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by vMUGIv
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谷崎潤一郎 その9

千代夫人との離婚前後から、後の丁未子夫人・松子夫人、女中の宮田絹枝の
3人の女性との関係が同時進行していた。
千代夫人との離婚後は、3人以外にも見合いや縁談も積極的に活動した。


◆大正04 29歳 
05月千代19歳と結婚式挙げる、新小梅町に新居を構える。
◆大正05 30歳 
03月鮎子誕生。
06月原町に転居。
◆大正06 31歳 
05月母53歳没。
06月千代と鮎子を実家に預け、谷崎はせい子15歳と同棲。

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谷崎の弟 谷崎終平

母が亡くなってからの蠣殻町の家の中は寂しかった。
だが幸いにして、
長兄は兄嫁〔千代〕と娘〔鮎子〕に女中をつけて父の家に預けることになる。
これについては次兄が野村尚吾氏に長兄は邪魔だから預けたのだと言ったとか。
私は急に3人も増えて嬉しかった。そのうち、里子に出されていた伊勢が戻ってくるし、
次兄〔精二〕も父の家から早大に通っていた。
ある時次兄が、自分たち親子と兄嫁たちの副食物が区別されるのを不審に思って
オヤジに文句を言ったらしい。
父は長兄が毎月食費を30円入れると言ったのに、
一度だけ入れたきりで入れてこないからやむを得ないのだと苦笑して言った由。

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◆大正07 32歳 
◆大正08 33歳 
02月父65歳没。
03月一家で曙町に転居、近所に住む佐藤春夫と交流始まる。

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谷崎の弟 谷崎終平

母が亡くなって2年もしないうちに父も亡くなった。
父が亡くなってから曙町の新建ちの家に移った。
一家は長兄・千代夫人・千代夫人の妹せい子(後の女優葉山三千子)
・鮎子・伊勢・私・女中さんの7人。
今東光氏がよく遊びに来ていた。
程遠くない二階家には佐藤春夫氏もいて、
よく兄と二人して互いに誘い合って銭湯に出かけた。

おせいちゃんはまだその頃18歳ぐらいだったと思うが、
音楽学校に通っていて盛んに発声稽古をする。
近所の小僧さんなど珍しがって塀の上に登って家の中を覗くしまつだった。
おせいちゃんの身勝手なわがままさが嫌いだったが、
次第にその無邪気な性格を見出して好きになった。

今東光氏は長兄が曙町時代かなりの暴君で乱暴をしたように書いているが、
座敷箒でおせいちゃんの尻を叩いているのを見たことはある。
なぜ長兄が怒ったのかは知らない。

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12月小田原へ転居。
◆大正09 34歳
05月大正活映の脚本顧問となり、せい子18歳を女優として売り出す。

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谷崎の弟 谷崎終平

曙町には半年ほどしか住まず、小田原に引っ越した。
その折りの家族構成は、長兄夫婦と鮎子・おせいちゃん
・石川のお婆さん・私と女中さんだった。
石川のお婆さんというのは兄嫁の伯母なのだが、養う義務があって同居していたのだ。
その頃もう70代だが達者で賢い人だった。長兄は大正活映に関係して、
女優になったおせいちゃんと横浜の撮影所に通っていて2人は留守がちだった。
兄嫁は北原白秋夫人から長兄とおせいちゃんの間柄を告げ口されて怒った。
「冗談じゃない、おせいは私の妹ですよ!」
また石川のお婆さんもなにかを嗅ぎつけて北原夫人と同じことを言ったらしいが、
これも頭ごなしに否定してお婆さんを謝らせたという。そういうところは一途な人だった。
長兄とおせいちゃんは箱根に行った。
長兄は、威勢のいい意気のいい彼女を猛獣に仕立てあげたのはよかったが、
もはや手に負えなくなったに違いない。猛獣が自分の意志で動き出したのだ。
だがこの猛獣も付け焼刃で、
結婚したら牙など無くなって本当によく夫に尽くす良妻になってしまった。
猛獣は彼女の若さに過ぎず、本能は並みの主婦となれるべき人であった。
おせいちゃんは京都の撮影所の俳優前田某と結婚した。
長兄はこの人を見込みがあると盛んに褒めていたが、私はくだらぬ奴と思っていた。
一見目鼻立ちの整った美男子に見えるけれど、しきりに鏡ばかり見ている男で、
闘犬ばかり引き廻して強がっているだけの男と私は見抜いていた。
のちに前田はおせいちゃんと別れて満洲に渡りダンスホールを始めたという話だったが、
その後の消息はわからない。
おせいちゃんはフランス系の会社に勤めていた大変紳士的な
東京外語の仏語科出身の人と結婚してオシドリ夫妻になって幸せにくらした。
去年夫君を見送ることになってしまったが、おせいちゃんは86歳で達者に暮らしている。

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10月千代、谷崎とせい子との関係知る。
谷崎&せい子は箱根で、佐藤&千代は小田原で話し合うが、谷崎はせい子に求婚して断られる。

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谷崎の弟 谷崎終平

佐藤春夫氏がよく東京から小田原に遊びに来ていて、
長兄やおせいちゃんが横浜に行って不在でも、
親しく家庭の一員として風呂に入ったり、兄嫁と鮎子と食事をしていった。
私は兄嫁を信じたし、長兄も佐藤氏にタカを括っていたと思うのである。
佐藤氏は兄嫁を気の毒に思って同情したことから、<同情は恋の始まり>と言えそうだ。
兄嫁は25にして初恋を知ったと長兄に告げたとか。
さすれば佐藤氏の同情が兄嫁の方を動かしたことになるのだろうか。
長兄は兄嫁との夫婦生活がうまくいかなかっただけで、
他のことは兄嫁になんの不満もなかったと言っている。
本当に申し分なく兄嫁は長兄に仕えていた。
兄嫁は大変人づきあいが上手だったし、料理も上手で、人をもてなすのが好きで
出入りの作家・出版社の人・新聞社の人に好かれた。

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◆大正10 35歳 
03月佐藤春夫と絶交<小田原事件> 

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谷崎の弟 谷崎終平

二階で佐藤氏が長兄と怒鳴り合いをして、佐藤氏が怒って帰った時
「おい、もう一度佐藤を呼べ!」と言って女中さんに追いかけさせたのを覚えている。
兄嫁と別れて佐藤氏に譲ると言いながら、長兄は前言を取り消して大喧嘩となったらしい。
なにしろ実際は離婚するまでに16年もかかった人なのだから。

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09月横浜市本牧へ転居。
◆大正11 36歳 
10月横浜市山手に転居。
◆大正12 37歳 
夏  箱根のホテルで和田維四郎一家と知り合う。
09月関東大震災。
11月森田松子20歳&根津清太郎23歳と結婚式挙げる。
11月せい子26歳、俳優前田則隆と結婚。
12月兵庫県苦楽園へ転居。
◆大正13 38歳 
03月北畑へ転居。
千代、和田六郎と再会。
12月松子、清太郎の子清治を生む。
◆大正14 39歳 
◆大正15 40歳 
09月佐藤と和解。
10月好文園へ転居。
◆昭和02 41歳 
03月松子24歳と知り合う。
金融恐慌で根津商店傾き始める。
◆昭和03 42歳 
05月せい子26歳離婚。
08月梅ヶ谷に支那風の豪邸を新築。
実業家妹尾夫妻と知り合う。
12月丁未子21歳と知り合う。

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谷崎の弟 谷崎終平

梅ヶ谷に越してからだったと思うが近所に妹尾夫妻という方がいて、
御主人は何か資産家のボンボンでディレッタントの青年彫刻家であり、
妹尾夫人の方は大変話上手な言わば口八丁手八丁な人で、
大変陽気な明るい人柄で兄などもお気に入りだった。
何でも玄人あがりだという噂であった。
夫婦仲は大変良かったが、夫人の方が8歳も年上だった。
利口で派手で誰もを分け隔てなく扱う人だったから、皆に評判良く人気者だった。
ただ喘息持ちで、時々具合が悪くなるのが気の毒だった。

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◆昭和04 43歳 (続く)
02月松子、清太郎の子恵美子を生む・清太郎29歳が信子19歳と駆け落ち騒動を起こす。
02月谷崎が千代33歳を和田六郎25歳と同棲させるが失敗。

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谷崎から佐藤春夫への手紙 昭和4年2月25日

千代はいよいよ先方へ行くことが決まった。
3月中に離婚の手続きを済ませ、4月頃から
ポツポツ目立たぬように行ったり来たりして
だんだん向こうのひとになるという方法を取る。
神戸に家を持つそうなので、それには都合のいいことになっている。
したがって、まだ発表されては困る。
今日東京から和田の兄なる人が和田と同伴で来訪、
すっかり話がついたのでやや落ち着いた。
君に会いたいと心切であったが、
君を呼んだためにどうなったこうなったと後で文句が出ては困ると思い差支えていた。
お千代もいっぺん君に相談しようかと言ったこともあったが僕が止めた。
しかしもう決まってしまえばかまわないから一度会いたい。

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秘書 高木治江/旧姓 江田治江

東京から二十代の和服姿の歌舞伎の女形のような青年が現れて、
鮎子さんに麻雀を贈った。
先生には会わず千代夫人に心ありげなそぶりであったが、
夫人もさりげない様子のまま一泊して帰って行った不思議な青年である。

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谷崎の弟 谷崎終平

長兄は『蓼喰う虫』ではかなり正直に告白している。
例えば高夏は佐藤春夫と誰にもわかるが、
阿曽が和田六郎だと気づいている人は何人あるか。
鮎子は男の子にして弘となっている。
小田原事件後、長兄と佐藤春夫氏の絶交は6年しか続かず元通りになった。
佐藤氏と和解した長兄は、
なんとかして今度こそ兄嫁を佐藤氏にもらってもらおうとしていた。
一番気心の知れている人だし、この間16年も経っていて鮎子も大きくなり、
佐藤氏なら鮎子もなついているしなどと思っていたのだ。
ところがそこに一つの事件が挟まってしまったのだ。
それは兄嫁と和田六郎との恋愛事件である。

震災の年の夏、長兄一家は小涌谷のホテルで鉱物学者和田維四郎氏の一家と知り合った。
翌年の夏は有馬ホテルで、私は奇人に会うことになる。
それは東京薬学専門学校の詰襟を着た学生で、21歳の美青年であった。
これが前年、長兄たちと一緒だったという和田一家の六郎君であった。
後年大坪砂男というペンネームを持つ推理作家になった。
長兄は仕事にかまけて食事の時ぐらいしか我々と一緒にならず、
兄嫁と鮎子と和田六郎と私の4人は名所めぐりをした。

長兄がまずは二人で生活を始めてみてうまく行ったらそれで良いし、
ダメだったら別れたらということで下宿人の体でいた。
兄嫁はいろいろと悩んだ。年の差もあるし、鮎子のことが心配だった。
私はなぜ和田が東京に帰ってしまったのか、つまり決別したのかを忘れているが、
やはり佐藤氏が和田の生活ぶりを危ぶんだのがきっかけになったのだと思う。
「君は生涯愛していく自信があるのだね」と尋ねて、
正直にしか答えぬ性格の彼は「それはわからん」と言ったらしい。
兄嫁も年齢の差や子供のことが心配で躊躇したのだったと思う。
長兄はよく夫の役を果たした。
和田と一緒に住んでからも表面上は夫だったから、
2、3ヶ月の児を流産した時も医者の前で夫としての役目を静かに務めた。

私と和田六郎、後の大坪砂男との40年の交際を振り返ると、
彼と私は生まれも育ちも違う。彼は山の手育ち、私は下町。
彼は姉たちがみな学習院という上流階級の子、私は左前になった商人の子。
良い暮らしをし、兄弟みな等分に遺産を分けてもらったという裕福なお坊ちゃん。
和田は東京に帰るとと女狂いを始めてしまった。日本橋の芸者を身請けしたり、
その他女性問題は私が知っているだけでも二、三に止まらぬが、
別れても決して相手に恨まれていなかった。

大坪砂男がなぜ書けなくなって転落したか。
一つは戦争の結果、財産を失ったからだと思う。
画商のようなこともしたし、売り食いして信州に落ち延びて
佐藤春夫氏に師事して物を書き出したのだが、
大変な文章の凝り屋で行き詰ったのだとも思われるし、
使い込みや借金までしたというから、
裕福だった彼のような人が転落すれば形なしになってしまう、
そういうことだったのだと私は信じる。

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谷崎18歳
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by vMUGIv | 2011-04-09 00:00 | 大正
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