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谷崎潤一郎 その6

★2番目の妻 婦人記者 古川丁未子
1907-1969 明治40-昭和44 62歳没


■前夫 谷崎潤一郎 離婚


■後夫 文芸春秋社編集者 鷲尾洋三
1908-1977 明治41-昭和52 69歳没


鳥取県生まれ。大阪府立女子専門学校入学。病気で1年休学。
卒業後、関西中央新聞社入社。後に谷崎に紹介状をもらって文芸春秋社に入社。
谷崎と結婚するが4年で離婚。
文芸春秋社に再入社し、菊地寛の媒酌で同僚の鷲尾と再婚した。


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2番目の妻 古川丁未子

<われ朗らかに世に生きん>
私は一昨年の春、大阪の府立女子専門学校を卒業した時、
身の上について途方に暮れていた。
運命が私を谷崎先生のおそばに引き寄せていたのかしら?

そうして私の新聞記者生活は始められたのだ。私は一生懸命働いた。
私の書いたものをよそながら注意して下さる先生があった。
それが私の慰めとなり力となっていた。
先生のおうちを時折訪れて皆さんと親しくしていただいた。
先生は私の言うことならなんでも聞いて下さるように思われた。

私は年頃の独身の青年紳士を幾人が知っていた。
みんな良き性格と充分の教養を備えていた。
私は誰とでもへだてなく明るい気持ちで交際した。
それでも誰ともちっとも恋愛を感じたことはなかったのである。
だが私の尊敬していた人は、少なくとも2人あった。
一人は谷崎先生である。いま一人は女専で師事していたグレン・ショウ先生である。
谷崎先生からは、人格的な圧迫を感じることさえあった。
それでいて、どこか甘えたいような気持になれることもあった。

去年の7月、私は『婦人サロン』で婦人記者を募集している記事を見た。
私はついに決心して谷崎先生を訪れた。
「僕が菊地君にあなたを押し付けるようなことはしたくない。
しかし、あなたが婦人サロンの記者になることには大賛成だ」とおっしゃって、
菊地先生に宛てて本当に親切な良い紹介状をしたためて下さった。
8月、いよいよ私は婦人サロン記者となって東京に行くことになった。
たまに先生と手紙の往復をして日常の生活を報告するにとどまり、
先生からは簡単な御手紙が来るだけであった。
もちろん、どの御手紙も大切にしまってある。

1月12日、運命がこの日を私に与えた。
谷崎先生の日本橋の偕楽園に御飯を食べにくるようにとの伝言を聞いた。
先生はにこやかに私を迎えて下さった。
そして極めてうちとけた気持ちで、静かに結婚を申し出られた。
その時先生と私との間に、もうなんのへだてもなくなっているように感じた。
ただ一途に先生の御胸へ!
きっと先生も私も気づかなかった大きな力が、二人を引き寄せていたのだろうと思う。
それでなくては、あれほど和やかに私が先生の申し出を受け入られようはずがなかった。

私は結婚するのだけれども、当分はまだ先生とお弟子であり、一人の作家と秘書である。
私の秘書としての仕事はなにかしら?

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毎日放送記者 辻一郎

母が「私、谷崎さんって嫌いなの」と言い出した。
「丁未子さんをひどい目にあわせたから」
母が古川丁未子と初めて会ったのは、大阪府立専門学校に在学していた時だった。
寮生の一人が病気で休学して郷里の鳥取に帰ったので、
寄宿舎に入らないかと勧められた。この休学して郷里に帰った人というのが丁未子だった。
翌年丁未子は復学して寄宿舎に戻った。以来母は彼女と同じ寄宿舎で一緒に暮らした。

「朝日新聞の記者だったグレン・ショウや鈴木大拙の奥さんだったスズキ・ビアトリスに
英会話を習っていて、英語のよくできる人だった。
いろんな先生に可愛がられていたようだったわよ。
おっとりした、華やかさのある、とってもきれいな人だった。
谷崎さんは初めから丁未子さんと松子さんを天秤にかけて、
すぐには松子さんを口説けそうもなかったから丁未子さんと結婚したわけでしょ。
世間知らずの若い娘をなぶったのよ。ひどい人よ。
丁未子さんはとても賢い人だった。でも松子さんのような世間を知った大人じゃなかった。
おっとりしていただけに、気働きに欠けるところもあったかもしれない。
でも学校を卒業したばかりの若い娘に、
40歳を過ぎた作家の気持ちなんてわかるはずがないじゃないの。
気に入らないことばかりする、と言ったらしいけれど、谷崎さんも無茶を言うわね」
そんな結果をもたらした谷崎に、当時の女専の仲間たちは一様に憤慨した。
丁未子が清純な感じの女性だっただけに、ことのほか同情が集まったらしい。

母は父の転勤にともなって昭和8年から東京に住み、
時折丁未子と会って昔話をすることがあったようだ。
戦後も調布に移転した彼女の家を訪ね旧友を温めている。
その日はたまたま子供さんが慶応幼稚舎を受験し、
明日は父兄面談にのぞむという日だった。
話のはしばしから温かい家族に囲まれ、
平凡ながらハリのある日々を送っている様子がくみとれて、
とても嬉しかったと母は語った。

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立つ左から 丁未子の兄 谷崎 丁未子の父 仲人岡成志
座る左から 丁未子の兄嫁 丁未子 岡夫人
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by vMUGIv | 2011-04-06 00:00 | 大正
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