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by vMUGIv
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岡本かの子 その3

◆21歳 岡本一平24歳と結婚。
◆22歳 太郎生まれる。実家が破産。


★夫 漫画家 岡本一平
1886-1948 明治19-昭和23 62歳没
書家岡本竹次郎の子
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息子 岡本太郎

父は内心憂愁と反逆の鬱々とした浪漫性をたたえ、外面は洒脱飄逸早熟の都会児で、
年に似合わず大酒し遊蕩児然とした美青年の毒舌は周囲の者を辟易させた。
絶えず光を求めながらそれを否定していた若い美校生は、
やがて彼の命を救うことのできるただ一人の女性に邂逅したのである。
それが母かの子であった。

母は多摩川のほとりに代々続いた豪家・大貫家の長女に生まれ、
生来の奔放な特異な性格から秘蔵娘としてのびのびと育てられた。
成長しても母の両親はどういうわけか、この娘は普通の子と違う、他人様のところへ
順当に嫁にやれるような娘ではないと言っていたという。母自身も他家に嫁すというより、
生涯を音曲の師匠として静かに送るくらいの気持ちであったらしい。

父が日本橋から毎日はるばる多摩川を越えて
がむしゃらにしかも辛抱強く二子の大貫家へ通い母を獲得した話はすでに有名である。
かなりのためらいの後に、かの子は父の求愛に応じた。
水際立った父の美貌に魅かれたことも確かだったろう。

しかしまるで違った生い立ちと性格を持った二人の結婚生活は、
たちまち障害に突き当たった。実際かの子と共同生活してみれば、
このくらい不自由で大変な相手はいない。
純粋だけが猛烈に狭い一途な性格に、一平も初めはヘキエキしたようだ。
嫁してきた母は肌合いの違う下町の生活になじめなかった。
舅姑や弟妹との間もうまくゆかず、しばらくして新居を構えて移った。

だが、新家庭は経済的にはまったく恵まれていなかった。
父は当時新築された帝劇の背景を描いて生活していたが、
やがて朝日新聞に入社して漫画を描くようになった。
江戸っ子気質の父は、世間体をつくろったり友達づきあいのために
収入のほとんど全部を飲んでしまったりして家計の方は惨憺たるものであった。
乳母日傘で育った母は生まれて初めて経験するこの生活苦に呆然とした。
家政にうとかった母は周囲から軽蔑された。多感な母は冷たい現実に傷つけられ、
また母の情熱が家に出入りした青年との間に思わぬ葛藤を描いたりした。
弱い心身にこれらのすべてが絡んできて、母はにっちもさっちも行かなくなってしまった。

新聞社に勤めていた父は夜中にしか帰らなかったので、
母と子は一日中家の中でじっと抱き合うようにして暮らしていた。
近所づきあいはなく、訪れる人も稀だった。
二人っきりで世の中から置き忘れられたような寂しい毎日だった。
その頃の母はひどく痩せて青白くピリピリと神経の研ぎ澄まされた女性だった。
異様に見開かれた大きな目。黒髪がいつもほとんど束ねられもせず、
パラリと肩にたれ下がってなにか凄愴な気配だった。母は時々激しく泣いた。

その前後、母はほとんど狂気に近かった。
ある日父は半狂乱の母のうつろな瞳孔を見てハッと胸をつかれた。
今までまったく彼女をかばっていなかったこと、彼が自負していた母に対する鷹揚さ、
例えば若い情人を自分の家に入れて平然と暮らすような突き放した寛大さは
少しも彼女へのいたわりではなかったことに気づいて
初めて母を本当に守らなければならないと心に誓ったようだ。
父のこの決意は母の死まで、また死後においても微動だにしなかった。
父は母を傷つけていたすべてのものと決別した。盃を手にせずには仕事ができなかったほど
好きで日夜浴びるように浸っていた酒も煙草も断ち、
友人や肉親との付き合いさえ断ち切ってひたすら母を支えることに集中した。
連れ立って宗教の門を叩き、生活を立て直そうとしたのもこの時分である。
父は未熟な母を童女のようにかばい、相互の愛情は夫婦というよりも
むしろ父娘のような相貌を帯び始める。
このように相互の深い信頼と理解によってまったく異質の芸術家同士として支え合い、
高め合う独特の共同生活を完成した。一家連れ立ってヨーロッパに遊ぶ頃には、
父母ははた目にはうらやましいほどの和合に達していたのである。
しかしその裏にはやはりまた一つの陥穽があった。それは俗な意味での夫婦生活である。
母をかがうことに決心して以来、二十数年の夫婦生活の間
父は肉体的な夫婦の関係をまったく持たなかった。

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夫 岡本一平

かの子の実家は武蔵相模の旧家で、東京の赤坂・青山・京橋にも別宅があった。
小学校時代は祐筆の娘の老女をつけて保母にされ、
女学校時代は跡見花蹊先生の塾へ入れられた。
英語のため桜井女塾に入ったこともある。歌は天才少女と呼ばれていた。
この娘にはなにか特別いじらしいものがあって、捨ててはおけなかったと母親は言った。
さびしがり屋なので、14、5ぐらいまで母親は抱き寝をしてやったということである。
いくつかの結婚の申し込みをしりぞけて、
生涯独身で琴の師匠にでもして兄弟たちに面倒を見させようと住宅の設計までできていた。

僕の方はというと家格はそう悪くはないが、父の代は下町の中産階級以下の書家で、
看板やら書き名刺の文字やらを書いて暮らしていた。
僕が美術学校へ入ってしまったものだから、
学費にちょっと負担を感ずる程度の生活だった。

一方は手も足もない、置いたら置いたままにされているようなお嬢さんである。
一方は不平満々として少しは不良性もある野心家の青年画家である。
これが結婚するのはお嬢さんにとってずいぶん危険な道であった。
母親はこの結婚を許す時こう言った。
「岡本さん、この子をおもらいになってどうする気です。
普通の考えだとずいぶん双方で苦労をしますよ」 これは当たっていた。

青山に画室付きの小家を父に建ててもらって、そこに二人は住み入った。
彼女は広い家から狭い家へ嫁入りしてきて珍しがっていたが、
片や腰を柱や壁につかえさえした。
初めのうちは新家庭や花嫁を珍しがって家でちやほやしていた僕も飽きてきた。
女中には必ずいじめられた。僕はむしろ世故を経た女中の方を怜悧なものとし、
彼女を不甲斐ないものとして女中の方に味方する場合があった。
この時分僕はまだ酒を飲んで道楽の名残も跡を引いている。
金のない自宅では美味い物も面白いこともありようはずがない。
すると僕は外へ出て一人でなんとか算段してそれを満たした。
帰ってくる時には酒飲み友達の二、三人でも連れてすぐ酒宴にかかる。
二日二晩も酒宴の続くことがある。彼女は暗い隣室にただおとなしく座っている。
かの子はこの時代極端に内気で無口で始終うつらうつら物を考えているような娘だった。

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夫 岡本一平

主人は主婦に、まあ恋に似たような事をやって親元から懇望してもらってきたのだから
言わば夫婦であった。夫婦であったが、
主人の放埓我儘や主婦の矯激な感情が食い違いをやってひどい目にあった。
二人の性格がいっぺんズタズタになった。
お互いに生かしてはおけぬほども憎み合って、
しかも断ち切れぬ絆は二人を泣き笑いさせた。
それから双方傷手をいたわり合うような所へ出て、今日では夫婦の仲なぞということも、
まだ間に性という垣根があるから煩いだ、もっと血肉になろう、
で今では主人と主婦とは身体の上に修道院の僧と尼僧のごとき淡白さを保とうとしている。
心の上に、兄妹かあるいは姉妹のごとき因縁を感じている。

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息子 岡本太郎

母が外から帰ってくる時、バタバタッと履き物を蹴飛ばして、飛び込んでくることがあった。
玄関の戸を閉めるか閉めないうちにワアッと泣き出す。あたりはばからぬ猛烈な泣き方だ。
そして一日中泣いている。阿修羅のようなというのはあのことだろう。
手のほどこしようがない。母が外で意地悪い目にあわされてきた時なのだ。
その頃松村梢風さんの家が近所だったが、
よく御用聞きが「岡本さんでは今かの子先生が泣いていらっしゃいます」と報告したそうだ。
父が徹底的に彼女をいたわり支えていたからまあやっていけたのだろうが、
あれでどうして生き抜けたかと思うぐらいだ。
いや、ついに生き抜けなかったから、あんなに早く倒れたのだ。
母の大きな目は晩年にはほとんど失明寸前にあったし、
鼻はほとんど匂いを嗅ぎ分けることができなかった。
美食をモチーフにしたものが多いが、
歯もひどく悪かったし持病の胃弱でいつも苦しんでいた。

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夫 岡本一平

かの子は妻と片付けられる女ではなかった。
僕にとって母と娘と子供と、それから師匠でもあり、友だちでもあった。
家庭における彼女は、努めずして母性の慈しみを表し、娘の若さをみなぎらし、
童女の無邪気さを放った。彼女の外から帰った時のだらしなさ、
玄関のガラス戸を破れよとばかり叩く。そして「パパ!パパ!」と続け叫ぶ。
隣近所などはあれども無きが如くである。戸を開けてやると私の胸に飛びつく。
そして「帰ってきたのよ、帰ってきたのよ」と言う。
それがわずか丸の内辺りの集会から帰ってきての仕打ちである。
だが私とて彼女をどこへでも出してやった間はとても不安だ。
それを今しかと胸に受け戻した。私は嬉しくて涙ぐむ。
そしてこの大きな童女の肩肉を揉みほぐすように撫でてやりながら、
「よく帰って来たなあ」と言ってほっと安心の息を吐く。28年間これも毎回新たである。
彼女を外に出してやった間の私の不安というものは実に単純素朴なものだ。
車に轢かれやしないか、迷子になりはしないか、ヘマをやりはしないか、
よその子にいじめられやしないか、誘拐されやしないか、物を落として不自由してやしないか。

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兄大貫晶川の妻 ハツ

かの子さんが太郎さんを抱いて訪ねて来たのに玄関払いをしたというのは本当です。
ちょうどその時は、こちらは銀行の騒ぎで寄合があってごった返していたんです。
そこへかの子さんが来たというので、父が困り切った顔をしたんです。
私も母も玄関に出るなと言って、今夜は取り込んでるからって玄関払いしたんです。
その頃はまだ晶川は生きていました。
晶川は私が嫁いでからは、あまりかの子さんのことを良く言ってませんでした。

かの子さんが来たら、かの子さん中心の生活をさせますから大変なんです。
太郎さんを実家で産んだ時も、かの子さんのタイラントぶりは一通りではなく、
嫁の私はもちろんのこと実の母でさえかの子さんの滞在中は神経をすり減らし、
かの子さんが東京へ引き返して間もなく、その疲れが出て発病して寝込んでしまいました。

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評論家 亀井勝一郎

「僕は正直に言ってかの子のような女は嫌いですね。かの子は虚栄心の強い暴君ですよ。
ワガママで横暴で。一平さんの方がずっと好きですね。一平さんは本当にいい人だったな。
あんな人はめったにいない。一平さんが本当に気の毒でしたよ」
かの子が突然亀井家を訪問しては座り込み何も言わずに居続けるので困り果て、
亀井夫人が一平に電話をかける。すると一平が車を飛ばして迎えに来て、
亀井夫妻に謝り、かの子をなだめすかして連れて帰った。
「一平さんに謝られるたびに、本当に気の毒になりましたよ」

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美男好きのかの子は若い頃からこの調子で、
相手の家に押しかけていったん上がり込んだら帰らない。
根負けした男がかの子の気持ちに応えるというパターンだった。


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息子 岡本太郎

父の死は母が亡くなってからちょうど10年目である。
父は母の生前も死後も彼女を観音菩薩に擬して、
仏前でも常に「南無観世音かの子菩薩」と唱え、
母のことを語るのに観音様と言っていた。
大母性としての母は有名である。私は父の大父性について一言したいのである。

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世界一周旅行に出発する一平 左側3人 一平 かの子 太郎
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中国にて メリー・ピックフォード かの子 ダグラス・フェアバンクス 一平
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アイルランドにて
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船上にて
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by vMUGIv | 2012-06-03 00:00 | 大正
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