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by vMUGIv
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澁澤龍彦 その2

●長男 龍雄  澁澤龍彦
●長女 幸子  津田塾大学英文科卒 編集者
●二女 道子  東京大学仏文科卒 詩人 画家矢野眞と結婚
●三女 万知子 東京外語大学イタリア語科卒 商社マン坂斉氏と結婚


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澁澤の母 澁澤節子

Q 結婚されたのは、誰かからお話が?
A 私は東京でしょう。兄の顧問弁護士が埼玉県の人だったの。
もう22になると昔は急ぐでしょう。それでその人に兄がちょっと言ったらしいのね。
「それじゃいい人がいる」というわけで。主人は33でしたよ。

Q だいぶお年が違いますね。
A ええ、11違うんです。向こうの母がとても心配して
写真をいくら持って行っても「だめ、だめ」とやっていて、
私のを持って行ったら「いい」と言ったって。私は嫌でしたよ、田舎へ行くの。
父が「田舎と言ったって埼玉ならそんなに遠くなることないし」と言って。

Q でも川越って由緒ある立派な町でしょう。
A 今はとても流行っちゃっていますけれども。でもつまんなかったんですよ、本当に。
東京から行ったんだから。

Q たとえば芝居なんかによく行ってらした?
A ええ、お芝居なんて母が好きだから、
毎月毎月あっちへ行ったりこっちへ行ったり、大変。
主人も好き。ものすごく歌舞伎が好きなの。
主人はお金が無ければ立ち見でもいいからというほど芝居が好きだった。
だから母が喜んじゃって一緒に行きました。

Q 澁澤君が書いている文章によると、お父様というのは堅い方で、
お勤め人で、銀行の役員、東大法学部卒という方なんですけれども、
生活人としてはわりあいに多趣味人というか、自由人でいらしたと。
A 競馬は好きだし、それから花札。カメラは現像・焼き付けまで家でやる。
そして山登り。日曜日というとお父さんがみんな子供を連れて
ゾロゾロゾロゾロとこかへ遊びに。それで銀行の帰りには
子供たちにおみやげを買って帰ってくるという、なにしろいいパパ。
それは亡くなるまでそうでした。

Q そうすると彼は長男だけれども、お父さんと喧嘩したりということは?
A あんまりしないです。でも仕事は反対だったわけよ。
銀行ならいくらでも世話してやるのに、
文士なんて髪の毛を長くして汚らしい格好して嫌だ、と言って。
お兄ちゃんお兄ちゃんで何かやっても結局女の子にやらせちゃったりするから、
別に大事にしてこうなったわけじゃないんだけれども、何もできないでしょ、家のことは。
だから、お嫁さんはかわいそう。

Q 二十代の頃、僕は小町のお宅によく伺ったんです。
下が3部屋、上が大きい十畳ぐらいの1部屋で。
彼がいつもそこに頑張っていて、威勢のいい論客が夜も昼も議論ばっかりしてたでしょう。
お父さんもお母さんもとても寛容で、
僕ら泊まり込んだりしてずいぶん乱脈を重ねたと思いますよ。
お酒もガンガン飲みましたしね。下には生活があったわけでしょう、妹さんたちとか。
どう思われていたんですか、あの頃。
A しょうがないと思っていましたね。でも皆さんのようないい友達をたくさん持って。

Q 友達がいっぱいできましたものね、彼は、
A しあわせでした。だから、短かったけれども楽しかったろうと思います。


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澁澤の妹 澁澤幸子

兄貴が慈恵医大に一年間入院していた時のことです。
母はあそこへ見舞いに行くぐらいのことはできる体力はあったし、
死ぬまで頭もボケていませんでしたが、
兄貴が来てほしくないと言ったので一度しか行きませんでした。
そういう意味で母は理性的で、非常にクールな母親でした。
感情的にカーッとならないし、話せばわかるというものすごく便利な親でしたしね。
だから私は、テレビのドラマやなにかで
母親がすぐキャンキャン泣いたり怒鳴ったりするのを見たり、
よそのお母さんのそういう態度を見るとビックリしましたもの。

父はいたずらとかきかないことをすれば怒られたけれども、そうね、あんまり。
お母さんがお父さんが死んでから言ったのは
「あの人は学者になって大学教授でもずっとやってれば一番向いてた人ね」とか言ってた。
そういうタイプだった。凝り性だし、人づきあいでも如才ないとかいう所がないのね。
明るい人ではありましたけど。遊ぶのがやたら好きで、
お兄ちゃんよりもっと全然スポーツ派でしたから、泳ぎもうまいし、登山もやった。
あの時代にドイツ製のカメラで写真をいっぱい撮って
コンクールに出して何位になったとか、登山も本格的にやってたし。

日曜日というと、お父さんとお母さんと子供とみんなで出かけるとか、
すごくいい家でしたよ、いま思うと。
日劇の地下でディズニーの漫画とニュースをやっていたんですよね。
それを見に行って、銀座でごはん食べて帰ってくるというのをしょっちゅうやってた。
夜なんか晩ごはんが済んでから家中で上野の不忍池の方まで散歩に行くの。
それで精養軒でアイスクリームを食べる。
あそこで植木市を昔からやってたんですよ。植木市で何か買って。
その頃は道子なんかまだ小さいから、お父さんがおんぶしたら寝ちゃったりしてね。

家の雰囲気は明るくて本当に健全な家庭で。
お父さんとお母さんと子供たちが一緒にいろいろ遊びに行ったり、何でも家中でやったり。
「ニューファミリー」という言葉が流行ったでしょ。
あの時「なんだ、ウチはニューファミリーのはしりだ」と思ったの。
だからお兄ちゃんは全然明るい。
お父さんは死ぬまでお母さんのことを「きみ」と言ってたのよね。
あの世代では非常に珍しいんだってね。みんな笑ったの。


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澁澤の妹 澁澤幸子

とにかくあの人は人にやらせるの。
どこへ行くのも何をするのも龍子さんと一緒でしょう。
東京へ行くのからヨーロッパに行くのから、全部。
そうすると「本当に仲のいい御夫婦で」というふうに思うでしょう。
仲がいいのは本当だけれども、澄子さん時代もそうなんですよね。
ちょっと鎌倉へ行くのも何も、全部一緒。
その前は妹をそういうふうに使っていたの(笑) そういう生き方の人なの。

妹依存症というか、女房依存症というか、全部そうなんです。パターンなの。
奥さんと奥さんの端境期があったでしょう。
端境期の時に家のコンセントが壊れたんですよ。
それで電気屋を呼ぶとか、母親と兄がゴチャゴチャやってる。
「こんなの簡単じゃない」とか言って私が直しちゃったら、
「お前そんなことできるのか」ってほんとにびっくりしてましたよ(笑) 
その辺は異常でしたね。

とにかく龍子さんになるまで何もできませんでしたね。
例えば澄子さんとお母さんがちょっといなかったりすると、
ノドが乾いてもお茶も飲めないのね。
お腹が空いても、冷蔵庫を開けるという知恵が回らないの(笑)
だからたまたま二人が出かけていないと「ああ、腹空いた」とか言ってるんだって。
冷蔵庫を開ければ食べるものがいっぱい入っていても、
それを出して食べるという知恵が回らない。
ノドが乾いても、お湯を沸かして飲むとかお茶を入れるという知恵が回らない。
朝トーストを食べる時も、バターを塗ってあげる。お紅茶をいれるのは当たり前よ。
何でもかんでもしてあげる。ところが龍子さんになって鎌暮に行ったら、
お兄ちゃんがフライパンで銀杏か何かこうやって炒ってるの。私、びっくりした(笑)
それから寝る時も、自分でお盆を取ってウイスキーと水と氷とコップを載せて
寝床の方に寝酒を運んで行くのを見て、びっくり仰天。
それだけのこともやらなかったんだから。やればできるのよ(笑)

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左から 龍彦 幸子 道子
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左から 道子 万知子
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幸子
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万知子
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by vMUGIv | 2011-07-02 00:00 | 昭和戦後
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