直球感想文 本館

2017年 更新中
by vMUGIv
カテゴリ
江戸
明治
大正
昭和戦前
昭和戦後
その他
以前の記事

谷崎潤一郎 その16

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
谷崎の義理の孫 渡辺たをり

松子夫人の連れ子清治→松子夫人の妹渡辺重子の養子になる
→高折千萬子と結婚→渡辺千萬子→清治&千萬子の子たをり

祖母〔松子〕は谷崎と最初に出会った時、大阪船場の根津商店の御寮さんでした。
実家も商家で旧姓は森田松子、中姉ちゃんとよばれる二女です。
長女は朝子で大姉ちゃん、
三女の重子は大阪弁のイントネーションで重子ちゃんと呼ばれていました。
こいさんは末娘のことで、四女の信子が四姉妹の間ではこいさんということになります。

四姉妹の母親は早く亡くなったそうで母親の影響は下へ行くほど希薄で、
森田のおばあちゃん〔朝子〕は、昔風の船場の女性の教育方法で仕込まれた人ですが、
こいさんにはそういったところは見当たりません。
世間のことに通じていて自信にあふれています。
『細雪』のこいさんは自由で時代の先端をいく若々しい女性ですが、
実際のこいさんも4人の中では一番現代的です。
着物で生活する3人に対して、こいさんはずっと洋服。仕事を持っているのも彼女一人で、
ゴルフの練習場を経営する夫の<嶋川のおっちゃん>と一緒にいつも練習場にいて、
彼女自身のお客さんを持っていました。
おっちゃんが亡くなった今は、そのまま練習場を引き継いで一人で切り回しています。
小さい時に母親を失くし、身を寄せていた根津家の没落、姉の離婚と、
一番若い身でいろんなものを体験してきたこいさんは、
開放的な性格ではありましたが、若い頃から苦労人でした。
複雑な人間関係の中で父・清治の少年時代の面倒をみてくれたのもこいさんです。
父は今でもこいさんにだけは頭が上がりません。
私も小さい時、ずいぶん可愛がってもらった覚えがあります。

森田のおばあちゃんは母親が亡くなった時には比較的成長していましたし、
先に結婚していましたので根津家のゴタゴタにも
祖父と祖母との同棲にも巻き込まれずにいました。
普通に昔風の結婚をして家庭を切り盛りして子供を育て上げたおばあちゃんです。
身体が動かなくなるまで現役の主婦でしたから、
そういう意味ではこいさんとは逆の苦労人でもあります。

こいさんは松子が根津清太郎と結婚した時に、
重子とともに根津の家に住むようになりました。やがて根津商店は傾き始めます。
祖父と祖母がつきあい始めたのが早いか、
傾き始めたのが早いかというくらいのことだと思います。
有名な佐藤春夫との千代夫人譲渡事件はこの後のことで、昭和5年です。
これですぐ祖母と結婚したわけではなく、昭和6年に古川丁未子さんと結婚しています。
写真で見る限りは若々しくモダンな感じの、顔立ちは祖母と驚くほど似ています。
新夫婦は根津家の別荘に間借りしていたというのですから、わけがわからなくなります。
丁未子夫人とは2、3年で別居、その間に根津商店の方はどんどん傾いていました。
祖母との仲は公然の秘密となり、やがて同棲、祖母の離婚、祖父の離婚と続いて、
昭和10年祝言を挙げています。

重子ちゃんは祖母が祖父と同棲を始めた時、根津の家から姉について家を出て、
結婚はしましたがそのまんまずっと姉と離れませんでした。
彼女が渡辺明と結婚し父を養子にしましたので、
私は渡辺姓を名乗り戸籍上の祖母はこの人というわけです。
ウチでは、松子を<おっきいばぁば>重子を<ちっちゃいばぁば>
と呼ぶ習わしになっていました。
おっきいばあばは身体つきも大きく、顔立ち性格ともに派手で華やか、
ちっちゃいばあばは身体も一回り小さく、無口で地味といった感じでした。
が、実際に谷崎家の台所を指図していたのはこの人でしたし、
私たち家族のこまごました世話もよく焼いてくれました。
面倒なお宅にご挨拶に行かなきゃならないとか、買い物や支度が大変だという時になると、
母と私はどちらからともなく
「ちっちゃいばぁばなら、こういう時うまくやってくれるのに」と言い合うのです。
ちっちゃいばぁばは昔からお酒が好きで、晩年にはみんなが
ちっちゃいばぁばの身体を心配して飲み過ぎないように注意していたのですが、
万事が派手目の姉の陰で彼女なりに辛いことも多かったかもしれません。

潤一郎が丁未子夫人と別れて住んでいた頃、
まだ根津清太郎の妻であった松子と世間に隠れて密会を続けていた。
それを陰になり日なたになり世間からの幕となってかばっていたのが
松子の妹森田重子である。
谷崎と松子の関係を語る上で、この重子の存在を忘れるわけにはいかないだろう。
やがて松子と一緒に暮らすようになると、すぐ谷崎自身が重子を迎えに行って以来、
夫の渡辺明が短命だったこともあって、谷崎は重子をそばに置いて大切にしていた。
私の記憶の中でも松子と重子は常にひとかたまりで、
重子が他界するまでコンビは崩れることはなかった。
それくらい重子という人は、谷崎家の生活に入り込んでいた人である。

私は谷崎は実際に重子と結婚する気があったのではないかと思う。
一人の女を愛した男が何らかの事情で彼女を手に入れられない場合、
彼女と血の繋がりのある女を代用にするというのは、
谷崎が終始追い求めたパターンである。
松子が谷崎の作品群を照らす太陽だとすれば、
重子は太陽の光なしでは輝かないけれども、
時には太陽の明るさよりも印象的で静かな光を放つ月にあたるのかもしれない。

谷崎は松子と一般的な夫婦の関係になることを拒否して、そのための努力は怠らず、
妻である松子と重子・清治・恵美子という人たちとの生活に細心の注意を払っていた。
谷崎が組み立てた生活を崩したものは、他ならない彼自身の病気だったのだろうと思う。
谷崎の健康が思わしくなくなり、もはや<御寮人様・順市>の真似はできなくなっている。
私の知っている祖父はすでに祖母の管理下にいて、
食事のたびに何か言われていたし、月並みな夫婦喧嘩も展開していた。

娘が言うのもおかしなものだけれど、母は気が強く人と議論して筋を通すのが好きな人間だから、
今から20年も若い時分には後先も考えずにずいぶん言いたい事を言ったに違いない。
大学を出たての気の強い嫁に理詰めに物を言われて反論できなかったお祖母ちゃんの姿や、
生意気な事を言う嫁がちょっと嬉しくもあるお祖父ちゃんの気持ちがわかって、
孫としては楽しいことである。
谷崎は千萬子の性格や美点をある程度捉えていたと言えるだろう。
千萬子にとって幸運なことに、それは彼の好みでもあった。
あるいは好みに近く、それに即して谷崎の内部で美化が始まっていたという風に言えるかもしれない。
それはやがて『瘋癲老人日記』の颯子として人格を持って登場するのだろうと思う。

母は「私はあなたにお祖父ちゃんが有名な作家だとか
世間の評価とかを意識して知らせなかった」ともらしたことがある。
私にとってお祖父ちゃんはお祖父ちゃんでしかなく、馬になって背中に私を乗せて部屋の中をグルグル回ったり、クイズごっこのようなこともよく相手をしてくれたりした。
私の父やその妹恵美子叔母などは松子の連れ子として子供なりに気を遣ったらしく、
計算もなく単純にお祖父ちゃんと甘えた子供は谷崎にとって私が初めてだったのではあるまいか。
それが彼にはうれしかったのだろう。家の中でもワンマンで気に入らないことがあると大声で怒鳴るような短気な人だったが、私だけは別で、ちょっと何かしても「だあれです!?」と冗談めかして言うだけだったし、
家の者には入らせなかった書斎へも、私は遊びに入っても叱られはしなかった。
小さい子供が可愛いという感情は谷崎自身にも驚きだったらしく、
『いくらか老耄のせいかも知れないが』といささか戸惑いを見せている。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
[PR]
by vMUGIv | 2011-04-16 00:00 | 大正
<< 谷崎潤一郎 その17 谷崎潤一郎 その15 >>


お気に入りブログ
検索
記事ランキング
その他のジャンル