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岡本かの子 その7

一平が描いたかの子
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息子 岡本太郎

若い日の父は色白で痩せぎすのやや癇の強い美貌だった。
後に人を包み込むような円満相の丸顔になったのは、
かの子という煉獄を抱え込んでの修行の賜物だったかもしれない。

母の死後一年あまりして私は帰国したが、
再会した父はひどく年を取り無精ったらしいオヤジになっていた。
疎開先の岐阜でまことにあっけなく急逝したが、
晩年は乞食のようななりをしてその身を飄々と風にまかせているようだった。
死ぬまでかの子のことを観音様と言っていたが、
つまりは生ける屍のように虚しかったのに違いない。

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かの子の死後あとを追うのではないかと周囲を心配させるほどだった一平は、
1年後かの子の兄晶川の遺児鈴子に求婚する。
一平は28年前かの子にしたように大貫家へ鈴子をもらいに行った。
一平の行動は大貫家の人々には正気の沙汰とは思えなかった。
27歳の鈴子が独身なのは家柄と美貌とに釣り合う相手を探しているからであり、
53歳の叔父からの求婚など即座に一蹴された。

ちなみに鈴子は地唄の米川文子に師事し、名取となり大貫文加寿の名をもらっている。


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一平から太郎への手紙 昭和14年10月11日

僕はとても元気だ。いろいろの企てを始めている。
お母さんの実家にいる姪〔鈴子〕を当人の才能に在りそうなので、
地唄という芸事を習わせにかかっている。お母さんはこの亡兄の遺児のことをしきりに
気にしていたし、芸事はお母さん大好きであったし、
姪御がその道で立って行くつもりなら大いにやらせるつもりだ。その他まだある。
そのうち知らせる。なにしろ往年の青春の血が甦ってきた青年一平だ。安心してくれ。

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一平とかの子は肉体関係を持たないことを決め、それはかの子が死ぬまで20年近くも続いた。
かの子が次々と愛人を作り、恒松安夫と新田亀三とともに4人で共同生活を送っていた間も、
一平はかの子と愛人達の間に肉体関係はまったくないと信じていた。
事実はどの愛人ともかの子は肉体関係を持っていた。
かの子の葬儀の後、新田から事実を知らされた一平は虚脱状態に陥ったという。

かの子の死から2年後、55歳で29歳の山本八重子と再婚。
周囲が非難すると「かの子のような女と長年暮したら、
俺だってぼおっとくつろげるような女と暮らしたいよ」と答えた。
4人の子をもうけるが、結婚7年で死亡。

●いずみ
●和光
●おとは
●みやこ


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息子 岡本太郎

1940年夏、私は十数年のフランス生活を切り上げて帰ってきた。
かつてあれほどの美丈夫だった父が、信じられないくらい年寄りになっていた。
ツバのすっかり垂れ下がった破れ帽子に草履ばき、水筒など肩から下げて
無精ヒゲは伸ばし放題、乞食同然の格好で「フンニャラ、フンニャラ、フンフンフン」と
歌のような訳の分からない文句を口ずさみながら飄々と町を歩いていた。

私はその時初めて、親父が一人の女性と一緒にいることを知ったのだ。
かの子を失って絶望の時代、地方に旅行中偶然世話されたずっと年若の女だが、
今では家で身の回りの面倒を見させている。八重という。
やがて子供ができる、となにげなく話す父は苦しそうだった。
私は正直に言ってホッとした。それでいい。
岡本かの子という爆弾を抱えて親父の半生はまことに言いようのない苦難の事業だった。
しかも母の死以後、どうにもならないほど空虚で孤独だったのだ。
聞いてみると、今度の相手は田舎育ちのおとなしい女性だという。
かの子とあの阿鼻叫喚というような苦闘とスリルをくぐり抜けてきた親父が、
今度はそういう人と余生を静かに送るというのも自然だし許されることだ。
私の賛意に親父はホッとしたらしい。

そして彼女に会った。私より一つ年下。小柄で別に特徴もない。気が小さいらしく、
下を向いて口をモゴモゴさせているだけ。挨拶もろくにできない。まったく影のように
おとなしい女性だ。だが生活してみると、ずいぶん変わっているのに気がついた。
信じられないほど消極的、何事にもハキハキしない。別段家の中のことを
やるわけでもない。応接セットのカバーがひどく汚れたり破れていようが、
クモの巣がぶら下がっていようが、座敷の真ん中に物が散らかっていようが、
気がつかないのか平気だ。女性的な細かい心配りはまったく見られない。
自分の領域だけの物をいじって、あとはまるで芯が抜けたようにペタッと座っている。
こんな本能的な執念だけで固まっていた人間は珍しい。なにか異様な気分だった。
こんな風でお互いの間には平たい意味での会話さえありえない。

1948年父が亡くなると、私の人生の舞台はキリキリと一回転してしまった。
いきなり子供4人を抱きかかえて義母が私にすがりついてきた。
自分一人でも食えないのに、いっぺんにこれだけ抱え込んでしまって
いったいどうなるのか。正直のところ腹の底が冷え上がった。
葬儀を済ませ、一応義母たちを置いて東京に帰ったが、
さていったいどのようにして生活を立てたものか思案に暮れた。
義母からは東京に出たいと矢の催促だ。やが待ちきれないで義母は突然引き上げてきた。
仕方がないから学校へ挨拶に行って、柄になくペコペコ頭を下げた。
先生は勘違いして、私の隠し子か妾腹かなにかと思ったらしい。
考えてみれば我が子にしても幼すぎるぐらいの弟なのだから無理もない。
一番下の女の子が片付く頃にはちょうど私は親父の死んだ年頃というわけだ。
女房も子もない私が、世の父親なみにPTA的苦労なんかしていると
ひどくユーモラスな気分になってくる。近頃はこの重荷も軽く考えられるようになった。

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◆関東大震災の時には、かの子一家は島根県の恒松の実家に避難した。
◆新田亀三はかの子の死後郷里の岐阜県に戻り親の病院を継いで結婚した。
◆戦争中は一平家族は岐阜県の新田宅に疎開した。
◆恒松安夫はのちに郷里の島根県知事を務めた。

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by vMUGIv | 2012-06-07 00:00 | 大正
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