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by vMUGIv
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谷崎潤一郎 その18

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秘書 伊吹和子

*谷崎の秘書を5年務めた後就職、谷崎に請われて再度秘書を務めた後、
中央公論社の編集者となる。

先生が考えておられた<秘書>とは、果たしてどんな性質のものだったのであろうか。
早くは資料調査などを受け持っておられた榎克朗氏が
週に何回か通って秘書の役目も勤めておられ、
宮地裕氏が引き継がれたが、その後は女性を頼まれることになり、
私が宮地氏の後を承るまで
短期間ながら何人かの女性が代わる代わる秘書として勤めていたようである。
ある人は本棚の整理を命じられて全集を左から右へ並べて失敗し、
ある人はつけていた香水が気に入らず、ある人はかすかなワキガが災いした。
ある人は手洗いが二つあって、一つが先生専用になっていたのをうっかり入ってしまい、
しかも後の水の流し方が充分でなかったというのが解雇の原因であった。

老後の4年間すなわち私が時に応じて呼び出されていた間にも、
先生は書斎の相手をする若い女性をいろいろと物色しておられたようである。
先生が望んでおられたのは口述筆記のための秘書と言うよりは、
書斎専門にいつも身近にいさせて気楽に雑用を頼むことができる
二十歳前後の女の子であった。
先生は秘書という名目の女の子に情緒的な慰めを期待しておられたようである。
高校を出たての娘さんが来ると先生は単純なほど喜んで、
毎日散歩に連れ出したり何かと服飾品などを買い与えたりされるので、
たいていの人は先生のお気に入りになれたと錯覚してしまいがちであった。
ところが先生は新人が少し慣れてくると、
書斎の雑用に加えてかなり高度な仕事もさせようと望まれた。
先生はそれほど難しい仕事だとは考えておられなかったようである。
そのためにちょっと見が気に入ったというだけで雇おうとされた相手から
最初の新鮮な印象が色褪せたところで、先生はいつも幻滅を味わわされることになった。
そうなると小さなことまでがいちいち気になって、ついには癇癪玉が爆発する。
新しい秘書も先生の豹変ぶりに戸惑ってしどろもどろになり、
なおのこと御機嫌を逆なですることになってしまうのであった。

中央公論社が美人コンテストを主催し先生が首席審査員を務められたが、
先生の目にとまったのがその春高知県の高校を卒業して
上京してきたばかりで応募したというKさんであった。
コンテストでは入賞を逃したが、先生はKさんを秘書に採用することにされた。
先生はことのほか上機嫌で、
教え込むのも楽しみの一つになるからとウキウキしておっしゃった。
Kさんはすっきりと背が高く均整のとれた身体つきで、
色白のふっくらとした顔にはまだ少女の面影を残しているようであった。
Kさんは毎日の出勤が楽しくてたまらない、
先生はどんなワガママを言っても笑って喜んでいらっしゃる、
散歩について行って映画を観て、お茶を飲んでおいしいものを食べ、
おねだりすると何でも買っていただける、お小遣いも欲しいだけ下さるしいいお仕事です
と嬉しそうに瞳を輝かせていた。
ある朝Kさんが寝坊をして連絡なしに遅刻したので先生が注意されたところ
「たった10分ぐらいなのに、いやだァ、そんなに待ち遠しかったの?」と笑った。
先生は時刻についてまことに厳しい方であったから、その怒り方も想像できる。
ただ優しいお爺様だと慣れ親しんでいたKさんは、
初めての先生の剣幕にどんなにか驚いたであろう。
泣きながら下宿に帰った彼女は翌日からスネて出勤しなくなり、
それではと暇を出すことにされたところ、
クビになったと言っては故郷に帰れないと下宿に居座ってしまったということであった。
もともとは中央公論社の主催したコンテストから起こったことだからと、
先生は嶋中社長に助けを求められたらしい。

先生のもとには東京女子大の英文科を出たTさん〔田端晃〕という人が通い始めていた。
先生の友人で閣僚を経験された津島寿一氏の知り合いで、
スポーツ界の重鎮であった方のお嬢さんだということであった。
Tさんの手記には『原稿筆記のこと以外の仕事にはおよそ大まかで任せっきり、
それゆえ私の方でいろいろ工夫したり判断したりしてやって行くと、
それを喜ばれるという風でしたから大変私にはやりやすかったのでした』と書かれている。
先生とTさんの二人三脚は順調にスタートが切られたように見えた。
ところが書簡にはこんなことを書いておられる。
『今度雇った秘書婦人のことにつき、私も差し当り人がないから使っているだけで
別に気に入っているわけではありません。
1、2ヶ月内に機会を見て解雇し、書斎の整理をするだけの少女を一人雇うことにします』
「あの人はどうも大変な大食いでね。こないだなんぞは洋食を3人前食べちまったんですよ」
「そうなんですの。レストランでね、お好きなものを何でもどうぞって言いましたらね、
ヒレステーキとシチューとビーフカレーとね、すっかりね」
実はまみえて早々の時期から先生夫妻のウケはあまり良くなかったようである。

『こちらは今Tさんがまだ手伝っていてくれますから、
あなたの方はいったいいつ頃ならばお差支えないかお知らせ下さい。
お宿の方はTさんが今おられる下宿をお使いになるのが一番良いと思いますが、
その前にTさんも東京に落ち着く先を決めなければなりませんので、
それがだいたい決まりましたらお知らせ致します』という代筆の書簡が来た。
上の文に続いて『Tさんに代筆してもらっています』とあって、
Tさんはどんな気持ちでいるだろうかと思った。

『高血圧症の思い出』の第6回に先生は私の名を出しておられるが、
中央公論社の小滝穆氏はこれを<先生のラブレター>だと言われた。
「先生はかつて身近にいた人のことをあしざまに言われることが多いが、
いざ離れてみると惜しく思われてきて、もう一度来て欲しくなる。
その時は作品の中にその人を登場させるのが手なんだよ。
相手は感激してホイホイやって来るけど、またじきに飽きられてしまうんだ。
『高血圧症』はTさんの筆記でしょ。辞めさせるつもりでいる人を相手に、
お前さんは駄目だと言わんばかりのことを筆記させるんだもの、
残酷な親父さんだよ、まったく」

松子夫人は夕方私が退勤する時、毎日のように石段の下まで見送って
「主人が伊吹さんがよく話の相手になってくれて嬉しいって言いますのよ。
ほんとによろしくね」とおっしゃった。
どういうわけか先生の御機嫌がにわかに悪くなった。
あまりの唐突な変わりように私はただ驚いて
何がいけなかったのかを確かめることさえためらわれ、
ともかくおっしゃるとおりに動くより仕方がなかった。
小滝氏は書斎ですれ違いざまに、
「先生の御機嫌が悪いんでしょう?だいぶやられてますな」とおっしゃった。
私が「でもお手が痛むので無理もないのでしょう。奥様が大変心配して、
よろしく頼むといつもおっしゃいます。先生をイライラさせてしまっても、
奥様が何かととりなしてかばって下さるので・・・」と言いかけると、
小滝氏は「やっぱりわからないんだなあ。
それはあなた、あまり先生の役に立ちすぎて松子さんを怒らせてるってことなんだよ。
でもまあ、あなたにあんまり人の心の裏を読むことを教えちまっちゃマズイかな」と言って、
ノドの奥で、く、と笑い声を立てられた。
小滝氏の言葉を私は全く理解することができなかった。
はるか後になってもしかするとと推し測ってみたこともあったが、ここでは触れない。
「まあ、しょうがないさ。先生もしばらくは喜んで口授なさったろうけれど、
もうハネムーンは終わったんだよ」とおっしゃった。

『京都の女の声は表面優しそうに聞こえるけれども、
潤いがなくて素っ気なくて作り声のようなところがあり、
所謂カマトト声を出すので私は嫌いである』
その日先生は私がここを書き終わる瞬間、間髪を入れず
「はい、今のところを朗読してみて下さい」と妙に冷たい口調でおっしゃった。
ゆっくりと読んだ。読み終わると先生は「もう一度」とおっしゃった。もう一度読んだ。
いわば私自身の声をクソミソにけなされているのだが、
こういう言いつけにも一向たじろがずに応じるようなところが、
先生には許しがたい京都人特有のふてぶてしさだったのであろう。

先生はMさんという若い女性にも夢を託しておられるようであった。
武智鉄二氏のお弟子さんだというMさんが出入りするようになっていた。
誰彼なしにもっといい秘書はいないかと頼んでおられたので、
それならと武智氏がMさんを推薦されたのではなかったかと思う。
スラリと背が高く、浅黒い個性的な顔立ちが今も印象に残っている。
すでに武智氏の舞台にも出ていて、お稽古や舞台が重なれば
いつでもすぐ呼び寄せるというわけには行かず、
それではどちらにも中途半端でと言う松子夫人の心配をよそに、
先生はMさんが来ると必ずハイヤーを呼んでドライブに出かけられた。
Mさんは先生の隣に乗ると、すぐに形のいい手を先生の腿に置き、
降りる時までそうしていた。私にはとても考えられない風景であった。

ある午後、先生が口述の途中ふと席を立たれたことがあった。
文章は読点を打ったところで中途半端であったから手洗いかと思っていると、
仁王立ちで私を見おろし、いきなり「あなたね、もう明日から来ないでよござんす。
今すぐに東京へ帰って下さい」とおっしゃった。
もちろん原稿はマルまで来ていないままである。
「なあに、明日っから新しい人が来るんです。
今度のはあなたなんぞより、そりゃずっと優秀なんだって。
ああ、今度こそ、いーい人が見つかりました。もう大丈夫です。
もうあなたに手伝ってもらうことはなーんにもありません」と追い立てるようにされた。
さすがにいい気持ちではないままに荷物をまとめて帰京すると、
先生は嶋中社長に「もう、あれは寄こさないでほしい」と電話をしておられた。
社長は「また先生の気まぐれですなあ。
この忙しい最中に先生のワガママにいちいちつきあっていられますか。
まあ、4、5日待ってごらんなさい。きっと呼び出しの電話が来ますから。
え?御辞退いたしますですって?そんなこと言ったって、そりゃダメだ。
先生の相手ができるような変な人は他にいないもの」
2、3日のうちに先生から電話がかかってきた。
「もしもし、あのね、ちょっとね、消しゴムをね、丸善でね、
一つでよござんすから、買ってね、これからすぐにね、持ってきてくれませんか。
一つでいいんです、二つも三つもは要りません。
いやあ、熱海にも売ってはありますがね、
どうも丸善で買った方がよく消えるって、そう思うもんだから」
渋ってはみたけれども、社長からの口添えもあり、
致し方なく、また東海道線に乗ることになった。
書斎に着くと、先生はケロリとした表情ですぐ口述にかかられた。
こんなことが『瘋癲老人日記』の完結までに何度かあった。

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by vMUGIv | 2011-04-18 00:00 | 大正
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