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by vMUGIv
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岡本かの子 その8

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息子 岡本太郎

実際に世間の母親のしてくれるようなこまごましたことは何ひとつしなかった。
できなかったのだ。

私には豊子・健二郎という弟妹があった。いずれも二歳ぐらいで死んでしまった。
よく赤ん坊は戸を閉めっぱなしにした暗い奥の部屋に寝かされていた。
なにか用があって隣の茶の間から入って行った母が、
不用意に赤ん坊に蹴つまづいては「アラ、大変!またやってしまった」と自分で呆れていた。
まったく世の母の風上にも置けない母親だった。
若い頃の父親は子供にはひどく無関心だったし、
母は家事・育児には恐るべきほど疎かった。

母はいつも私に背を向けて、一日中机に向かって書きものをしていた。
私がまったく応えてくれないのにたまらなくなって背に飛びついて行くと、
うるさがって私を柱やタンスに兵児帯で縛りつけてしまう。
泣いても暴れても振り向きもしない。
私は裸で本当に犬の子のように、四つんばいになって母の背中を悲しく眺めていた。
極端に言えば、野良犬のように放り出されたまま勝手に大きくなったのだ。

束ねもしない黒髪が背中に垂れて、時々のぞく痩せた真っ青な顔。
大きく見開かれた黒い目が、キッと前方を見つめている。
近所の腕白どもが「お前のお母さんはユーレーだ、ユーレーだ」と囃し立てたが、
本当にそう言われるのがピッタリの鬼気迫る姿だった。

たまには風邪などを引いて寝込むことがあった。母は看病など決して得手ではない。
三、四日床についていてもその間母は顔も見せなかった。治ってからあんまりだとなじると
「だって、病気してる太郎なんて汚くって嫌だから」と母はあっさり言った。

母の親戚から「かの子さんの手にかかって、ほんとに太郎さんはよく無事に育った」
と言われるぐらい、放置されたまま生い育ったのである。
こんな教育を受けて育ったから、私は世の中に生きて行くのにはまことに不自由な性格だ。
小学校に入った年に、一年間で四つ学校を替えた。
母も困り果て、とうとう小学校はずっと寄宿舎に入れられた。

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息子 岡本太郎

よく婦人雑誌から「ご自慢のお料理は?」などと尋ねられ写真を撮りに来たりする。
すると滑稽だ。彼女は髪をきれいに結い、念入りにお化粧して晴れ着に着かえる。
その上に真新しい割烹着をつけてフライパンを左手に構え、長い菜箸を片手に
キュッと右上を睨んだりしておよそ料理を作っているらしくない写真を撮らせる。
それが麗々しく婦人雑誌の口絵になったりするので私など吹き出してしまったものだ。
実際は当時我が家の一切を切り盛りしていた恒松安夫が台所もほとんど受け持っていた。
だから私の思い出にあるのは母の味ではなく、
剣道三段の独身男の手料理の味なのである。

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世界一周旅行に出発する 一平 かの子 太郎
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by vMUGIv | 2012-06-08 00:00 | 大正
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