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by vMUGIv
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谷崎潤一郎 その17

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秘書 高木治江/旧姓 江田治江

大阪府女子専門学校の1年先輩の武市遊亀子から手紙を受け取ったのは
昭和3年12月中頃で、当時武市は『卍』の大阪弁の助手として谷崎家に起居していた。
『谷崎先生が大阪のお嬢様方に夕食を差し上げたいとおっしゃっていますので、
貴女を含めて5人のお友達を誘って25日5時頃に先生のところへ来て下さい』
私は驚いた。狼狽した。誰と誰を誘っていいかわからない。
と言うのは谷崎潤一郎は一種のエロティックな作家という評判で、
うっかり誘って学校内に知れ渡ると生徒課からにらまれる恐れがあった。
武市の同クラスの隅野滋子が大朝の社会部で婦人記者として活躍している上に、
谷崎先生の所に出入りしているので電話してみた。
「心配するほどのことないよ。
先生は若いお嬢様方にお酒をすすめて賑やかな雰囲気がお好きなのよ。
テマコでも引っぱって行ったらどう? お酒飲まされる覚悟だけはしてね」
本名古川丁未子、先輩の間ではテマコ、後輩の間ではチョマさんと呼ばれていた。
彼女は英文科の1年先輩であったが健康を害して郷里の鳥取へ帰り、
1年静養して私のクラスに入って来たから両棲動物と言われていた。
入学当時、あの方地方から出て来たらしいが顔立ちの整った美しい方ね
という噂がたちまち学校中に広がった。
おさげ髪を首の辺に束ね、絣の長袖にグリーンの袴、
白い鼻緒の麻裏草履が有名になる一要素でもあった。
ところが最初の夏休みが済むと第一級のモダンガールに変身して現れた
という話は伝説のように聞かされていたが、
病癒えて現れた時は普通の女子学生で美人の病み上がりは痛々しかった。
しかし華奢な身体に似ず、どこか芯の強いものは感じ取れる人である。
私は寄宿舎にいるチョマさんに相談した。
「嬉しい、私行きたいわ。谷崎先生を見られるだけでも素敵だのに、
その上御馳走がいただけるなんて。行かせてよね、頼む、頼む」
「そいでも、大阪のお嬢さんと注文あったんよ」
「田舎者と言いたいんでしょう、わかってるわ。でも大丈夫よ、私4年も大阪にいるし」
「そいでも、あんたの大阪弁おかしいよ」
「そんな悲しい意地悪言わないでちょうだい」
「それそれ、そんな時、そんなきついイケズ言わんといてと言うのよ」
あとは2人しか誘わず、結局4人で出かけた。

翌年の1月25日、谷崎先生から手紙を受け取った。
『まだ学校は続いていると思いますが当方より通うこととし、
5日ほど泊まり込みで大阪弁のお手伝いをしてもらいたいのでおいでを乞う』
一体どうなったのだろう、岡山生まれの武市では不十分な所があるので、
大阪生まれで大阪育ちの私をもう一人加えるのだろうか。
「先生、武市さんはどうされたのですか?」
「君には連絡なかったかね。彼女は結婚して新婚旅行中だと思う。学校はいつまでかね?」
「2月いっぱいで、3月には卒業式のための登校があるはずです」
「それでは2月3月とここから学校へ通ってもらって、
それから『卍』が済むまで住み込んでもらいたい」

その時、女中が夕食を知らせに来た。
すでに千代夫人と鮎子さんと先生の妹の末子さんが卓について待っていた。
お膳の上にはおかずが大きな皿に盛り上げられていたが、
大阪風ではおかずはめいめい別々によそい分けられているのが普通だから勝手が違う。
給仕は女中にさせず、御飯とお汁のおかわりにはまめまめしく手を差し出して
千代夫人が手際良くさばき、なおかつ自分自身も間を縫ってうまく済ませるのには驚いた。

3月の中頃からいよいよ住み込むことになった。
千代夫人は元芸者であったとか何かで読んだことがあるが、
少しも玄人のようなところはなく、早寝早起きだし、酒・煙草は嗜まないし、
時々手習いをしたり万葉集を読んでいる姿を見かける。
至極面倒見の良い人で、先生の弟妹は実母同様に心を割って甘えている。
言いたいことをパッパッと言うのに、どうしてか警戒心を抱かせない。
何を話しても聞いてもらえて、失敗もうまく冗談に流してもらえるという信頼感がある。
鮎子さんは宝塚小林の聖心女子学院の中等科に通っている。
色白なのでひ弱そうに見えるが、学校は精勤である。
頭の切れる所が時々言葉に出るが、性格が素直だから爆笑の震源地になり楽しく消える。
先生の妹の末子さんは顔貌が先生似で、一度嫁したが一人の子供を先方に置いて
帰っていてまだ話がついている訳ではないと聞いた。
千代夫人を実の姉のように思い何もかも相談していて、
先生の方には義兄のように遠慮しいしいオロオロしている様子が見えた。
先生の末弟の終平さんは下宿をして京都の学校へ通っているのが、
土曜と日曜には帰ってくる。この人は顔が面長で先生とは似ても似つかず、
むしろ千代夫人に似ていてまったく母親のように甘えている。

千代夫人の妹せい子さんは、当時神戸のマンションに住んでいた。
時々遊びにやってくるが、
二人の仲は世の姉妹関係と少しも変わらないように見受けられた。
『痴人の愛』のモデルだと聞いているか、
今は何事もなかったかのように二人の間は至極和やかな状態である。
千代夫人はひさし髪の束髪、歌麿描く面長、肌美しき古風な女性であるが、
足だけは先生の気に入らなかった荒れ性で年中木型のような白足袋を履き、
ひび割れた踵にクリームを丹念になすり込んでいる。
せい子さんはその化粧ぶりは浅丘ルリ子式で当時としては誠に目新しく、
肢体は引き締まり長く美しくのびのびとしていた。
顔はエキゾチックで妖気を含んでいるように見えた。
前田則隆という男優と結婚していて、輝くほどの二枚目だが
<色男金と力はなかりけり>な夫抱えて苦労をしているということである。
せい子さんはパッタリ来なくなり、
そのうちに東京外大仏文科出身の和嶋彬夫氏と結婚したということが伝わってきた。
せい子さんは遊ぶ時は羽目をはずして思い切ったことをやるが、
一度この人と決めれば外聞など頓着なしに
尽くし型世話女房に変貌する二面をはっきりと持っている。
だから和嶋さんがこの娼婦型と母婦型を理解すれば
一生倦怠期のない相手として続くだろうと私は祝福した。

横浜から見るからにエロ漢という一言で尽きる風貌の、50がらみの貿易商人がやってきた。
どうも先生好みの女を探し出してきては紹介する心面白からぬ人のようである。
「先生にピタリのが見当たりましたよ」
「あなたは女中専門でいて、よくまあマメマメしく探せるわねえ」
「久しく御無沙汰していましたが、先生近頃この方はどうかね?」
とニヤニヤしながら小指を差し出して、夫人にぬけぬけと聞く。
「書斎に行って聞いといでよ。ここは女子供の部屋だから、ちったあ遠慮してほしいね」
千代夫人は妹のせい子さんに対しても後に現れる数人の女性に対しても
心に棲む嫉妬や猜疑は微塵も外に出さず、
悟ったというのか諦めたというのか至極淡白なそぶりではしたない言動は露ほどもない。
同居の私でさえ夫妻の間でくすぶっていることには気づかなかったぐらいだから、
時々現れる客人に勘づかれるはずはない。

7月に入って、根津家からの招待で先生と千代夫人は出かけて行った。
「根津夫人は客を招待する朝は自分で買い出しに行き自分で料理して、
時間までは普段着のままマメマメしく働き時間にはサッとあでやかに装い、
まったく船場のご寮人さんの格式を備えて客人の饗応ぶりが素晴らしい。
女はあれでなくっちゃ駄目だ」と先生は帰るなり、私どもの前でしきりに誉め立てた。
根津清太郎氏は資産数百万と言われる300年も続いた船場木綿問屋の若旦那で
夙川に本邸を構え芸能人のスポンサーになることが好きで
立派な衣装を贈ったり本邸に招いたりしてずいぶんな銭をつぎ込むが、
妻の松子夫人も藤永田造船所の森田専務の四人娘の二女に当たり、
近代的な美貌と艶麗な容姿とで評判の女性である。
この夫人も文壇の有名人との交際が好きで、
三女の中はんと末娘のこいさんが根津家に同居していて贅を尽くしている。
松子夫人は先年芥川龍之介に紹介してほしいということで料亭に行った時、
すでに芥川氏と谷崎先生が盃を交わしている席へ現れた。
一目見るなり先生の琴線に触れたが、肝心の芥川氏は東京と距離もあるし、無関心のまま
別れ別れとなり、心に残る先生好みの関西女性として交際が始まったと聞いている。

これから谷崎家と根津家の家族ぐるみの交際が始まる。
根津家は必ず三姉妹、時々女中が付いて恵美子嬢ちゃんが連れられてくるが、
中はんによくなつき、中はんも母親代りの面倒をよくみている。
そうこうするうちに山村わか師匠を地唄舞の先生として迎えることに成功し、
三姉妹と鮎子さんたちの舞の稽古が始まった。
真夏だというのに三姉妹は熱心に通ってくる。
そのたびの身なりは女中たちをやんやと騒がせた。
三人三様の個性的な装いがあるかと思えば、色違いだけで三人おそろいの時がある。
たたきに並べられた履物を見ているだけでも目を楽しませてくれた。
週1回の来訪ごとに二度同じ物を見たことはなく、
泥一つついていない栄耀ぶりにただただ気羨がるばかりである。
「今日もまたきれいなべべ着てはりますなあ、それに履物もよう似合うて」と女中が言えば、
千代夫人も「半衿だって20円以下のは使わないんだって。
気をつけててごらん、刺繍で盛り上がっているから」
「衿元が盛り上がってるから首がほん華奢に見えて、
なんやしらんけど愛おしい気がしますなあ。
もうちょっと色が白かったら言うことないのやけど」
先生は顔をほころばせっぱなしで、まったく付きっきりである。

チョマさんは東京で働きたいと言い出し、先生に頼んでほしいと食い下がってきた。
絶対に紹介状を書かない先生を知っていたから積極的に切り出せないでいる私に、
手紙を託して「これを先生に見せて一生懸命頼んでほしい」と泣いて私を説得した。
先生は菊地寛氏に入念な依頼状を出されたのだから、
すでにこの頃からチョマさんに憎からぬ感情を抱いていたことは確かだが、
まさか将来彼女の悲運がついて来ていたとは思わず、二人は抱き合って喜んでだ。
直ちにOKの返事があり、
彼女は文芸春秋社から出ている『婦人サロン』の見習記者として採用されることになった。

松子夫人の方はと言えば、夫がこいさんと関係があるとか、現場を見たとか見ないとか、
事に寄せては先生を訪ねて来た。足も繁くなるにつれて先生は松子夫人に好意を持ち、
一家を挙げて丁重に扱うように仕向ける。千代夫人は危険信号と、
立派なお店の亭主持ちであるという安堵の交錯したものを秘かに感じていた。

先生の周辺には女性の出入りが複雑になってきて、
千代夫人に指も触れない夫婦仲がいよいよ怪しい雲行きになりかけてきているのを
勘づいている時、佐藤春夫氏の訪問があった。
しばらく経って私が岡本へ行ってみると、佐藤氏・千代夫人の実家の兄という人が来ていて
なんとなく家中に冷たい空気が漂っている。
鮎子さんもいつものように楽しくは話さない。女中たちも素知らぬ顔をしている。
先生は千代夫人と離婚して、夫人は佐藤氏と結婚するという。
私のいない1ヶ月ほどの間に急転直下、話はトントン拍子に進んだらしい。
「すでに君の耳には入っていると思うが、近々千代と別れることになった。
公表する時が来るまで女中たちにも知らせていない。
必ず内緒にしておいてもらいたい」と釘を刺された。
私はこれほどの大革命が家人の誰にも知れずに行われていることの不思議さに驚いた。
それなら家人は何も知らずに、珍客や千代夫人の泣き腫らした目などから、
ただならぬ気配を感じて皆があんなによそよそしい態度を取っていたのだろうか。
それから各新聞に声明書を発表されたのである。
私の方まで記者が続々と押しかけて来るので、居留守を使って蟄居していた。

主婦のいない家庭の寂寥はまったく通夜のようなしんみりさで、
先生は手持ち無沙汰で所在なさそうだし、女中は腫れ物を触るようにしているし、
私は命ぜられた書物の整理に余念がない。
これを最後に私は岡本へ行かなくなった。

谷崎家ではチョマさんは物の数ではなかったから、
千代夫人や鮎子さんが話題にするほどのことは何もなかった。
顔が可愛く四肢が美しいというだけで、ナリは田舎者であり、料理はわからない、
芸事は何も知らない、歌舞伎や文楽はまだ見たことがないとなると、
谷崎家にとって危険人物ではなかった。



家族ぐるみで谷崎家とつきあいのあった妹尾健太郎の妻君子と治江の会話。
君子夫人は花柳界出身だった。

「実は先生こないだ上京して古川はんに思いのたけを話しはったんですわ。
そやけどワテは先生にハッキリ、あかん、やめときなはれ、
先生はインテリ婦人が一番お嫌いでっしゃろ、珍しいのは当座だけでっせ、
料理はでけへんわ、他のことかて何一つ知らんわ、そんな人と長続きするはずあれへん、
きっと飽いてきやはりまっせ言うてコンコンと止めましてんがな。
それに聞きはれしませんねん。熱あげてはる真最中やさかいなあ。
主人は、言い出したら聞かんお方やよって思う通りやってみやはって
はよ卒業しやはるこっちゃと言いますねんけど、
そやったら古川はんが泣き見ること間違いなしでっしゃろ。」
「私は彼女の賢明さが善処してゆけると信じますわ」
「その賢明さいうやつが先生には一番鬼門でんねんがな。
そやから言うて、黙ってついて行くだけの女子はんも都合悪いねんわ。
先生にはそのへんの加減が底知れん難しさがおまんねん。
ここでせんど考えはらんと、子羊みたいな人の一生がワヤクチャになったら気の毒思てな。
こんな時止めたげるのが友情ですがな。
あんたあんだけ先生のそばに居はって気つかんねんなあ。
前の奥さんで気に入りまへんねんで。あんなよう出来たお方でだっせ。
あの奥さんで気に入らんほど先生の目肥えてますねんで」
「先生は千代夫人のように純粋の日本式ではなく、
家庭にバタ臭いもんが欲しなったんですわ。
ナオミを好みの女性に育てようとした時のように、
根と努力と寛大さで先生好みの愛妻に仕上げはりますよ」
「何を言うてなはんねん。ナオミは子供だっせ。素直な奔放さがありますわな。
無邪気と言おうか天衣無縫と言おうか、その無軌道ぶりが気に入ってますねんで。
古川はんはじきに26だっしゃろ。それに専門学校も出てはる人や、
あんな素直さがおますかいな。もう個性が固まってますわ。
それに先生は50だっせ。根と努力と寛大やなんて、綺麗事で済ませる年と違いますがな。
女性遍歴では海千山千の先生が、
あんなおぼこはんのとろ臭い閨捌きで辛抱しやはると思いまっか。
あんたらなあ、英語の学校出やはったさかいアメリカ人とはペラペラや、
ワテらチンプンカンプンですわなあ。
あんたらが勉強してはる間ワテは男はんの扱いに苦労してましてん、
その代りあんたらはその道は皆目やわなあ。
そのワテが先行き読んであかんとにらんだのに狂いはおまっかいな」
この縁談に賛成するのは人生経験皆無といった私だけで、
多方の大人たちは全部不賛成である。
年齢からくるセックスのズレや性格の不一致が現れ出した時の先生の辛抱加減、
好みのあくの強さ、例えば自分好みでない時は
どんなに努力しても認められずに惜しげもなく退けてしまう非常識さ。
あれだけ頭の冴えた人で、女性観察の豊富な人で、
全然念頭になかったのだからなんとも話にならない。

「いつの間にそんなに上手に着物を着られるようになったの?」
「潤一郎が着せてくれるのよ。そりゃ可愛がってくれるのよ。
私を毎晩お風呂に入れて足の先まで洗ってくれたり、
あなたにはまだわからないと思うけど、潤一郎はねえ、私の身体がいいって有頂天なの」
人ってわからないものだと思った。あんなにも要塞堅固だと信じ切っていた彼女が
ぬけぬけとこんなことがしゃべれるなんて、私だからいいようなものの
他人様にどう取られるかわからないのにと不安になってきた。

4月24日ごく内輪の祝言が行われた。
翌日仲人の岡さんから呼び出しの電話があり、幸先を曇らすような報告があった。
父君を岡本の駅まで送って行く時、
先生とチョマさんは10代の新婚夫婦のようなはしゃぎ方で前を歩いて、
父君は岡さんとその後ろについて歩きながら
「岡さん、この度は段々とお世話になりましたが、
私にはどうしてもめでたいと思えないのです。
昔から釣り合わぬは不縁のもとと言いますが、
何ひとつ釣り合う点を見つけることができないのです。
年齢といい、環境といい、
娘のような田舎育ちのどこを気に入って下さったのかまったく解せないのです。
私は祝言の間中、熱病だ、どうせ捨てられるだろうが
どうか惨めな捨て方だけはしないで下さいと祈り続けていました」

税務署からの督促状がたまっていて、この家の買い手もつかず、
前々から東大時代の友人に税務署の偉いさんがあって、
その人に頼んで延ばせるだけ延ばしてもらっていたので
差し押さえを待つより仕方のないところまで追い込められていた。
「実はね、この家、差し押さえにあってるのよ。当分女中も使えないのよ」
「私がいた頃は位人臣を極めていると言うほどの贅沢ぶりだったのに、
あなたが来てから女中も使えないなんてかわいそうね。
先生は料理はとてもうるさくて難しいんだけど、あなたどうする?」
「君にはそんな苦労はかけない、料理なんか女中にさせればいい、
僕のそばにいてくれるだけでいいんだよ、と潤一郎が言うから大丈夫よ」

この日は悪い日に当たったもので、
先生の不機嫌は最高で彼女の料理に対して雷の落ちた日であった。
「初めのうちは芯のある御飯で、その後はビチャビチャの御飯なのよ。
とうとう潤一郎は腹を立てて外食にしたの」
「あのおいしいもん食べたがり屋の先生が、それでよう辛抱してはるねえ」
「だって、食事の気苦労はさせない、
そんなことは女中にさせればいいという約束なんだもの。
それが女中を頼めないのだもの、外食で我慢するより仕方ないじゃないの」
「飯どころか、風呂だって常時水風呂じゃないか。湯加減ぐらい考えてほしいね。
それにね、片意地なところがあるんだよ。もっと素直だと思ったんだが」

「おいおい、茶がほしいんだが」
岡本時代は、お茶を欲するために人を呼ぶようなことはなかった。
今にして先生は千代夫人の行き届いた妻の所作が思い出されて、
神にも玩具にも娼婦にもなりきれず、
なまじ良妻たらんと焦っているチョマさんに失望しているのではなかろうか。
想像は悪く悪く広がる。チョマさんにしてみれば女中がいないのだから、
ちったァ不自由させた方がいいと思っているが、
先生にしてみれば良妻の部分は辛抱したことがないから、ただ驚きあるのみ。

「先生はなにか御用で大阪へ?」
「根津さんの家がうまくいかなくってね。
松子さんが悲しい悲しい手紙をたびたび寄こすものだから、
私が一度会って聞いてあげてちょうだいと勧めたのよ」
「あなた相変わらずコスモポリタンなんだなあ。
あの松子さんという方ね、ああいう人だし、大丈夫なの?」
「大丈夫よ、私、谷崎を信じているもの。今度の大阪行きも、
そろそろうまいもの恋しい虫が頭をもたげ出したのよ。松子さんの相談相手なんて口実よ」
私はすでに悪い予感がした。
チョマさんよりは私の方が、先生の性質も松子夫人の性質もよく知っている。

11月に入って日常生活がもう堪えられなくなった先生は、
根津家の離れ座敷に住まわせてもらうことにし、風呂、食事の苦労からチョマさんを解放し、
これで女神のごとく彼女に仕えられると一安心した。チョマさんも小躍りして喜んだ。
が、この離れを借りる約束が、松子夫人といつどこで交わされたのか。
チョマさんは例の調子でなんの疑いもなくすんなりと居を移し、
嬉し涙をたたえて松子夫人への感謝の気持ちを伝えた。

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by vMUGIv | 2011-04-17 00:00 | 大正
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