へ入学した。
兄の生活はそれまでだいたい平穏無事だったが、
ある日北村氏から突然『スグキテクレ』という父宛の電報が届いた。
父はすぐ北村家へ飛んで行った。
夕方になって父は兄を伴い、悄然として帰ってきた。
「本当に恥ずかしくって、人に話もできやしない」と父はプリプリ怒っていた。
兄が北村家のF子〔穂積フク〕という小間使と恋仲になり、
F子が兄に与えた手紙が北村夫人に見つかって表沙汰になり、
こういうことがあっては家へ置けないからというので
兄は追い出されたのだということがわかった。

やがて兄は東大の国文科へ入学したが、私は発電所の夜勤員を務めていた。
ある朝8時頃発電所から帰って二階の部屋に入ろうとすると、
意外にもそこに兄と若い女性が話し込んでいた。
「ちょいと、俺の部屋に行っていてくれないか」 兄は少しうろたえたように叫んだ。
突然の来客で寝ていた兄は寝床を畳む暇もなく、私の部屋へ来客を案内したのだった。
その若い女性が兄の愛人であることはすぐ察しがついた。
その愛人はやはり北村家を出て箱根の実家へ帰っているとのことだった。
朝の8時に日本橋に着くにはよほど朝早く家を出たのだろうし、
何か重大な事件が起こって兄に相談に来たに違いなかった。
1時間くらいヒソヒソ話し合って彼女は帰って行ったが、
後で父はカンカンに怒って兄を叱った。
「勝手にノコノコやって来るなんて図々しい女だ。二度とウチへ寄せつけてはならないぞ」
二度と彼女は姿を見せなかったが、
この事件で兄とF子さんとの仲がまだ続いていることが私たちにわかった。

それから間もなく私が発電所から帰ってくると兄の姿が見えず、
私の机の上に英文の置手紙があった。
My Dear brother, An evil accident happende to me and her,
obliged me to go to Hakone as soon as possible.
という書き出しであったことを60年近く経った今でもはっきり覚えている。
英文で書いたのは両親にわからないための配慮で、
青年の情熱がたぎって誰かに訴えかけたかったのだろう。
この『悪い出来事』というのがどんなことだか、兄は何も話さなかったので私は知らない。
F子さんも結局兄のために家出をし、後に不幸な生涯を終えたとか聞いている。
兄の青春の犠牲になったわけである。

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by vMUGIv | 2011-04-03 00:00 | 大正
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