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by vMUGIv
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三島由紀夫 その8

◆33歳 杉山瑤子と結婚

★画家杉山寧の娘 杉山瑤子
1937-1995 昭和12-平成07 58歳没

*日本女子大学英文科を中退して三島と見合い結婚。
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三島の唯一の女友達 湯浅あつ子 『鏡子の家』の鏡子のモデル 

A 〔二人が〕お見合いをしましたのはね、
だこさん〔豊田貞子〕と別れて一年後の昭和33年の春ですよ。
平岡のおばさまにガンの疑いがかかりました。
それでもう一刻も早く孫の顔が見たいと泣きつかれましてね、
私が公ちゃんのお見合い相手を探すことになったわけなの。
結局おばさまの病気は医者の見立て違いだったことが分かったのですが。

私の娘と小松静子さんのお子さんが学習院の同級生で、
うちの姪を御世話してもらえないかとかねがね頼まれておりましたの。
それで姪御さんの瑤子ちゃんを思い出し、さっそく先方に打診したところ
杉山家でもぜひにという御返事でしたのでお見合いを設定したというわけです。

すぐに断ったんですよ、三島の方から。
初対面の杉山夫人から受けた印象が、公ちゃんには気にかかったようでした。
それから3年ほど経って、
うちの出入りの画商から杉山夫人の実家について聞かされましてね。
だって杉山夫人の妹さんである小松さんのところは戦前爵位をお持ちでしたからね、
まさかその方の御実家が商売のたぐいをなさっていたとは夢にも思いませんもの。


Q 世間では杉山家の方が平岡家の系図調べをして
縁談に難色を示したと伝わっているようですが?
A 全然違いますよ。縁談の架け橋をした私が申し上げるんですから何よりも確かでしょう。
目白の杉山家から帰る車の中で、公ちゃんが相手のお嬢さんには可哀想だけれども
この縁談は断ってほしいと言われまして、それなら早い方がいいと思って
すぐに私から小松さんにお断りの電話を入れたんです。
そうしましたら、瑤子ちゃんが私の家に駆け込んできまして、
「おばちゃま、絶対にお嫁に行かせて下さい、お願いします」って
泣いて訴えるじゃありませんか。
私も困り果てましたが、「先方に瑤子ちゃんの気持ちを私からも一応伝えてはみるけれども、
平岡家が決めることだから」と言い含めてその日はなんとか帰したんですの。
そうしましたら、今度は杉山夫妻が私や小松さんを通り越して
平岡の家と直接縁組の交渉をするようになったんです。
はじめは嫌だと言った公ちゃんも次第にその気になってきました。
つまり杉山家としては攻勢をかけたんです、経済上の。
奥さんの御実家が客商売をなさっていて御内福だという話もありましたから、
そうした物量作戦の前に決して裕福とは言えなかった平岡家が倒れたというわけですよ。
〔親は〕今で言うところの年金生活者ですし、作家なんて水商売ですからね、
おじさまもおばさまも杉山家の援助を見越して
経済的に安定した生活を望んだのだと思います。

実際に結婚してみれば杉山家からの応援も期待したほどではなく、
平岡の両親からはあとになって種々な愚痴をきかされましたけれども。
後になっておばさまがね、とんでもない家との縁談を世話したというような
苦情をおっしゃるたびに、私がいったんお断りしたのよって言いたくなりましたよ。
平岡家に泣きつかれた私がせっかく持っていった縁談を
一度は自分たちの方から私に断らせておきながら、
その直後に今度は私になんの相談もなしに先方の直接交渉に折れて復活ちゃうなんて、
今でも納得できないんですよ。それは瑤子ちゃんも同じですから。
いくら公ちゃんとの結婚生活に不満があったとしても、さすがに何も言えないんですよ。
だって仲人の私が一旦は断ったのを聞かず、
今度は両親を押し立てて力づくみたいにしてお嫁に行ったんですもの。

あれは二人が新婚旅行から帰ってきて半月ほど経ってからでしたでしょうかしら、
公ちゃんが私に相談があると言うので行きましたら
「この結婚はやっぱり失敗だった。あっちゃん、別れたいんだけど」って言うんですよ。
「公ちゃんがそう思うんなら、一日でも早い方がいいんじゃない?ぐずぐずしていたら
結局別れられない始末になって、瑤子ちゃんにも気の毒なことになるもの。
すぐに帰って二人だけで誠実な話し合いをしなさい」と言いました。
でもね、それから間もなく瑤子ちゃんが妊娠しているらしいということになったんですね。
女房に子供ができたと言われたら、男は弱いですからね。
ですからその時の別れ話は自然と立ち消えになりましたのよ。

例えば、三島由紀夫が文学座や大映の女優さんと一緒に写っている写真などは
瑤子ちゃんの手ですべて破棄されたそうです。私と写っているものまで焼いちゃったって、
これは瑤子ちゃん本人に言われましたからね(笑) なにしろ徹底していましたよ。
嫉妬の的になったのは女ばかりではなく、男の友達にまで及びましたから
公ちゃんは仕事をする上でずいぶん迷惑したでしょうね。
なにしろ結婚以前の三島由紀夫の交際関係を一掃しようとしたんですもの。
それも自分が表に出るのではなく、
わざと公ちゃんにケンカさせる形でどなたとも縁を切らせましたからね。
そんなことで唯一の親友だった黛さんも絶交することになったんです。
瑤子ちゃんは私のことも遠ざけましたが、遠慮なんてしませんでした。
平岡のおじさまとおばさまの住んでいる別棟の家を訪ねておりました。

三島由紀夫が書けなくなった理由を、お嫁さん一人のせいにするわけではありませんよ。
もっと他に、彼にしかわからない悩みが大きかったことも確かでしょう。
けれどもね、そうであるならばなおのことお嫁さんとしてもう少し
公ちゃんが公ちゃんらしいものを書くことのできる雰囲気を
家庭の中に作ってくれていたらと思わずにはいられないんです。


Q 夫人の方では、夫に疎んじられているという自覚はなかったのですか?
A それは気づかざるをえないでしょう。でもどうしてそうなのか
その理由がわからないというところが、瑤子ちゃんの不幸なところでしたね。
瑤子ちゃんだって、女として妻として可哀想でしたよ。


Q そのような生活をしていた三島由紀夫が豊田貞子さんと再会する。
A ああ、ありましたね。だこさんがあと何日かで結婚するって時でしょ。
公ちゃんのほうは結婚して3年目でしたかしら。
それまでのように書けなくなっていたし、かと言って離婚もままならないし。
ですから偶然会ったとしてもだこさんだけならばもっと穏やかに話もできたのでしょうけど、
背の高いハンサムな婚約者と一緒にいたところを見たので、
さすがの三島由紀夫もカーッと頭にきたんでしょうね。
だこさんの婚約者もプライドが高い人ですからね。これから嫁にもらおうというのに
元の恋人が現れて、しかも僕と一緒においでとかなんとか言ったんでしょう。
だこさんから離れずじっと動かなかったそうですからね。
絶対に渡すまいという睨み合いだったのでしょう。


Q 湯浅さんは貞子さんの御主人ともお付き合いがあったんですか?
A ええ、ありましたの、だこさんとはまったく関係なしに。
あちらの御宅は旧財閥にも繋がるなかなかの名家ですよ。お若い頃からよく存じてました。
<たっちゃん>なんて呼んでましたが、これが体格のいい美男子でしてね。
たしか慶応のテニス部ではなかったかしら。


Q その方と貞子さんはお見合いで結婚されたんですか?
A いいえ、たっちゃんがだこさんを見初めてお付き合いするようになったんですね。


Q 三島は、貞子さんが結婚したことは知ってましたか?
A 「だめよ、あなた。今さらどうやってあがいたってね、片方は名門の御曹司だし
なかなかハンサムなスポーツマンよ。
だから、だこさんのことはもうすっぱりとあきらめなさい」と引導を渡したことがあるんですよ。
だこさんが結婚した時、
公ちゃんも瑤子ちゃんと一緒になって3年目でしたし、すでに子供もできておりましたから。
それなのに、偶然鉢合わせするとはねえ。さぞかしとりのぼせたんだと思いますよ。
だって三島由紀夫という人は、いくら昔の恋人であっても
先方が婚約者が一緒の時に誘うなんてみっともないことのできるタチではないんですもの。
だこさんだってそうした公ちゃんの性格は知っていますから、おそらく絶句したことでしょう。
そのままたっちゃんと一緒に店を出るほかはありませんよねえ。
でもそのあとで二人の後ろ姿を眺めた時の公ちゃんの気持ちを思いますと・・・。
その場にたっちゃんがいなかったとしたら、
公ちゃんとだこさんのよりも戻ったかもしれません。


Q 三島は貞子さんと復縁したかったのですか?
A もちろん、もちろん。


Q もし二人が結婚していたとしたら、どうなったと思いますか?
A 上手くいってたんじゃないですか、意外と。
それに三島由紀夫としてももっと良い作品を書いたでしょうしね。
だこさんと逢っていた頃の公ちゃんは、
それまでと打って変わって活き活きとしていましたもの。毎晩のように遊んでいながら、
帰ると朝まで机に向かって「書けて書けて仕方がないんだ」なんて言いながら、
晴れ晴れとした顔で張り切ってましたし。
やっぱり小説家なんていう仕事は、自分の心持ちに沿った雰囲気が大切でしょうからね。
いくら才能があったとしても、
それを発揮できるような環境でなければ上手くいかないんじゃないでしょうか。
その証拠に、楯の会を作った時ですよ。
「あっちゃん、もう以前のように書けないんだよ。僕、小説書けなくなっちゃった」
と泣き言を言うのを聞きましたもの。
本書きがね、そんなことを言うようになったら、もうおしまいなんじゃありませんか。

だけどね、夫婦はお互い様ですからね、公ちゃんばかりでなくお嫁さんも気の毒でしたよ。
夫から敬遠されてばかりでは妻の立場がありませんもの。そのうえ別棟とは言いながら、
隠居所の塀の向こうからは息子を溺愛する姑の目がいつもいつも光ってましたしね。

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楯の会元メンバー 伊藤好雄

先生の奥さんはよく知られているように杉山寧画伯のお嬢さんなんですが、
「お嬢さん」とか「上流夫人」などというイメージとはほど遠い、
下町のガラッパチのお姉さんみたいな気っ風のいい人なんです。
先生にも結構ズケズケものをいってましたし、僕らにもそうだった。
奥さんを煙たがる隊員もいましたが、僕は日本橋育ちだから
奥さんのガラッパチな話し方とかさばさばした性格にとても親しみを感じていました。

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瑤子夫人の父杉山寧画伯と
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by vMUGIv | 2011-03-08 00:00 | 昭和戦後
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